間話 見届け人・マル
天正10年(1582年)10月 京・山崎城 羽柴秀成
月下の宴から数日後
元服の余韻はまだ屋敷のあちこちに残っていた。
奥庭では、秀成が、子供用に仕立てられた真新しい素袍(すおう:男性武家の普段着)を着て、ぎこちなく歩いている。腰には刀を1本さしている。
慣れない装いに、紐の締め具合や足元が気になり落ち着かない。
「……これでよいのか」
誰に言うでもなく呟いた、その時。
廊下の向こうから、ぱたぱたと軽い足音が近づく。
山陰柴犬のマル。
茶色の毛並みが朝日に柔らかく光る。
耳はぴんと立ち、尾はくるりと巻いている。
秀成の元にやってきてから1年半が経ち、成犬と見分けがつかないほど大きくなっている。
いや、すでに成犬なのかもしれない。
マルは一瞬、立ち止まり、首を傾げる。
くん、と鼻を鳴らす。
(誰だ)
そんな顔だった。
私は少し笑う。
「マル、私だ。わからないか?」
声を聞いて疑問が晴れたようだが、慎重な足取りで近づいてくる。
足元の近くまでやってきて匂いを嗅ぎ、間違いないと思ったのか、ぱっと顔を見上げる。
そして、尻尾をぶんぶん振りながら、顔を膝に擦り付けてきた。
しゃがみこんで、
「ちょっと時間がかかったんじゃないか? マル?」
「見慣れない服装だから仕方がないかもしれないが」
そう言って、頭を撫でた。
マルは袖から出た私の腕を舐めようとする。
しばらくそうした後、私から離れ、庭を元気よく走り始めた。
「はは……お前も喜んでくれているのか?」
「秀成」
そう呼ぶ声がして振り向くと、廊下から信吉が腕を組んで見ていた。
「相方にも不審がられていたな」
そう言って笑った。
「それも仕方がない。見違えるように凛々しくなったな秀成」
「様になっているぞ」
まだ服に着られている私を温かい目で見ながら言った。
マルが、そんな信吉に気づき、廊下を駆け上り足元に座った。
信吉はしゃがみ込み、無造作に頭を撫でる。
「こいつは利口だな」
マルは満足そうに目を細める。
「お前がどう変わろうが、こいつは離れることはないのだろう」
「はい」
「マルは私の相棒ですから」
私はそのように答え、続けようと思ったことばを飲み込んだ。
(兄上とも離れません)
私はゆっくりと信吉に近づき、話しかけた。
「兄上」
信吉が顔を上げる。
「何だ」
「先日、半分よこせ、と言われましたね」
信吉は照れ笑いをしながら、答えた。
「あぁ、言ったな」
「兄上が背負うものも、半分、私によこしてください」
「今すぐには無理かもしれませんが」
「背負われるだけでは嫌です。私も背負いたい」
信吉は一瞬きょとんとし、やがて声を立てて笑った。
「言うではないか! 竹…いや、秀成」
「その言葉、嬉しいぞ」
「では、いずれ半分は背負ってもらおうか」
「はい!」
私は大きな声で答えた。
そして、マルの顔を抑え、二人の顔を見る位置へ動かした。
「マルが見届け人です」
「私と兄上が背負うものを分け合うという約束の」
マルは、意味はわからず尾を振っている。
その尾が、二人の裾を軽く打つ。
信吉はマルの顔を見つめたまま言った。
「約束しよう。お前が見届け人だ」
そして、私の顔に目を向け、にこっと微笑んだ。
マルの耳はぴんと立ち、二人の誓いに耳を澄ませているようだった。
数日後、大徳寺で法要が営まれる。
そこで、私は、初めて公の場に出ることになる。
それが羽柴の家にどんな影響を及ぼすのか…いや、そうではない。
よい影響を与えられるよう、精一杯努力しよう。
マルの黒い眼差しを見つめながらそう思った。
※元服の話は終わり、次話からいよいよ話が動きだします。
お読みいただき、ありがとうございます。
先週、作品の創作活動の充実、推敲時間の確保のため、毎週金曜日を休載させていただくとご報告しましたが、必要に応じて間話回をはさみながら、毎日の投稿を続けたいと思います。
休載する場合、都度、報告させていただきます。
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