第71話 賤ヶ岳の戦い2ー膠着の戦線
布陣図
※記号で表現するのに限界があり、正確ではない箇所もありますので、参考程度にご確認ください。
【北:越前・近江国境】
↑
▲▲▲▲▲▲ : ▲▲▲▲▲▲
▲◎玄蕃尾城(勝家):北国街道 ▲▲▲
▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲ : ▲▲▲▲
▲▲▲▲▲▲▲▲ : ▲▲▲▲
▲◎行市山砦▲▲▲▲ : ▲▲▲▲▲▲
▲▲▲◎別所山砦▲▲ : ●東野山砦(堀秀政)
▲▲▲▲▲▲▲▲▲ /(防衛柵)
▲▲▲▲▲▲ ●堂木山砦(山路正国)
●神明山砦 :
/ ̄ ̄ ̄ ̄\ :
/ \ : ▲▲▲▲
| 余呉湖 | ●岩崎山砦 ▲▲▲▲
\ / (高山右近):▲▲▲▲
\_ ___/●大岩山砦 :▲▲▲▲▲▲
● (中川清秀 ) : ▲▲▲▲▲
賤ヶ岳砦 (桑山重晴) : ●田上山砦(秀長)
▪️秀長本陣
↓
【南:長浜方面】
天正11年(1583年)3月中旬〜下旬 近江・木之本付近 羽柴秀成
「質問よろしいでしょうか」
場が和んだことをこれ幸いと、私の背後から若々しい声が響いた。
「勝家殿は雪をかきわけて遠路出張ってきたにも関わらず、ここで睨み合ったままで良しとするのでしょうか?『かかれ柴田』の異名は伊達ではないと思いますが」
声を上げたのは、黒田長政だった。
十六歳とは思えぬ体躯を具足に包み、父・官兵衛譲りの聡明な顔つきの好青年だ。
長政は、私につけられている。
そのため、彼らからの質問や意見は私が応じるのが筋だろう。
しかも、お互いの意思疎通、主従関係の構築にこういう現場でのやりとりは重要だ。
そう思い、私は地図が広げられた机に歩み寄って、黒田長政と竹中重門の二人を手招きした。
「長政の言うとおり、向こうは睨み合いたくはないでしょう。一気に攻め寄せたいはず」
「しかし、防御を固めた砦を落とすのは至難のわざ。しかも足元は雪解け水でぬかるんでいる。おいそれとは攻められない」
「筑前守様(秀吉)も美濃守(秀長)も、今回は、武力でねじ伏せようとは考えておられません。この五万という大軍と砦を壁として、敵の三万が飢え、凍え、焦燥に駆られて自壊するのを待っているのです」
重門が、地図の上に指を走らせた。
「しかし秀成様、柴田修理亮も馬鹿ではございませぬ。内中尾山から行市山にかけての要塞化は、我らの普請に勝るとも劣らぬ速さ。彼らもまた、ここを持久戦の覚悟で土を盛っております」
「重門、そこが肝心なのだ」
私は頷き、長政と重門、そして少し離れて控える片桐且元を見渡した。
「今の戦況は、互いに巨大な盾を突き合わせ、一歩も動けぬ状態にある。だが、羽柴家には柴田家にはない『命脈』がある」
「片桐殿、どういう意味か教えてもらえますか」
実直な且元が、一歩前に出て頭を下げた。
「はっ。若君の仰せの通り、我らには琵琶湖の水運がございます。長浜から木ノ本、そして賤ヶ岳の下まで、船を使えば兵糧も弾薬も、尽きることなく運び込めます。対して柴田勢は、雪深い柳ヶ瀬の峠道一つが頼みの綱。道がぬかるみに沈めば、それだけで三万の胃袋が悲鳴を上げます」
私は大きく頷いたあと、それを補足をした。
「さらに、若狭の丹羽殿が西から敦賀、越前を牽制することで、柴田軍は兵を分けねばならない。しかも柳ヶ瀬まで進んできた柴田軍は背後を気にする必要も出てくる」
「なるほど、持久戦で有利な立場にあるのは我らということですね」
長政が小さく頷いた。
「ならば我らは、持久戦に耐えきれず暴発する身内の手綱を引くこと……特に、先ほど話題に上がった中川殿のような御方を、いかにいさめるが大事ということですね」
重門が父・半兵衛譲りの理知的な言葉づかいで、自分の考えを述べた。
「その通り」
私は地図上の中川清秀が守る大岩山砦を指で叩いた。
「大岩山は、戦線の後方にあたる。そこでじっと敵を待ち続けるというのは、辛いかも知れぬ。しかし、中川殿には、一番槍の名誉よりも、この『動かぬ重み』の価値を理解していただかねばならぬ」
竹中重門が、ふと顔を上げて私を見た。
「それで、先ほど秀成様は、陣中見舞いのご提案をされたのですね。そのような深い意味があったとは勉強になりました」
そう言って深々と頭を下げた。
傍らで聞き入っていた秀長が、柔和な笑みを浮かべながら言った。
「……ほう、黒田殿と竹中殿の倅はなかなか優秀だな。あの秀成についていっておるわ」
「それに、わからぬことを素直に聞けるという一番大事なことができておる」
その隣で藤堂も、顎を撫でながら深く頷いた。
「左様ですな。これまで若殿の周りにいたのは、我らのようなむさ苦しい大人ばかり。このような優秀な若者が近くいることは嬉しい限りです」
