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戦国転生したら秀長の息子でした ~宰相の子として豊臣を滅亡から救います~  作者: 丸三(まるぞう)
動きだす歯車

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第38話 成すべき道 ー 中国大返し

天正10年(1582年)6月3日夜 備中・高松城包囲陣地 羽柴秀吉

備中高松城は、湖のように静かだった。


いや、湖そのものになりつつあった、と言った方が正しい。

羽柴方が堤を築き、足守川の流れを操り、水を引き入れた。

城を攻めるのではなく、水で包みこむ。

城下はじわじわと水位が上がっていく。


戦国の合戦は、しばしば「力比べ」に見える。

しかし、実際は、人を斬り合う前に、道を断ち、田を奪い、兵糧を削る。

持久戦だ。

今、高松城の周囲で最も忙しいのは、兵ではなく普請奉行と百姓である。


その普請の中心にいるのが、羽柴秀吉、総大将本人だった。


日が傾き、陣中の影が伸びるころ。

秀吉は、本陣で地図を広げ、家臣の報告を聞いていた。

声は大きく、眼は鋭い。


「水位はどうじゃ」


「堤は持ちこたえています。昨夜の雨でも崩れてはおりません」

報告したのは、普請を取りまとめる石田三成。

秀吉は頷き、口元だけで笑った。


「よいよい。城は水に弱い。人は飢えに弱い」


その背後で、秀長が黙って立っていた。

兄の派手さを支える影。

言葉は少ないが、戦の裏方はこの弟が担っている。


「毛利の援軍はどうじゃ?」


「動きは鈍うございます。吉川・小早川は陣を固め、こちらの出方を見ております」

秀長が応じる。


「見ておるか。悠長なことよ」

秀吉は指で地図を叩く。

「見ている間に、城が沈むわ」

そう言って静かに笑った。


高松城は、毛利方の要衝である。備中の平野に突き出した楔。

ここを落とせば道が開く。だから毛利も簡単には捨てられぬ。


だが、毛利が本当に恐れているのは城の一つではない。

この城が落ちれば、備中全体が織田に靡く。

そうなると、毛利単独では織田に対抗できなくなる。



日が沈み、陣中に灯が点る。

遠くで蛙が鳴き、湿った風が堤を撫でていく。

水攻めの陣は、静かで、異様に落ち着かない。

血の匂いがない代わりに、湿った土の匂いが充満する。


陣屋の外がざわついた。

駆け足の音。息の切れた声。


やがて、泥まみれの使番つかいばんが転がり込むように頭を下げた。

「――御注進!」


秀吉は身じろぎもせず、ただ目だけを細めた。

「何じゃ」


使番は声を絞り出す。

「京、本能寺にて……信長公……御最期」


一瞬、陣幕の中から音が消えた。


秀長が息を呑む音がした。

側近たちの顔から血が引く。


誰も動かなかった。いや、動けなかった。


しばらくの沈黙の後、最初に口を開いたのは秀吉だった。

「……誰が申した」


秀吉の声は低く、妙に静かだった。


使番は、息を切らしながら伝える。

「近くの街道を馬で走り抜ける者がおり、静止を振り切ったため捕らえ尋問いたしました」

「明智日向守から毛利方へ宛てた書状も押収してございます」

「明智……惟任これとう日向守が謀反し、京にて大殿が討たれた模様」


そこまで聞いて、秀吉の指が、地図の上で止まった。


 明智。


信長の側近中の側近。

丹波を治め、畿内の要を押さえ、朝廷や公家とも通じる男。

大殿に最も信頼され、織田家中で最も出世していた男が、謀反?


