第64話 秀長の至誠、秀成の救いの手
至誠とは「この上なく誠実なこと。相手や物事に対して真心を尽くす姿勢」を意味します。豊臣政権の良心と呼ばれた秀長のエピソードとして「至誠」という言葉を選びました。
天正10年(1582年)12月下旬 近江・安土城 羽柴秀成
その日の夕刻
安土城下の一室に、一人の男が運び込まれた。
前長浜城主で、柴田勝家の甥、勝豊である。
勝豊の顔色は土色を通り越し、青白い。
激しい腹痛に耐えるように腹を抱え、冷や汗を流している。
(史実ではあと三ヶ月程で死ぬ運命……だが、ここで死なせるには惜しい)
(彼は、柴田の将兵が羽柴に合流するための『架け橋』になれるはずだ)
苦しむ勝豊の症状を見て、病状を推測した。
記憶を探ってみたが、勝豊のはっきりとした死因はわからなかった。
しかし、降伏後に、急に体調を崩して亡くなっているので、おそらく急性の何かだ。
羽柴陣営による毒殺でなければだが...
今の状況から、ひとつ想像できるのは、ストレス性の急性の胃潰瘍だ。
ストレスと、それによるアルコールの過剰摂取が胃の粘膜を壊して胃に穴をあけ、出血死に至る。
その可能性が高い。
今はまだ穴が開くまで進んでいないようだが…
我々が近ると勝豊は身を起こそうとした。
父はそれを止めようと慌てて近寄り、優しく声をかけた。
「勝豊殿、そのままで結構。身体を楽にされよ」
「にしても相当の痛みのようだ。山路殿、これは急なものなのか?」
勝豊の横についている家老の山路正国が答える。
「はい、此度の戦が始まる頃から急に。徐々に痛みが増してきておるようです」
「勝豊殿。我らが言うことではないことはわかっておるが、心労によるものであろう。しばらく、ゆっくり療養してくだされ」
「此度のことは、後詰もできない飛地に貴殿を追いやった修理亮殿にも責がございます。あまりご自身を責めすぎぬようにされませ。我らは貴殿を織田の内紛を最小限に納めた功労者と思っております」
その言葉に勝豊と山路は目に涙を浮かべ、
「我らにそのような温かい言葉をいただき…感謝しかございませぬ…」
「これから本戦という時に、このような姿となってしまい筑前殿に申し訳が立たぬ…」
勝豊が痛みを抑えて言葉を捻り出した。
私は一歩進み、山路に問いかけた。
「山路殿、勝豊殿は特に最近、心労から酒を浴びるように飲んでおられましたか?」
山路は、主の心根についての質問に答えを窮し、勝豊をチラッみた。
それに気づいた勝豊が、「そうだ」と短く答えた後、言葉を続けた。
「わしは、親父殿を裏切り、先祖代々の名を汚した……この腹の痛みは、その報いに相違ない……」
(やはりそうだ。アルコールとストレスが胃を破壊している)
横で私の話を聞いていた秀長が尋ねてきた
「秀成、何かわかったのか?」
「はい、父上」
「あくまで想像にすぎませんが、過剰な酒と心労が臓腑を壊しているものと思います」
「京の薬師から借りた書物にそのような病が載っていたように記憶しています」
薬師殿の存在を借り、上手くごまかしながら父に説明する。
「ならば、治療の方法もあるのか?」
「はい。うろ覚えではありますが」
そう言うと、すぐに三成を呼び、すぐさま「醍醐(牛乳)」の調達を命じた。
「石田殿、すぐに牛の乳を。新鮮なものが手に入らねば、乾かした『蘇』でも構いません。それを湯で溶き、人肌の温度で勝豊殿に飲ませてください」
「胃の壁を保護する盾となるようです」
勝豊に向い合い、話しかける。
「勝豊殿、しばらくの間、酒と塩気のあるものは一切、口にしてはなりません。今用意させているものだけを飲むようにしてください。痛みを和らげ、壊れた臓腑を回復してくれます」
続けて、父に言う。
「父上、即刻、京へお移ししましょう。優秀な薬師もいますので」
「今回の戦の最大の功労者を病のまま放置しては、羽柴の体面にも関わります」
父は大きく頷き、主従に声をかけた。
