第69話 長浜の熱き夜 ― 新参と古参の語らい
天正11年(1583年)2月 近江・長浜城
長浜城内の石田三成の居室に、大谷吉継が両手で酒を抱えて入ってきた。
机上に帳面を山積みにして黙々と読み耽る三成。
その横に、吉継がドンと腰を下ろした。
「……佐吉、また帳面を睨んでいるのか。たまには手を休めよ」
大谷吉継(紀之介)が、手酌で白濁した酒を杯に注ぎながら苦笑した。
※大谷吉継の字(通称名)は紀之介、平馬など複数あり(一般に紀之介が有名)
本作では、秀吉は大谷への親心と親愛を示すため他の者が使わない名で呼んでいます。
三成は、「長浜領内・物資流通帳」と格闘していた。
「休んではいられん。冬の備えが次の合戦の勝敗を決するのだ。単なる兵糧の話ではないぞ。民の心の繋ぎ止め、街道の普請、さらには柴田方の間者への対処……すべてが絡み合っておる」
「北近江の実情を片っ端から頭に入れておかねばならん」
そう言ってから、三成はあることが頭をよぎり、吉継の方に膝を向けて語りかけた。
「紀之介、お主は見事に勝豊殿を調略した。だが、あの策の根幹を九歳の若君が描いたと知って、正直どう思った?」
吉継は杯を口に運び、目を細めた。
「……背筋が凍ったな。俺が城へ入る前に、すでに勝豊殿の逃げ道はすべて塞がれていた。俺はただ、若君が用意した『降伏という救い』を届けたに過ぎん。若君は、戦場の外で、しかもはるか前から、この絵を描いておられた。驚くしかないわ」
三成は、吉継が飲んでいる卓に近づき、杯を持ち上げて一気に酒を流し込んだ。
「先日、若君が『竹中半兵衛殿の知恵の欠片を譲られた』という意味のことを口にされた」
「お主も知ってのとおり、私はそのような人智を超えた力というものを信じぬ。だが、若君を見ていると、本当かもしれんと思ってしまう」
そう言うと、昂る気持ちを抑えられず、酒をもう一杯飲み干し、言葉を続けた。
「以前、話したかもしれんが、二年前の春、筑前守様のご命令で播磨の陣から長浜へ戻ったことがある。その際に若君にお会いし、政について話をさせていただいた」
吉継は、手酌で酒を呑みながら、三成の目を見つめて答えた。
「確か、お前の『戦いにおいて重要なことは?』という質問、ふふふ...改めて思うが、七つの子どもにする質問ではないな」
「まぁそれは置いておいて、それに対して若君が、孫子の『兵は国の大事にして、死生の地、存亡の道なり』を引用してみせたと、そうであったな?」
「そうだ、『戦は人の生死と国の存亡を決するもの。それゆえ慎重に検討しなければならない』とおっしゃったのだ。そして、『終わった後の治め方が何よりも重要』とも」
「戦とは槍を振り回して敵を何人殺すかだ!と叫ぶ馬鹿どもが多いにも関わらず、七つの子どもが言う内容とはとても思えん。常人とはまるで違う。天下を統べる者とは、こういう御方をいうのかもしれぬと思った」
「全くだ。若君の前では、我らの才など、砂浜の一粒に過ぎぬと思わされるわ」
吉継は何度も頷きながらそう言った。
その表情は、悔しさではなく、ただ、春の陽だまりに身を預けるような充足感と、明るい未来への静かな喜びに満たされていた。
二人が酒を片手に語り合っていると、廊下からドタドタと騒がしい足音が近づいてきた。
「おっ、ここにおったか! 二人だけでコソコソと酒を楽しみおって」
勢いよく襖が開いた。
現れたのは、顔を真っ赤にした本多俊政である。
その後ろから、苦笑いをした小堀正次と、盆に酒肴を載せた羽田正親が続いて入ってきた。
「本多殿、少しは声を落としてください。ここは若君の御部屋の近くですぞ」
羽田が諌めるが、本多はどこ吹く風で吉継の隣にどっかと座り込んだ。
「良いではないか。若は今、秀長様と北伊勢の滝川対策の真っ最中だ。領内経営に長く携わってきた我らも、奉行衆の先鋭らに、長浜のことを伝えておかねばならぬだろう。なにより、若のすばらしさを伝授さしあげようと参ったのだ!」
三成と吉継は顔を見合わせ、苦笑しながら座を空けた。
「……これは、小堀殿、羽田殿。この長浜のことを誰よりも知る貴殿から、いろいろとご教示いただけるのはありがたい。それに、ちょうど我らも、秀成様のことを語っていたところです」
「ほう! ならば話が早い」
羽田が手際よく酒を注ぎ回り、狭い部屋は一気に「羽柴家臣団・長浜組」の宴席と化した。
しばらく、秀成の幼少期から今までの驚く話で盛り上がった。
宴が進む中、大谷がふと真面目な顔で問いかけた。
「……小堀殿。皆様は、秀成様のことをどう見ておられるのですか。秀長様の跡継ぎとしてか。それとも……」
部屋が少しだけ静かになった。
小堀が杯を置き、三成と吉継の顔を真っ直ぐに見据えた。
「筑前様には、まだお世継ぎがいらっしゃらない。そして、今回の『秀』の字を直々に授けられた。これが何を意味するか……。石田殿、大谷殿、お主らであれば、分かっておろう?」
三成が短く答える。
「……羽柴家の、継ぎ目ですな」
「左様」
小堀の声が低くなった。
「若君は、望むと望まざるとに関わらず、権力の中心に置かれることになる」
「あの方はあまりに聡明だ。我らのような古参は、若君の知略にはついていけぬかもしれん。だが、泥を被り、汚名を被り、盾となることだけはできる」
本多が力強く頷く。
「そうだ。いくら聡明とはいえ、若君はまだお若い。人の悪意というものに、まだまだ疎い。そこは、わしらのような泥臭い男たちが守ってやらねばならん」
「……皆様のお覚悟、恐れ入りました。私と佐吉も、同じ思いです」
吉継が杯を掲げた。
「秀成様がおっしゃる『民が安心して暮らせる世』。その道を切り開くのが、我々の役目……。これこそが、最強の羽柴家臣団ではありませぬか」
「おお、良いことを言うではないか、大谷殿!」
本多が吉継の肩をバンバン叩き、再び笑い声が溢れた。
「ところで……」
羽田が悪戯っぽく身を乗り出した。
「若君も元服されたことだし、そろそろ『奥方』の話も出始めるのではないか? 織田家の姫君か、それともどこかの大名の……」
「いや、若君のことだ。案外、長浜の商家から美女を見つけてくるかもしれんぞ!」
本多が茶化す。
「いやいや! それは筑前様が黙っておるまい!」
小堀が赤ら顔で突っ込む。
古参の家臣たちの無邪気な空想話に、三成もようやく苦笑いを浮かべた。
「……皆様、気が早すぎます。まずは、来たるべき柴田との決戦に勝たねばなりませぬ」
「分かっておるわ、石田殿。だがな、あの秀成様が我らの横におられる限り、負ける気がせぬのだよ」
小堀が杯に口をつけながら静かに言った。
外では冷たい雪が降り積もっていたが、長浜城の一角は、春の訪れを確信したような熱気に包まれていた。
次話から「賤ヶ岳の戦い」が始まります!
雌雄を決する一大合戦に秀成がどう関与し、戦をどのように導いていくのか。
どうぞご期待ください。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
稚拙な部分があるかもしれませんが、日々推敲しながら加筆修正していっています。
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