常識ではありえない。

だが、戦国とは、ありえないことが起こる世だ。


秀吉は、ゆっくりと息を吐いた。

そして、笑った。


大声の笑いではない。

唇の端がわずかに吊り上がるだけの、冷たい笑いだった。


「……なるほどな」


周囲が固まる。


秀吉は、さらに問う。

「信忠様はいかがされた」


「二条城にて……討死と」


誰もが言葉を発しない。

空気が鉛のように重い。妙に重い。


秀吉は立ち上がった。


「全員、口を閉じよ」

陣中には耳がある。

毛利にも、味方にも、まだ誰が敵になるか分からぬ者にも。


「今この場で聞いたことは、誰にも言うな。言えば首を刎ねる」

秀吉の声が鋼に変わった。

兵たちの喧噪が遠のき、部屋の中だけが真空になる。


秀長が一歩前に出る。

「兄者……どうされます」


秀吉は答えなかった。

代わりに、地図を畳み、扇子で叩いた。


「毛利と和睦する」


家臣の一人が反射的に叫んだ。

「今ここで和睦など!もうすぐ高松は落ちます! 毛利を屈服させる好機―」


「好機じゃとっ?」

秀吉の目が、その男を射抜いた。

「天下が燃えとるのに、城ひとつで満足する気か!」


誰も言葉を継げない。


秀吉は続ける。

一言一言が遅い。

「わしが今ここで毛利を潰す。……それで何になる」

「明智が京を押さえ、諸将が明智に靡け(なびけ)ば、わしらは西の果てで孤立するわ!」

「信長公の名が失われた今、天下は空白じゃ。空白は、埋めた者のものになる」


秀長が静かに頷く。

「……講和の窓口は」


安国寺恵瓊あんこくじえけえ

秀吉は即答した。

毛利方の外交僧。情報と交渉の要。


「小早川・吉川は勝ちたがっておらん。守りたいだけじゃ」

「守りたいなら、守らせてやる。今はな」

「奴らはわかっておらん。この戦国の世で守りに入れば終わりだ」

秀吉は誰に言うとでもなく呟いた。


そして、叫んだ。

「急げ、信長公のことが毛利に知られる前に和睦せよ」

「知られれば、我らは西から動けなくなる」



翌日(6月4日) 交渉は始まった。


水攻めの堤の向こうでは、高松城が沈みかけている。

城内の兵糧は尽き、兵は疲れ、守将・清水宗治は腹を決めていた。


武将は、城を捨てても、名を捨てることは難しい。

宗治が選んだのは「城を救うための名誉の死」だった。


宗治は切腹し、城門が開いた。

毛利方は面目を保ち、羽柴は時間を手にした。


勝ち負けではない。

時間を買う。

秀吉は、それを選んだ。


そして翌日、毛利方に悟られないよう静かに、だが早急に撤退の準備が始まった。



――中国大返し。


後世、人々はその偉業を驚嘆の念をこめて口にする。

しかし、それは英雄による神技ではなく、奉行衆の周到な準備の上で行われた行軍だった。

秀吉軍は6日に大規模な撤退に入り、摂津・尼崎まで6日をかけている。

しかも、本拠地の姫路城で丸一日休息をとっている。

1日30キロ前後の行軍は、整備された街道を使うのであれば、無理な距離ではない。


しかし、2万を超える軍隊に水や食糧を配分し、夜の寝床を手配することなしに、この行軍はできない。

撤退軍の先を走り、これらの準備を整えたのは石田三成をはじめとする奉行衆だ。



秀吉は、兵の前で笑っていた。

「よいか、皆の者! わしらは逃げるのではない。大義を果たしに行くのじゃ」

「大殿に刃を向けた逆賊を討つのだ!!」

「大殿はご無事じゃ! 逆賊を討てば褒美は思うままぞ!」


兵は歓声を上げる。


秀長はその横で、兵站の算段をしていた。

先を走る奉行衆から、秀長の確認と指示を仰ぐ書状が間断なくやってくる。

どこで飯を食わせ、どこで休ませ、どこで馬を替えるか。


今ここで止まれない。止まってはいけない。

遅れれば遅れるだけ、明智の天下を固めてしまう。



6月7日(本能寺の変から5日後)