「勝豊殿、すぐに京へお移しいたします。優秀な薬師も手配いたしましょう」
「それと、山路殿。勝豊殿のことは我らにお任せください。決して粗略には致しません。そして、貴殿には勝豊殿に代わり、北近江の守りについていただきたい」
勝豊は、何も言わず、秀長と秀成の顔を交互に見つめ、そしてぼそっと言葉を発した。
「……秀成殿。我らのことを織田家の最大の功労者と言われるか……わかり申した。心遣いに感謝いたす。私の身体一切をお任せいたす」
そう言って深々と頭を下げた。
勝豊は頭を上げると、大きな目を見開き叫んだ。
「正国!これよりわしの名代として我が軍を率い、秀長殿の与力となれ。秀長殿をわしと思い仕えよ」
「ははっ! 身命を賭して」
山路が額を畳につけるまで頭を下げ、それに応じた。
父と主従のやり取りを見ながら思った。
(史実では、山路は賤ヶ岳の戦いの最前線に配置されるが、開戦後、柴田側に寝返る)
(勝豊が亡くなるのは開戦直後のはず。主君を亡くし、再び勝家に仕えようとしたのだろう)
(逆にいうと勝豊が生きている限り、山路は裏切らない)
父が、満足げに頷いた。
「勝豊殿、しっかり養生なされよ。この秀長が全力でお助けいたす」
山路正国
主、勝豊様が投降を決したと聞いた時、私の胸中にあったのは、あきらめの心境と主への憐憫であった。
親父殿(勝家)に粗略に扱われているのではないか、捨て駒にされたのではないかと思い悩み、それを振り払うように酒を浴びるように飲むようになった。
やがて、臓腑に痛みを訴え、心も身体もぼろぼろになっていった。
「親父殿(勝家)を裏切った」という謗りは決して免れまい。
しかし、勝豊様を死地へ追いやった者に何が忠義か。
私は、自身の命を繋ぐ道を選んだ主を、責める気にはなれなかった。
戦国は非情だ。降った者に待つのは、冷遇か、あるいは捨て石としての酷使。
そう覚悟して長浜の土を踏んだ私を待っていたのは、予想だにできない光景であった。
「勝豊殿、しっかり養生なされよ。この秀長が全力でお助けいたす」
羽柴秀長様は、一戦もせず城門を開いた我らに対し、まるでお家の重鎮を迎えるような穏やかさで言葉をかけられた。
その隣の嫡男・秀成様もまた、若輩とは思えない思慮と知恵、慈悲の心の持ち主であった。
「今回の戦の最大の功労者を病のまま放置してはならない」
秀成様の言葉に、私は思わず顔を上げた。
裏切り者、腰抜け、そう蔑まれることを何より恐れていた勝豊様を、この若者は「最大の功労者」と評価してくれたのだ。
私の中で張り詰めていた何かが、音を立てて崩れ去った。
ただの降将ではない。一人の武士として、その生き様を見届けてくれていた。
主・勝豊様の命を救うだけでなく、その傷ついた誇りまでも、この親子は包み込もうとしている。
秀長様の近習によって担がれ、寝室に運ばれていく主を見ながら、私は自然と言葉を発していた。
「……あ、ありがたき幸せに存じます」
その言葉とともに、私は畳に額がつくまで平伏した。
目に映る畳がぼやけ、やがて流れ出る雫で畳が濡れていく。
堪えようとすればするほど、嗚咽が胸の奥からせり上がってくる。
涙を拭うことも忘れ、私は、ただ平伏し続けた。
なんとか感情を抑えられるようになり、頭を上げた私の視界に、羽柴の親子が温かい表情が映った。
私は、主・勝豊様の言いつけを踏まえ、声を振りぼった。
「羽柴秀長様。この山路将監正国……此度、全身全霊で貴方様に与力することを誓います。この命、勝豊殿に賜った慈悲の報いとして、粉骨砕身、お役に立ててみせましょう」
勝豊は翌日、手厚い警護と共に京へと送られていった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
稚拙な部分があるかもしれませんが、日々推敲しながら加筆修正していっています。
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