●33
「お取込み中、失礼。堀田を迎えに来たわ」
そのとき武道場の入り口から、空気を読まない冷たい声が響いてきた。
「阿佐美」
「なにやらお取り込み中のようだけれど、あんたはもう時間よ」
阿佐美は武道場の中で動き回っている部員たちを一瞥すると、武道場の入り口から俺に向かって手を伸ばした。
「早く来なさい」
「鏡花お姉ちゃん。今、それどころじゃないの」
突然現れた阿佐美に返事をしたのは花林ちゃんだった。阿佐美に対して厳しい視線を向けている。
「それどころなのよ。あと五分で決闘が始まるのに、闘技者がこんなところにいて良いわけがないじゃない」
阿佐美に言われて時計を見る。阿佐美の言葉通り、決闘の開始予定時刻まではあと五分だ。
目黒のケガに気を取られていて決闘の時間を忘れていた。阿佐美が迎えに来なかったら時間に気付かずに決闘をすっぽかしていたかもしれない。
「もうそんな時間なのか」
「なに寝ぼけたことを言っているのよ。シャキッとしなさい」
阿佐美が怒りと呆れを含んだ声を出した。
決闘の時間を忘れていたことに関しては全面的に俺が悪い。まだ五分前とはいえ、阿佐美が来なかったら最悪の事態になっていた。
「悪い。時間を気にしてなかった」
「あんたは本当にもう!」
イライラしながら武道場の中に入ってきた阿佐美を、花林ちゃんがにらみつけた。今や花林ちゃんは阿佐美に対して敵意ともとれる視線を向けている。
「鏡花お姉ちゃん、今取り込み中なの。外でやって」
「分かったわ。じゃあこいつはもらって行くわね」
阿佐美は俺のシャツの襟首を掴むと、引っ張って武道場から出て行こうとした。
「うわっ!?」
「あっ、相馬君」
阿佐美に引っ張られて連れて行かれそうになる俺の手を、目黒が握った。
「目黒、俺は……」
「いい加減にして! あいつに不戦勝をプレゼントする気なの!?」
阿佐美が力任せに俺のシャツを引っ張った。
首が締まったため、引っ張られた勢いにあわせて後ろ向きに歩く。阿佐美の大声に驚いた目黒の手が俺から離れたおかげで難なく後ろに歩くことができ、気道が確保された。
「げほっ、加減をしてくれよ、阿佐美」
「悪かったわね。ほら早く行くわよ」
「絶対悪いと思ってないだろ!?」
阿佐美に文句を言いつつ、振り返って目黒を見た。
「あのさ、足は……」
言葉の途中で、目黒が首を横に振った。
「私のことは気にしないで。お母さんが車で迎えに来てくれるから大丈夫」
「だけど」
なおも目黒と会話をしようとすると、阿佐美が俺の肩を引っ張り、無理やり自分の方を向かせた。
「堀田。あんたがここにいても出来ることは何も無いわ。けれど闘技場へ行けば、あんたには出来ることがある。しかもそれが、この子のためにもなる」
阿佐美が目黒のことを手で示した。
「堀田先輩の対戦相手……そうでした。沢村先輩が優勝者になったら、恵奈先輩はあいつの彼女にされちゃうんでした……」
闘技場のスケジュールを把握しているのだろう花林ちゃんが、苦々しげな顔をした。
「……分かった。闘技場へ行こう」
「当然でしょ」
俺は座ったままの目黒を残して、闘技場へと急いだ。
* * *
「逃げたのかと思ったぜ」
闘技場に到着すると、先に到着していた沢村がニヤニヤしながら俺のことを見た。
闘技場スタッフによる身体チェックを受けながら、沢村をにらむ。
「そんなわけないだろ。俺はお前なんか怖くないからな」
「お前、後輩のくせに生意気なんだよ。先輩には敬語を使えよ」
「尊敬できる先輩相手には、ちゃんと敬語を使う。でもお前には使わない」
「ムカつくやつだな。俺に歯向かったことを後悔させてやる!」
沢村は今にも殴りかかって来そうな勢いでリングに上がった。沢村の具現者である阿佐美の姉も沢村のあとに続く。
俺も身体チェックが終わるなり、阿佐美と一緒にリングの反対側に上って決闘の準備を始める。
「今日は素数を数えなくて良いの?」
「素数……あっ」
阿佐美とキスをするときには素数を数えてくれと目黒に言われていたことを思い出したところで、阿佐美にキスをされた。
またしても唇に当たる柔らかい感触で、素数が頭から抜けていく。
「うん、この前よりも“想い”が強化されているわね」
キスに気を取られている俺に、俺の“想い”を見た阿佐美が告げた。
「仁部の分の“想い”が乗ってるのか。仁部に負けた人たちの分の“想い”も。ますます負けられないな」
それに仁部が俺に力を貸してくれていると思うと、心強くもある。
仁部と一緒に沢村を倒そう。
「さて、どんな変化が起こるかしらね。仁部の武器にはすでに複数人の“想い”が乗っていたから、強力な武器になるはずよ」
俺の周りを漂っていた煙が武器の形へと変化していく。
武器の形は前回と同じ剣と天秤だが、天秤が大きく、そして美しく変化した。剣には特に変わった様子は無い。
「天秤の方が強化されるのかよ!?」
どうせ強化されるなら剣の方にして欲しかった。決闘中、天秤は地面に置いて放置しているだけだから。
ふとリングの先を見ると、沢村の“想い”の武器は、ボクシンググローブに変化したようだ。それならリーチが長い分、剣の方が有利に思える。
「油断しない方が良いわよ。姉さんの情報によると、沢村はボクシングをやっているみたいだから。武器の力じゃなくて沢村自身の拳の方が厄介かもしれないわ」
沢村がボクシングをやっているという話は仁部もしていた。そんな相手の拳を食らったら、俺は一撃で倒されてしまうかもしれない。
「一発でも当てられたらヤバそうだよな」
「そりゃあ痛いでしょうね。気絶するくらいには」
俺が気絶しても、沢村は気にせず殴り続けてくる気がする。早めに審判がストップをかけてくれると良いのだが……って、負けたときのことを考えてどうする!?
俺が勝たないと目黒が危険なんだ! しっかりしろ、俺!
「じゃ、頑張って」
阿佐美は俺の背中をバシッと叩いてリングから下りた。
「他人事だな!?」
「決闘に関して、これ以上あたしに出来ることはないからね」
阿佐美の姉もリングから下りたようだ。
いよいよ決闘が始まる。




