●53
「……そうだ!」
リングから下りた闘技者はケガが回復する。それを利用してリングの外に下りれば、右手首のケガが回復するかもしれない。
そう思った俺は、試しにリングの外に飛び降りてみたが、右手首が治った感覚は無い。
「何をやっているのよ!? 早くリングに戻りなさい!」
俺がリングから下りると、阿佐美が狂ったように叫んだ。
「いやあ、リングから下りたらケガが回復するかなと思って。前回の試合後も回復したし」
「それは試合が終わってからの話! 勝敗がつくまでケガは回復しないの!」
どうやらリング外で回復するためには、然るべき手順を踏む必要があるらしい。
よく考えたら決闘中に場外に出ることでケガが回復するのなら、無限に回復が出来てしまう。そんな場外に出た者勝ちの環境なら、場外に出た時点で負けにするはずだ。場外が敗北にならない時点で、決闘中に場外に出てもケガが回復しないということに気付くべきだった。
俺が再びリングに上ると、目黒が意外そうな顔をした。
「逃げたのかと思ったんだけど、違ったんだ?」
「今のは逃げたんじゃなくて作戦の一つだ。現に目黒は俺が逃げたと思って油断しただろ?」
ハッタリをかましてみる。実際は作戦でも何でもなくて、場外でケガを回復させる目論見が外れただけだが。
「私、試合中に油断はしないよ」
「それは素晴らしい心がけだ」
自身の言葉通り、目黒は竹刀を構えたままの状態で俺のことをじっと見据えている。
「私は、勝つ!」
「勝つのは俺だ!」
目黒の気迫が増す。勝利を宣言することで、俺の方も気合いを入れる。
「やあーーーっ!!」
「かかってこい、目黒!!」
俺の胴を狙って放たれた一撃を剣で受け、さらに剣を返して目黒の面を狙う。今度はこれを目黒が防ぐ。
右手首は折れているものの、今のところ邪魔にはなっていない。
それよりも問題は、目黒の竹刀の重さだ。相変わらず鉛の塊のような重量を感じる。あれは竹刀の形をした棍棒なのではないかと疑ってしまうほどだ。
「相馬君、剣道の腕が鈍っちゃった? 昔はもっとみんなを圧倒する強さだったよ?」
「今だって俺は十分強いよ。目黒が強くなったから、そう感じるだけだろ」
「褒めてくれてありがとう」
実際、竹刀の重量が正常だったとしても、俺は目黒に小手で一本取られている。
目黒は確実に強くなった。剣道道場に通っている頃は、注目すらしない程度の実力だったのに。これほど成長するまでには、一体どれだけの稽古をしてきたのだろう。
「次で決める」
「こっちもそのつもりだ」
目黒は竹刀を、俺は剣を、構え直した。
空気がピンと張り詰める。身体中の神経が研ぎ澄まされる。この世界には俺と目黒しか存在していないかのように、全集中力が目黒に注がれる。
きっと次の一瞬で決着がつく。絶対に負けるわけにはいかない。
「いざ」
「尋常に」
「「勝負!!!!」」
目黒が俺の面を狙って竹刀を振りかぶる。
一方で俺は……横っ飛びで飛び退いた。
「なっ!?」
真横への動きに対応できなかった車いすが急ブレーキをかける。
しかし、すでに決着はついた。
車いすに乗った目黒の首には、俺の剣の切先が届いている。
「悪いな。これは剣道の試合じゃなくて、何でもアリの決闘なんだ。だから車いすの欠点を利用させてもらった」
「…………降参だよ。私の負け」
目黒が両手を上げた。手から離れた竹刀が地面に落ちる。
俺は剣を目黒の首元から下ろして地面に置くと、折れていない左手で目黒と握手をした。
「目黒は初戦のはずなのに、誰よりも強かったよ」
「正々堂々戦ってくれてありがとう」
「正々堂々とは、ちょっと胸を張っては言えないけどな」
俺はこの決闘で、逃げたり、天秤を投げたり、リングの外に下りたり、最後は車いすの欠点を利用したりもした。その結果としての勝利だ。我ながら卑怯なことをした気がする。
しかし目黒はそうは思っていないようだった。清々しい顔で負けを受け入れている。
「きっと決闘での正々堂々は、すべての要素を使って戦うことなんだよ。だから決闘を剣道の試合と混同した私の負け。負けたことは悔しいけど、勝敗に文句は無いよ」
その瞬間、目黒の竹刀が煙となり、車いすをまとっていた煙とともに、俺の周りへと移動した。剣と天秤も煙となって俺に吸収され、姿を消した。




