第49話 葬れぬ主君
天正10年(1582年)9月 山城・山崎城 羽柴秀吉
京の町は、秋の気配を帯びていた。
暑さは和らぎ、朝夕には冷たい風が通り抜ける。
人々は日々の営みを取り戻しつつあった。
しかし、本能寺の変から三か月が過ぎているにもかかわらず、天下人・織田信長の葬儀は、いまだ行われていなかった。そのことが、薄もやのように畿内一円に広がり、重い空気を作り出している。
小規模な供養なら、各地でなされている。
寺ごとの読経も、家臣たちによる私的な弔いはされている。
しかし、「織田家が主催する葬儀」はまだ営まれていなかった。
それは、怠慢でもなく、もちろん忘却でもない。
決められないのだ。
誰が喪主となるのか。
議論はまったく進まなかった。
本来であれば、当主が喪主を務めることになる。
しかし、当主の三法師はまだ三歳。
当然、喪主を務められるはずはない。
この場合、有力な親族が喪主となるのが普通だが、今、これが問題となっている。
後見人の2人の兄弟が自分が喪主になると譲らない。
織田信孝は主張する。
「自分こそが、父の志を最も理解する者だ」と。
織田信雄は譲らない。
「自分こそが、嫡流である」と。
どちらも一歩も引かない。
幼い当主が、決断できるわけもなく、時間だけが過ぎていた。
主君を、葬れない。
それは、政権が機能していない証だった。
天正10年(1582年)9月 京・山崎城 羽柴秀吉
羽柴秀吉は、その報せを山崎城の一室で聞いていた。
秀吉の前には、秀長と官兵衛が座り、各所から届いた書状を畳の上に広げていた。
それらは、どれも同じ内容を伝えている。
喪主が定まらず、葬儀の準備が進まない。
天下の大大名・織田家が、元当主の葬儀もできずにいるのは沽券に関わる。
秀吉は一通ずつ目を通し、最後に目を瞑った。
怒りはない。
苛立ちも不安もない。
胸にあるのは、一縷の寂しさ、そして底知れぬ野心だった。
「……信長公をまだ、葬れぬのか」
ぽつりと、声が落ちる。
「元当主の葬儀もできぬとは」
「このままでは織田家は持たぬ」
秀長が答えた。
「兄弟での喪主を巡る争い。よく聞く話ではありますが...」
「この手の話は、すぐに解決することは難しい」
その口調には、抑揚がない。
秀吉は目を閉じ、静かに考えている。
しばらくして、低い笑い声を口からもらした。
「ふふっ、あの清洲のときから、こうなるのは見えていた」
「我が強く、我慢のできないあの兄弟が、仲良く後見に収まるはずがないわ」
「...さて、織田が崩れるまでに、家老として動くとするか」
「小一郎、官兵衛、近こう寄れ」
秀吉の目が鋭くなる。
低く腹に響く声でゆっくりと話す。
「我らが取るべき選択肢は1つじゃ」
「喪主は、我が養子、秀勝殿」
「信孝殿、信雄殿いずれを喪主にしても織田家が割れる」
「割れないようにするなら、第三局を担ぎ上げるのが常套よ」
秀長が答える
「秀勝様は、信長公の四男。信孝殿、信雄殿ともご兄弟」
「血筋には問題ありません」
官兵衛が補足する。
「信孝様は、三法師様を抱え込み岐阜から出てくることはないでしょう」
「信雄様は、信孝殿を牽制するだけで主体的には動かないはず」
「であれば、やってしまった者勝ちですな」
そう言って、口角を上げた。
「そういうことよ」
「喪主は秀勝殿でいく」
秀吉はそう宣言して、ゆっくりと座敷を見渡した。
秀長が同意する。
「異論はございません」
官兵衛も頷いた。
それを見た秀吉も小さく頷き、言葉を続けた。
「問題は、その後だ」
「これは葬儀であって、ただの葬儀ではない」
「うまく使い分けることが肝よ」
官兵衛が腕を組み、少し考えてから答える。
「秀勝様は単なる喪主に過ぎず、それ以上ではない...ということでしょうか」
「そうだ」
秀吉が扇子で膝を叩いた。
「秀勝殿はあくまで亡き信長公の子として喪主を務めるだけ」
「葬儀の主催はわしよ」
「わしが主催者として、秀勝殿の後ろに立つ」