秀吉本隊は播磨・姫路城に到着した。


秀吉と秀長はここで京の情報収集、播磨の国人衆の結束固め、摂津方面での味方の確保に奔走していた。

 大殿も当主信忠様も無事。

 明智の謀反は失敗した。

 大殿から逆賊を討てとのご指示だ。

「織田家はびくともしていない」という徹底した情報操作で、羽柴軍および播磨、摂津の諸将の取りまとめに動いている。



6月8日午後


使番が、秀吉と秀長のもとにある男を連れてきた。


旅装の商人。顔は煤で汚れ、袖は泥だらけだ。


男は膝をつき、懐から文を取り出した。

「京、近江で商いをしております伊勢屋の手代にございます」

「長浜より、筑前守様ご内室様と竹若様の書状を預かってまいりました」


ねねからの文は秀吉に、竹若からの文は秀長に手渡された。


秀長は、文に目を通す。

確かに竹若の字だ。少し神経質な丁寧な筆づかい。

最後に小堀正次も名を連ねている。


書かれた内容は、驚くほど簡素だった。

『家族は全員無事。

 長浜から退避し、山寺で身を隠している。

 安心して成すべきことを成してください。』


秀長は、お初と竹若が無事であることに心から安堵し、涙を隠す様に天井を見上げた。


隣で秀吉もねねの文を読んでいる。

『御母堂様、秀長殿の奥方、若様とも皆無事。

 磯野勢の護衛にて大吉寺に退避。

 城中の者も概ね散ぜず。

 急ぎご安心あれ。』


秀吉の指が、紙の端で止まった。

しばらく、動かなかった。


周囲は息をするのも怖いほど静かになる。

秀吉は、ゆっくりと膝をついた。

畳の上に、膝が沈む。

誰かが駆け寄ろうとしたが、秀長が手で制した。


秀吉は文を胸に押し当てるように握りしめ、肩を小さく震わせた。

声は出さない。泣き声も、嗚咽もない。

ただ、喉の奥で何かが崩れる音だけがした。


天下を狙う野心家の顔から、一瞬だけ化粧が落ちる。

その瞬間を見たのは、秀長だけだった。


秀長は兄の側に膝をつき、低く言う。

「……無事にございます」


秀吉は何も言わない。頷きもしない。

ただ、もう一度、読み返した。


そして、ようやく―


秀吉は顔を上げた。

目は赤い。だが、笑っていた。


「……そうか、生きておるか」

声が掠れる。

「……よかった」

それだけ言うと、秀吉は立ち上がった。


秀吉は文を懐へ入れ、商人に言った。

「伊勢屋…と言うたか。ようやった」

「褒美は、後でたんまり取らせる」


商人は額を畳に擦りつけるように頭を下げた。



秀吉は、家臣の方へ向き直った。

そして、秀長の方を見ず、

「竹若はなんと書いておった」

と短く聞いた。


秀長はただ一言答えた。

「安心して成すべきことを成せ...と」


それを聞いた秀吉は部屋が揺れるほどの大声で笑った。

「うはっはっは!」

「小僧に発破をかけられたわ!!」

「愉快なやつよ」


「行くぞ。天下が空いておる」

「明智が座る前に、わしが座る」



ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

本作は連載を続けながら、表現や構成を見直しつつ推敲を重ねています。


ブックマーク・評価・感想をいただけますと、今後の執筆の大きな励みになります。

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― 新着の感想 ―
 熱い。胸が熱い…(´;ω;`)
盛り上がってますね。 秀吉に一段と気に入られたところで、竹若くんに弟か妹はできないのかなとふと気になりました。授かりものですがおねだりはしてみては?と伝えたいですね。 毎日楽しみに読んでます。寒暖差が…
成すべきことを~、 陰謀の証拠・・・に見えつつも、書いてることは惚けてないで仕事しろってことだろうかw 激発しかねない感情のうねりを制御しきって切り替えには最高の一文なのは確かですね。 よくよく考えて…
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