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戦国転生したら秀長の息子でした ~豊臣宰相の子として、戦国日本を国家から作り直すまで~  作者: 丸三(まるぞう)


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閑話 長浜という城  

天正8年(1580年)6月 近江・長浜城

この頃の長浜城には、城主である羽柴秀吉の姿はない。

秀吉はすでに織田家の中国方面軍司令官として、播磨・備中・備後の戦線を駆け回っている。

城を落とし、毛利と睨み合い、兵を動かし、信長へ戦況を送り続ける日々。


長浜は、後方だった。

だが「何も起きない場所」ではない。

兵糧はここで集められ、銭はここで勘定され、船はここから西へ向かう。

前線が動けば、必ずこの城下も動く。いや、前線で動きがなくともここは動き続けている。


その長浜を実際に治めているのは――

城主の秀吉ではなく、弟の秀長である。


年貢の率を決める。

検地の帳面を見る。

旧浅井の家臣をまとめ、町と寺を抑え、蔵を管理する。


それは、すべて秀長の差配で行われている。

秀吉が戦場で名を挙げ功績を積めるよう、秀長は本拠地・長浜で支えていた。


長浜の者たちも、口には出さないがよく知っている。

この城を動かしているのは、兄ではなく弟だと。



その秀長が、今は竹田城にいる。

播磨と但馬という、新しく与えられた土地を治めるために。


だが、留守になった長浜には、後に秀長の重心となり豊臣政権の裏側を支える家臣が残っている。


そして――

秀長の(史実にはいないはずの)小さな子が、城の奥で帳面を覗いている。



ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


本作は初めての投稿作品のため、誤字脱字や表現の拙さ、設定の不整合などがあるかもしれません。

日々推敲しながら加筆修正をしていく予定です。


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― 新着の感想 ―
基本的に信長 秀吉 徳川の話はつまらん。 しかし秀吉の弟とその子のこの話は面白くて 話の続きが楽しみ。
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