「信長公ゆかりの品でも持って参列するか」
「実質的に誰が織田家を差配しているのかを、天下に示す」
「そういうことですね」
秀長はそう言って、秀吉の顔を見つめる。
「その通り」
「織田家の家老として、葬儀ができないことを憂い、葬儀を主催する」
「誰も文句は言えまい」
「まぁ、信孝殿、信雄殿は文句を言ってくるであろうが」
官兵衛が低い声で問いかける。
「両者が組まれるとやっかいですぞ」
「我らを逆臣として、織田家がまとまれば...」
それを聞いた秀吉はふっと笑った。
「そんなことにはならん」
「その前に、どちらかを取り込む」
「三法師様を抱える信孝殿を取り込むことはできぬ」
「ならば、信雄殿よ」
一瞬の静寂。
誰も言葉がでなかった。
意を決したように秀長が口を開く。
「信雄殿をどのようにして取り込みますのか?」
「当主に据える。とでも言えばよかろう」
秀吉は軽く言う。
「なっ」
二人の目が開らき、言葉を失った。
「なにを驚いておる」
「なにも決められない当主三法師様が、信雄殿に変わっても同じではないか」
「信孝殿の上に立つことしか考えていないあの御仁は、この誘いに絶対に乗ってくる」
秀長は疑問に思ったことを口にした。
「しかし、三法師様を御当主から降ろすとなると、丹羽殿、池田殿、堀殿のご了解がいります」
「少し、難しいのでは」
秀吉は、顎を撫でながらしばらく考え、
「小一郎の言うとおり。流石に当主は無理か」
「...なら、名代でどうじゃ」
「後見人という立場が曖昧なために、今回のことになっておる」
「嫡流の信雄様に名代になっていただく」
「当主が成年するまでの当主代行ということであれば、あの三人も拒否できまい」
「それであれば、問題ありません」
「今の事態を、丹羽殿も池田殿も良かれとは思っておられないでしょうから」
秀長が答えると、秀吉は大きく頷いた。
黙って聞いていた官兵衛の目が鋭くなる。
「信雄様の名代を、信孝様は絶対にお認めにはならない」
「となると、信孝様と信雄様の正面対決に」
「そうよ」
「そこで我らは名代・信雄殿にお味方し、逆らう敵を討つ」
秀吉が言い切った。
「信孝様は、名代に逆らうただの一門」
「そして、その信孝様に味方する者も逆賊として討つ」
「見事な策でございます」
官兵衛がそう言って、頭を下げた。
秀吉が笑いながら答える。
「よい策であろう」
「立てない主家を支えるのは、家老の役目よ」
「だが、その名代という一手が、織田家を骨抜きにする」
「では、この道筋で丹羽殿、池田殿を説得してまいりましょう」
「このお二人をお味方にすれば、この話は通ります」
秀長が淡々と言うと、秀吉はゆっくりと立ち上がり、掌を扇子で叩いた。
「亡き信長公を、織田家として、きちんと葬る」
「それだけのことよ」
だが、”それだけ”ができぬ家に、天下は任せられぬ。
それならば、わしが動く。
秀吉は立ったまま話を進める。
「葬儀は、できる限り豪華にする」
「小一郎は、兵を率い警護の役を頼む」
「一万、いや二万を動員する。羽柴の兵を総動員だ」
秀長と官兵衛は、秀吉が何を意図しているのか正確に理解していた。
官兵衛が言う。
「信孝様、信雄様が葬儀の邪魔をするため兵を出すとでも噂を流しましょう」
「あと、羽柴は三万で警護をするとも」
秀長が苦笑する。
「では、三万の兵で護衛いたします」
「洛中に羽柴の力を見せつけましょうぞ」
庭を渡る風が、すすきを揺らした。
信長公の法要は弔いであると同時に、新たな秩序の始まりになる。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
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日々推敲しながら加筆修正をしていく予定です。
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