第60話 佐和山への帰還 ―祖父・磯野員昌
天正10年(1582年)12月上旬 近江・安土城
羽柴秀吉
近江の空は低く垂れ込め、安土城(本能寺の変後に燃えたのは天守だけで他の城郭は残っていたとされている)から見える比叡の山々は白く霞んでいた。
湖面を渡ってくる寒風が、再建の進む安土城の瓦を激しく打ち鳴らす。
しかし、その寒さを焼き払うほどの熱気が、城下には満ち溢れていた。
山城、丹波、北摂、そして近江各地――
秀吉の発した動員令に応じ、続々と兵が集結していた。
その数、およそ二万。
本丸御殿の一室。
黒田官兵衛が、書状を手に秀吉の前へ進み出た。
その口元には、獲物を罠に誘い込んだ猟犬のような、冷徹な笑みが張り付いている。
「岐阜より、返書が届きました」
「して、何と?」
秀吉は、火鉢の赤々と燃える炭に手をかざしながら、低く問いかける。
「幼少の三法師様は後見人である信孝様の元で育てる」
「筑前守が専横する安土に移すことはせぬ、さらに信雄殿の名代は絶対に認められぬと」
「まぁ、断固拒否でございますな」
「ふん、甘いことよ」
「己が攻められるとは、微塵も思っておらぬ」
秀吉は勢いよく立ち上がり、格子窓の隙間から見える灰色の空を睨みつけた。
「越前の雪が深くなるのを待っておったのだ。勝家はもう動くことはできまい」
「小一郎、秀政、 準備はよいか」
「「はっ」」
傍らに控えていた秀長、堀秀政が同時に頭を下げる。
「予定通りじゃ。これより我らは三法師様をお救いするため、大義の兵を挙げる」
「まずは北近江、長浜城からじゃ」
「小一郎、先鋒を任せるぞ」
羽柴秀長
評定を終え、あてがわれた自室に戻ると、秀成が座って待っていた。
秀長が、先ほどの評定の内容を簡単に伝えた。
「信孝殿から、三法師様を安土へお移しすることに断固拒否の返答があった」
「我らは、予定どおり、北近江、美濃の攻略に向かう」
「兵も順調に集まっておる。明日には出発じゃ」
秀成が答える。
「なるほど、読み通りの動きになりました」
「私は、どこまでご一緒できるのでしょうか?」
「できれば、祖父の居城であった佐和山城まで行ってみたいのですが」
「そうだな。安土では戦場から遠い」
「佐和山まで許す。磯野殿と高虎を置いておく」
秀長はそう言って秀成を見るが、なんとなく不安になった。
「じっとしておれよ」
「ありがとうございます!わかっております。伯父上や父上、官兵衛殿が立てた戦略を邪魔するようなことはいたしません」
「お祖父様、藤堂殿から、戦のいろはを教えていただきます」
秀長は、上機嫌な我が子の姿を見て、ため息をついた。
初陣を楽しんでいることは、頼もしく思わねばいかんのだろうが...
