第76話 賤ヶ岳の戦い7ーShizugatake
天平11年(1583年)4月 近江・賤ヶ岳
秀吉が、歴史に残る「美濃大返し」で、西美濃の大垣から北近江・木之本へ、わずか五時間程度で戻ってきてから、数時間が経った。
その間、将兵は眠るように休息を取った。
日が変わる頃、体力を回復させた秀吉本隊が、ゆっくりと賤ヶ岳方面へ動き出そうとしていた。
秀吉の陣では、最後の作戦会議のため父・秀長と私、黒田官兵衛、磯野員昌、中川清秀と高山右近が詰めていた。
寝起きの目を擦りながら地図に目を下していた秀吉が、眠気を覚まそうとしてか、大きな声で言う。
「小一郎、官兵衛、動くぞ。賤ヶ岳に居座る玄蕃(佐久間盛政)のガキを追い落とす」
「中川殿、高山殿は小一郎を与力していただきたい。先ほどの屈辱を晴らす機会じゃ。よろしく頼む」
「「はっ!」」
秀吉の喝のような言葉に、我々が勢いよく返事をする。
すると、
「ああっ?」
秀吉が、私を睨みつけて言った。
「源一郎!何を元気に返事をしておる。お主はだめに決まっておろう!」
「磯野殿!縄で縛ってでも、此奴をここから動かさぬようしてくだされ。お任せしましたぞ」
「承知!命に代えましても」
祖父・磯野員昌は大きく頷くと、私の横へ歩み寄りがっと私の肩を掴んだ。
秀吉は続けて、私の後に控えていた片桐且元に向かって言った。
「且元、死んでも其奴を守れ」
そう言われた片桐は直立不動で頭を下げ、一歩私に近づいた。
槍を振るえる訳でもない私が、この先の戦場に出ていくことは全く考えていなかった。
流石に、出て行っても即死間違いなしだろう。
しかし、周りの大人たちはそう思ってなかったようだ。
普段、どのように思われているのかわかった気がして、少し凹む。
「当然、わかっております。ここから出ることはいたしません」
小さな声で言った後、父と叔父・秀吉の顔を見つめ「ご武運を」と、深々と頭を下げた。
陣幕の出入り口付近でその様子を見守っていた秀吉の馬廻り・福島正則(市松)、加藤清正(虎之助)の兄貴たちが大笑いをした。
「「わっはっは!」」
「お前は、よほど大切にされているようだな。秀吉の叔父貴がそれほど人を心配するところを見たのは初めてだ。いや男としては、だな」
福島正則がそう言って、また大きく笑った。
「市松!いらんことを言わんでよいわ。お前が至るところで余計なことを言うから、ねねが心配するんじゃろが!」
「虎、お前もいつまでも笑うとるではないわ!!」
秀吉がそう言うと、父と官兵衛がクスッと笑った。
「兄者。元気が戻ったようで何よりですな」
父が場を仕切り直すように声をかけた。
「あぁそうだな。皆から元気をもらったわ」
「では行くとするか。源一郎、ここで我らの勝利を見ておれ」
そう言うと、秀吉は兜を手に持ち、ゆっくりと陣幕から出ていった。
その後を皆がついて行く。
先ほどまで大笑いしていた加藤清正が真顔になって言う。
「ここから先は我らに任せておけ。お前にはお前にしかできぬことがある。槍働きは我らに任せよ」
「そうだ。誰よりも首を取ってきて見せよう。楽しみにしておけ」
福島正則もそう言って、再び豪快に笑った。
そして、最後に陣幕を出た父が振り向き、私の顔を見て、笑顔を見せた。
4月21日未明
秀吉の帰還を知り、撤退に向けて慌てて動き出していた佐久間盛政の軍に、羽柴本隊が襲いかかった。
最初に佐久間盛政軍に喰らいついたのは、功名に飢えた若武者たちだった。
「我こそは加藤清正なり! 命の惜しくない者はかかってこい!」
加藤清正の長槍が霧を切り裂く。
そのすぐ横では、福島正則が「オラー!」という、もはや言葉にならない野獣の雄叫びを上げながら、身の丈ほどもある大太刀を振り回していた。
一振りごとに血飛沫が舞い、鎧を断つ鈍い音が響く。
脇坂安治、加藤嘉明、平野長泰ら秀吉の馬廻り若武者も、霧の中から現れる敵影を次々と槍の錆にしていく。
後に「賤ヶ岳の七本槍」として語り継がれることになる彼らの武勇は、まさに血に飢えた獣の様であった。
そして、彼ら七本槍の一人に数えられることになる、齢の離れた武者「中川清秀」。
自身の大岩山砦が落とされた遺恨を晴らすように槍を振りまわしていた。
「まだまだ暴れ足りん!先ほどの恨みの三倍返しや。ハナタレ小僧には負けん」
「掛かって来いや、ワレーー! コロしたる!」
摂津の古参大名とも思えない柄の悪い口調で、佐久間の兵たちを薙ぎ倒していた。
対する佐久間盛政もまた、織田家随一の猛将としての意地を見せた。
「引くな! 筑前どもに修理亮(勝家)様の精鋭が負けてたまるか!」