父達のそのような会話を聞きながら、私は思った。
(黒田長政、竹中重門、そして片桐且元……)
本来なら秀長の方ではなく、本家の秀吉を支える有力者の嫡子として、別の場所にいるはずの男たちだ。
それが今、私の元に集い、こうして私の拙い策を真剣な眼差しで頷いてくれている。
(本来の歴史から、少しずつ変わっていっている。……これがどういう結果を生むか今はまだわからないが)
三人が私の顔を見ていることに気づき、何か声をかけようと思った。
「これからも、頼りにしている」
短く、しかし力を込めて告げると、三人は弾かれたように背筋を伸ばし、一斉に頭を下げた。
私は地図の上に置かれた大岩山の駒を見つめた。
史実では、ここを守る中川清秀は、やがて来る佐久間盛政の猛攻により、砦を死守して命を落とすことになる。
そして、その引き金を引いたのは、山路正国の裏切りだ。
陣地を焼いて前方の柴田陣営に走り去った。羽柴側の軍事情報を握ったまま。
私は、地図を見ながら、じっと今後の先行きを考えた。
3月25日 秀吉本陣
秀吉が木之本に着陣してから十日あまりがたった。
膠着状態が続くなか、今後の戦略について話合うため、父が秀吉に呼ばれた。
私もそれに同行している。
本陣に入るや否や、秀吉は地図を睨みつけながら、苛立ちを隠そうともせずに扇子を叩いた。
「小一郎、来たか……それにしても動かんな、柴田の親父は」
「もう少し動きがあってもよいものを。山の上で根っこが生えたのではないか」
父は秀吉に近づきながら静かに言った。
「単なる猪武者ではありませんな。流石というべきでしょう」
「この戦が我慢比べであることをわかっておられる」
「ふんっ、猪突猛進だけで織田の筆頭家老になれるわけではないか。織田家最強というのも伊達ではないの」
秀吉は不満げな表情を浮かべ、官兵衛を見た。
「このままでは兵糧の無駄食いよ。官兵衛、これ以上時を稼がれては、岐阜の信孝や伊勢の一益に背中を突かれかねんぞ」
「ふふふ。しかし持久戦を持ちかけたのはこちら。殿が先に根を上げるのはいかがなものでしょう?」
官兵衛は意地悪そうな顔をして、ちらっと秀吉の方を見た。
秀吉は、少しばつの悪そうな顔して口角を上げて微笑んだ
官兵衛は、真顔に戻り、話を続けた。
「とはいえ、このままでは時の無駄であることは確か。こちらの有利なように戦況を動かす必要があります」
「修理亮殿は慎重に構えておりますが、隙さえあれば食らいついてくるでしょう。今は、じっとこちらの様子をうかがっている状態」
「こちらが動かねば、あちらも動きませぬ。なれば、あえて『隙』を見せて、釣り出してみましょうか」
「なるほど…では一旦、わしがここを離れてみるか? 本隊が急にいなくなれば、勝家も色めき立とう」
秀吉が顎をなでながら、そう言って官兵衛の方を見た。
父が、その提案に慎重な声で答える。
「しかし、この膠着状態で下手に動けば、どこかが崩された瞬間に、総崩れとなる恐れがあります。本隊なしで、鬼柴田を私だけで支えるのは無理がありませんか?」
秀吉が小さく頷いて言った。
「まぁ、小一郎の不安も一理あるの。官兵衛、具体的にどう見せる?」
「『美濃の信孝、伊勢の一益を討つため、筑前守は主力を率いて大垣へ向かった』――この噂を流し、実際に旗印を派手に動かして長浜まで引き上げます。柴田軍から見れば、今こそが我ら羽柴の防衛線を食い破る唯一無二の好機に見えるはず」
「……なるほど。兄者が美濃へ向かったと見せかけ、敵が山を降りてこちらを叩こうと突き出た瞬間、反転して敵の横腹を突くわけか」
父が首を上下に動かしながら、官兵衛の戦略を反芻する。
「なるほどの。それで勝家を釣り出せるかわからんが、やってみる価値はあるか」
「小一郎、お前はここで踏ん張れ。長浜からここまですぐじゃ、わしはすぐに戻って来る」
秀吉はそう言うと、扇子で手を叩いた。
「よし、決まりだ。明日、わしは長浜へ引き上げる。全軍に伝えよ。ただし、敵に悟られぬよう、悔しがりながら退くフリをせよとな!」
3月27日
秀吉は戦線が膠着する中、伊勢の滝川一益、そして美濃の織田信孝という「背後の火」を消すという理由で、本隊を連れて長浜城へと引き上げた。
主将の不在。
それは、北の巨頭・勝家にとって、唯一の勝機に見えたに違いない。
柳ヶ瀬の山頂から、勝家がこちらの防衛線をじっと値踏みしている気配が伝わってくる。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
稚拙な部分があるかもしれませんが、日々推敲しながら加筆修正していっています。
ブックマーク・評価・感想をいただけますと、今後の執筆の大きな励みになります。




