●39
「おはよう!」
突然、教室の入り口から聞き覚えのある声が響いてきた。
声のする方を見ると、車いすに乗った目黒が教室に入ってくるところだった。
「目黒!?」
目黒に近寄ろうとしたが、目黒はすぐにクラスの女子たちに囲まれてしまった。何があったのかを根掘り葉掘り聞かれている。事情の説明が辛そうな様子なら目黒を女子たちから引き離そうかとも思ったが、目黒は笑顔でみんなに対応していた。
こういう姿を見ると、目黒は本当に強いと思わされる。
少しして、自由になった目黒が俺たちの元へとやってきた。
「相馬君、仁部君、おはよう。もうおはようって時間でもないけどね」
そう言って目黒はお茶目な顔で笑った。
「あ、うん。おはよう」
「おはようございます」
目黒はあまりにもいつも通りだ。正直なところ、今日は目黒をどうやって励まそうかと考えながら登校していたので、目黒の心が強すぎることに面食らってしまった。
今の目黒に、雨のバス停でずぶ濡れになって諦め顔をしていた女の子の面影は、微塵も無い。
「目黒さん。ギプスに車いすなんて、かなりの大怪我ですね!?」
「ううん、そうでもないよ。大袈裟だって言ったんだけど、余ってる車いすがあるからって病院で押し付けられちゃっただけ。見た目ほどは酷いケガじゃないんだ」
「目黒さんが登校してないのでどうしたのかと思ってましたが、病院に行ってたんですね」
「本当は昨日行こうとしたんだけど、夜だったから病院が閉まってて。救急車を呼ぶほどでもないから、昨日は自宅で足を冷やして、今日の朝イチで病院に行ってきたの」
困惑する俺を置き去りにして、目黒と仁部の会話はどんどん進んでいく。
「その……痛くはないか?」
俺がやっと絞り出した言葉は、かすれた声になって口から出てきた。
「ちょっと痛いかな。えへへ」
目黒は慣れた様子で笑いながら頭をかいた。先程集まっていた女子たちにも散々聞かれた質問だったのだろう。
「相馬君、ごめんね。しばらくはお弁当作れなくなっちゃった」
「そんなことはどうでもいいって。いや目黒の弁当がどうでもいいわけじゃなくて、今は他人の弁当を気にしてる場合じゃないというか、あ、目黒は他人じゃなくて友だちだけど、友だちのどうでもよくない弁当は気にしなくていいと言うか……」
「相馬君、急に日本語が下手になっちゃった?」
しどろもどろになる俺を、目黒が茶化した。
「ごめん。ちょっと混乱してるみたいだ」
目黒は酷いケガではないと言っているが、それでも車いすの衝撃は大きい。
「それで、診察結果は……」
目黒のギプスを見る。
包帯やサポーターで固定するだけではなくギプスをするレベルということは、絶対に動かさないようにする必要があるのだ。つまりそれだけ重症なのだろう。
「亀裂骨折だって。しばらく固定してれば治るらしいから、大怪我って程じゃないよ。人間の自己治癒力ってすごいよね!」
先程はいつも通りのように感じたが、目黒はわざと明るく振る舞っているようにも見える。
「しばらくってことは、やっぱり……」
「うん。県大会は無理かな。県大会は再来週の日曜なのに、最低でも一ヶ月は骨がくっつかないんだって。それに完治するまではもっとかかるって。その間、剣道はもちろんスポーツは全部禁止」
目黒の言葉に、どんな顔をして良いのか分からなかった。
昨日の時点で予想していたことではあったものの、ドクターストップがかかったという事実は重くのしかかるものがある。
「そっか……」
これ以上、何を言って良いのか分からない。
大事なときに言葉が出ない情けない俺の代わりに、目黒がまた明るく笑った。
「私は大丈夫だよ。だから変に気を遣ったりしなくていいからね」
本当に、目黒は俺よりもずっと強い。
今の目黒なら、正義のヒーローなんかいなくても、一人でどこまでも歩いて行けそうだ……今は車いすだが。
「あー……そうだ。目黒にとって良い報告をしようかな」
「良い報告?」
俺は目黒のために今話せる一番良い話をすることにした。
「俺、昨日決闘で沢村に勝ったんだ。それで勝った後に確認したら、沢村は目黒に対する執着を失ってるみたいだった。だからこれからは沢村のストーキング行為に怯えなくても平気なはずだ」
俺の言葉を聞いた目黒は、俺に向かってぺこりと頭を下げた。
「私と沢村先輩の問題に巻き込んじゃってごめんね。でもありがとう。何を話しても通じないから困ってたんだ。もちろん、そんな自分勝手な相手と付き合うなんて絶対にごめんだったしね」
「沢村先輩は引っ込みがつかなくなっていたのかもしれませんね。迷惑極まりない話ですが。沢村先輩の叶わぬ恋に引導を渡す良い機会だったのではないでしょうか」
仁部がメガネをクイッと上げた。
「うん。沢村先輩が闘技場の優勝者になったことで、私が沢村先輩と無理やり付き合わされてたかもしれないって思うと、今でも怖いよ。私の気持ちなんてまるで無視なんだもん。やっぱり闘技場なんて無くなった方が良いんだよ」
ずっと目黒は闘技場反対派だった。他人の“想い”を奪うことは、肯定されるべきではないと主張していた。
しかし俺がやったことは、まさにそれだ。沢村から目黒への“想い”を奪ってしまった。
たとえ歪んでいたとしても、沢村の目黒に対する気持ちは、俺が奪ってはいけないものだったのではないだろうか。
仁部は気にするなと言ってくれたが、目黒はどう思うのだろう。
「仕方がなかったとはいえ、俺は沢村の“想い”を奪ったんだ」
「あれは沢村先輩の自業自得でしょう。目黒さんの気持ちを無視して無理やり恋人にしようとした沢村先輩には、ちょうどいい制裁だったと思いますよ」
「……そっか。そういうことになるんだね」
俺の行為を肯定する仁部とは対照的に、目黒は複雑そうな表情をした。
「私のために戦ってくれたのに、相馬君がこんな風に悩むことになるなんて。やっぱり闘技場に関わっても良いことなんか一つも無いんだよ」
しまった。目黒を喜ばせるつもりで始めた話だったのに、目黒の表情を曇らせる結果になってしまった。
何とも言えない顔をする目黒と俺の真ん中で、仁部がおどけたポーズを取った。
「もう。堀田君も目黒さんも難しく考え過ぎですよ。実ることのない片想いなんですから、遅かれ早かれ沢村先輩は目黒さんのことを諦めないといけなかったんです。今回、恋を諦める苦痛を感じることなく目黒さんに対する気持ちが無くなったんですから、沢村先輩にとっても良い結果だったと僕は思いますよ」
「仁部は考え過ぎるキャラっぽいのに、意外とあっさりしてるよな」
「それ、メガネに対する偏見ですか」
俺の言葉を聞いた仁部の目が鋭く光った。
どうやら俺は、仁部の地雷を踏んでしまったらしい。