盛政は、弟である柴田勝政と共に、崩れかける陣形を必死に支えようと抗戦を試みた。
羽柴勢の激しい突き上げに対し、柴田勢もまた「織田家随一の精鋭」としての矜持を見せ、乱戦は一進一退の様相を呈していた。
しかし、その脇腹に、賤ヶ岳砦から駆け降りてきた丹羽長秀の一軍が切り込んできたことから、一気に情勢が傾いた。
史実では、余裕のなかった賤ヶ岳砦は、防戦一方だった。
しかし予め守備兵を多く配備したことで、佐久間盛政軍を挟撃することが可能となっていた。
徐々に佐久間軍は押し込まれていった。
この混乱の中で、佐久間盛政は血路を開こうと、手負いの獅子のごとく暴れ回っていた。
「逃げるな、羽柴の雑兵ども! 佐久間玄蕃の首、取れるものなら取ってみよ!」
その咆哮に応えるように、一騎の若武者が泥を蹴立てて躍り出た。
「その首、この福島正則がいただいたッ!」
大身の槍を風車のごとく振り回し、正則は盛政の懐へと飛び込んだ。
「小僧が、名を上げに来たか!」
盛政が剛剣を振り下ろす。
正則はそれを槍の柄で受け流し、火花を散らした。
二人の周囲は、いつしか静まり返った。
「貴様のような猛将を、捕らえて辱める気はない。武士として、ここで散れ!」
正則の槍が、稲妻のごとく盛政の鎧の隙間を貫いた。
「……見事なり、小僧」
盛政は血を吐きながらも、不敵な笑みを崩さなかった。
そのまま正則の槍を掴み、己の胸へとさらに深く引き寄せると、仰向けに大地を叩いた。
北國の猛将、佐久間盛政。
その壮烈な戦死は、柴田軍の最後の一片が砕け散った瞬間でもあった。
その時、余呉湖の北西、茂山に布陣していた柴田側・前田利家の軍勢五千が、突如として戦線を離脱した。
茂山を降りる前田軍の列。
それは柴田軍全体の防衛陣形に、巨大な穴を開けることを意味していた。
戦さの大勢を決したのは、武力ではなく、羽柴陣営がこれまで密かに積み重ねてきた「調略」であった。
余呉湖の南に布陣する佐久間盛政らの後方を支える要であった利家の離脱は、前線の兵たちの士気に致命的な打撃を与えた。
「又左(利家)が逃げた!」「前田が裏切ったぞ!」
柴田軍の陣中に、絶望の叫びが伝染していく。
さらに不破直光や金森長近の軍勢もこれに続いて退却を開始し、柴田軍の崩壊はもはや誰の目にも明らかとなった。
「権六(勝家)! 時代の終わりを教えてやる!」
「全軍突き上げろ! 一兵も逃すな!」
秀吉の号令が飛ぶ。
利家と対峙していた軍勢までもが攻撃に加わり、戦場は凄まじい追撃戦へと変貌した。
朝日が賤ヶ岳の稜線から昇り、余呉湖の湖面を紅く染め上げる。
その逆光の中に浮かび上がったのは、壊滅し、柳ヶ瀬へと逃げ惑う佐久間盛政の無惨な軍勢だった。
そしてその向こうに、北の巨頭・柴田勝家の本隊が姿を現した。
「市松、虎之助に遅れるな! 狙うは修理亮(勝家)の首ぞ!」
加藤清正や福島正則ら馬廻りの若武者たちが、手柄という名の獲物に餓えた狼のように、崩れゆく佐久間隊を追い回していた。
柴田勝家本陣
本陣の床几にどっかと腰を下ろしたまま、柴田勝家は眼下の地獄絵図を凝視していた。
「……又左」
「貴様もわしを見限ったのか」
その呟きに怒りはなかった。
あるのは、一つの時代が砂の城のように崩れ去っていくのを見届ける、老将の虚脱感であった。
「修理亮様、もはやこれまで! お引きくだされ!」
側近たちが必死に馬の轡を掴む。
秀吉軍の先鋒は、すでに目の前に迫っている。
「わしの首を、あのような猿の小姓どもにくれてやるわけにはいかぬ……北ノ庄へ退く」
勝家は重い腰を上げた。
勝家本隊はしんがりを置き、越前への退却路にその身を投じた。
その様子を高台から確認した秀吉は、大声で叫んだ
「勝ったぞー!羽柴筑前守秀吉が、柴田修理亮を打ち破った!」
「皆のもの勝鬨だ!!」
秀吉に従っていた兵が声を上げる「えい、えい、おう!!」「えい、えい、おう!!」
そして、その声は徐々に周囲に広がり、やがて余呉湖の周りの山々一帯から、天にも届かんばかりの大音声として鳴り響いた。
「「「「えい、えい、おう!!」」」
目の前の余呉湖は、昇りきった太陽が、戦士たちの血を洗い流すかのように、眩いばかりの青い光を水面に反射させていた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
稚拙な部分があるかもしれませんが、日々推敲しながら加筆修正していっています。
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