こやつには、戦の厳しさを教えねばならんな。
磯野殿と相談するか。
そう考え、静かに部屋を出た。
羽柴秀成
翌日、羽柴軍は、安土城を出発し、佐和山城に向かった。
佐和山城に着く頃には、遅れて到着した中川清秀、高山右近、そして丹波の羽柴秀勝の軍勢が合流し、軍勢は瞬く間に四万を超える大軍へと膨れ上がった。
道中、秀成の隣には、かつてこの城を拠点に浅井家を支えた「猛将」磯野員昌がいた。
織田家に降ったあと、娘の縁がきっかけとなり、孫の成長を見守る守護者として再びこの地に立っている。
私は、祖父とこの城に来られたことに、内心歓喜していた。
しかし、不器用な祖父にそれを悟られると、離れていくのではないかと不安で、努めて平静を装っている。
元服後、乗馬の訓練を必死にやったおかげで、普通の行軍に交じって移動するくらいはできるようになり、祖父と並んで馬上の人になっている。
私は、馬に揺られながら、戦国の武将、磯野員昌を憧れの想いで見上げた。
それに気づいた祖父が、馬上から話かけてきた。
「佐和山は長浜の喉元を締める要であり、中山道を通って美濃へ抜ける分岐点でもある」
「ここがいかに重要な城がわかるか?」
「はい。近江から越前、美濃をつなぐ要衝です」
「だからこそ、かつてお祖父様が守護していたのでしょう?」
私は、尊敬の念をもって答えた。
「わかっておるか」
「しかし、そんな世辞はいらん。結局は、降伏して門を開いたのだ」
祖父はふんっと鼻を鳴らした。
「戦の勝敗は時の運。精一杯戦った結果であれば、誇ってよいと思います」
「姉川の戦いでは、佐和山城に立て籠もり八ヶ月もの間、足止めし、信長公もお祖父様の武功を大いに褒め称えられたと聞きました」
「何より、お祖父様の”姉川十一段崩し”の話は、何度聞いても胸が躍ります」
私がいかに祖父の武功を尊敬しているか伝えると、満更でもなさそうな顔をして、すぐに真顔に戻った。
「わしの過去の武功話はよい。それはまた今度だ」
「我々は城に入るぞ」
「ないとは思うが、美濃方面からの後詰に備えねばならん」
私は、祖父の視線を受け止め、力強く頷いた。
佐和山城に残るのは、祖父と父の兵の一部、堀秀政の近江の兵、合わせて一万。
長浜を包囲する本隊の後方支援、そして美濃への牽制という役割を担うこととなった。
そして、残りの三万が、足を止める事なく北へ進軍していった。
動いたからには迅速をもって事にあたる。これが、羽柴軍の強さの理由なのかもしれない。
周囲が動き出す前に、何よりも早く長浜城を囲むことが、本作戦の肝でもあった。
城に向かって進む間、馬上から佐和山城を見上げた。
元亀元年(1570年)6月、初夏の近江。
姉川の浅瀬を血で染めた戦いの中で、ひときわ異彩を放つ武名がある。
浅井家先鋒・磯野丹波守員昌。
浅井四翼と謳われた猛将であり、私の祖父だ。
人々に語られる「十一段崩し」は凄絶だ。
織田信長が敷いた十三段に及ぶ縦深陣を、員昌率いる一隊が次々と粉砕。
坂井政尚から始まり、池田恒興、木下藤吉郎、果ては柴田勝家に至るまで、織田家が誇る重臣たちの陣を「十一段」まで突き破り、信長本陣に肉薄したという。
本当に十一段もの陣を突き破ったかはわからない。
しかし、織田軍の正面を突き上げた磯野隊の攻勢は凄まじく、信長本陣が一時、馬廻り兵(親衛隊)のみで防戦せねばならぬほど追い詰められたことは事実のようだ
その武人の血を継ぎ、秀長の息子として戦国乱世に足を踏み入れていることに興奮を覚えた。
胸が熱くなり、顔も上気しているのがわかる。
胸を張り、意気揚々と馬上の人となっている磯野員昌を見上げた。
私も佐和山の城に向かって、大きく胸を張った。
かつて浅井の旗を背負い、この城で落日を見届けた老将と、その血を引き継ぎ、羽柴の旗の下で新たな時代を拓こうとする若武者。
二人の影は、夕映えの佐和山城へと長く、力強く伸びていった。
「十一段崩し」の逸話は、当時の資料にはなく、後世に書かれた軍記物浅井三代記にあるのみで、歴史事実としては懐疑的な見方が多いです。しかし織田軍を追い詰めるほどの突撃と奮闘があったことは事実のようです。
本作では、十一段崩しがあったものとして扱っています。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
本作は連載を続けながら、表現や構成を見直しつつ推敲を重ねています。
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