ニムエとトリスタン
ニムエは左手を挙げて陣を張り、輝く透明な鎧で体を包む。
「これで我が軍からの横槍は入らない」
トリスタンも同じように左手を軽く挙げ陣を張り
「正々堂々と戦おうではないか」
と答え、右手で剣の柄を掴む。
ピンと張り詰めた空気の中、間合いをジリジリと詰めお互いの目を見合う。トリスタンは最後の一歩を踏み込むと同時に剣をニムエに向かって振り上げる。それに呼応するかのようにニムエは左手で衝撃波を繰り出し、トリスタンの剣を避け自分の剣を振り上げる。切先一つで身をかわしたトリスタンはニヤリと笑って剣をニムエの胴に向かって打ち込んだ。見切ったニムエはひらりと飛んで打ち込みをかわした。
そこからは堰を切ったかのように戦いが始まった。気が遠くなるほどの時間にも思えたが、実際の時間にして十分も斬り合うとお互いに息を切らし汗が飛び散り始める。日常の鍛錬による力のみでお互いをねじ伏せようとする二人に見入る戦士達は、互角の撃ち合いを重ねる二人に嘆息し、お互いの戦いの手を止める。
「その姿はお前のものではないな?なぜ姿を偽る?」
打ち込みながらトリスタンはニムエに問いただした。
「古来より水の国は女王を戴く国女性の国だと聞いていたぞ、なぜ男性がここで戦うのだ?」
「お前に関係ない」
疲労の色見え始めたニムエはその剣を避けきれず左頬に僅かな血を滲ませた。
やはり、私は女か……。女は持久戦には向かないかもしれないが、身軽さでは男に勝る。ニムエは心の中で呟くとスピードを上げてトリスタンに切り込んでいった。
振り返りざまの剣の振り下ろしに反応できなかったトリスタンは上段からの払いを受けて左肩に傷を負った。致命傷ではないが、滴る血とその痛みに体力を奪われるのは必至だった。
その一方、疲労が溜まってきたニムエは足元の草に足を取られ僅かによろめいた。
私はどうしたいのだろう?彼を殺して空の国を制圧するのか?それとも……。
*
「ブランゲーネ、トリスタンが水に入ったようだ」
ニムエは立ち止まりこめかみに手を当てた。
「ニムエ様、それはまことですか?随分と水界の力を甘く見ておりますこと。どうされますか?」
「ちょっと行って警告を与えてこようか」
ニムエは笑うと呪文を唱え、トリスタンの休む泉の水に体を溶け込ませた。暗い水底に立ったニムエは上を見上げると月の光が踊るように輝いているのが見えた。水の中で銀色の髪が水の流れの中で揺らめく。そのままゆっくりと水面に向かって上昇し、顔をそっと出しあたりを伺った。足を水に浸して、1日の疲れを癒すトリスタンが水草越しの遠い岸に見えた。一気に水面に上がり、トリスタンに向かって水の上を歩いていった。それを見て驚いたトリスタンは声を上げようとしたが押し留め、水の上をゆっくり歩くニムエを見つめていた。
「私はトリスタン、この陣は水の国の者を寄せつけないはずだが…?」
「私はこのような陣に霊力を左右される者ではない」
歌うようにニムエが答えるとトリスタンはニムエの菫色の瞳を覗き込むようにして呟いた。
「敵であったとしても美しいことに変わりはないな。マルク王が水の国を憎む理由は知ってはいるが、残念なことだ」
「私はお前に警告に来たまで。戯言は無用」
「そう言わずに少し話さないか?戦いをやめる理由が見つかるかもしれない」
「ここは我々の領分だ。足を入れるだけでも不利になっているのが分からないのか?」
「あぁこれか、この程度で水の女王が気分を害することはないだろう」
「そなたの名は?」
「……ブランゲーネ」
*
「見事だ」
離れたところから二人の戦いを見つめていたトリスタンの副将、メロートは近侍に自分のロングボウを持ってくるように命じた。
「だがこの戦い、我々が勝たせてもらう」
そういうと、メロートは呪文を呟きながら右手の中に光り輝く矢を出現させ、ロングボウに番えた。二つの陣は普通の矢を通すことはないが、この矢は陣を切り裂いて中で戦う水の国の敵将に届くだろう。じっくり時間をかけ弓を引き分けながら慎重に狙いをつけ、矢を放つタイミングを計る。メロートは組み合う二人が間合いを取って離れた瞬間を狙って矢を放った。後ろから迫る光り輝く矢にニムエは気づかず、次の一手を打ち込もうとしたトリスタンの目が矢を捉えた。凍りついた表情を浮かべたトリスタンは、ニムエに向かって手を伸ばした。
ニムエは構えた剣を振り下ろすことなく、後ろを振り向いた。
その瞬間トリスタンがニムエに抱きつき、さらに衝撃を感じると痛みを感じた。
「ニムエ、ブランゲーネではなくて。ニムエ。愛しいニムエ。こうなることはわかっていたのに私はお前を諦められなかった」
二人はニムエの胸を一本の光り輝く矢が貫いているのを見て、その場で剣を手から落とし、膝を折って抱き合った。遠く離れた場所で戦士の声が響く。痛みで姿の維持ができなくなったニムエは徐々に本来の姿を現し、トリスタンの首に手を回し、顔に頬を寄せた。
「この矢はマムートの光の矢。貫通された者は確実に命を落とす。これを避けたくて陣を張ったのに…」
ニムエは充満する血の匂いにむせて俯くと、くぐもった音と共に口から血を溢れさせた。痛みに顔が歪む。
水の妖精である私がこんな地上の矢の一本で命を落とすなんて…。目を瞑って荒い息を吐きながら胸に刺さる矢を見つめる。
あの時、戯れに泉になど行かねばよかった…そうすれば今こんなことで心が揺れ動かなかったのに。心の中でひとりごちたニムエはトリスタンの金色の瞳を覗き込見ながら、自分で切りつけたトリスタンの肩の傷に優美な長い指を走らせ、最後の力を尽くして癒しの呪文を唱えた。そうだ、私はあの時この金色の目に心を奪われてしまったのだ。
「ニムエ、すまない。私を許してほしい」
その声を聞きながらニムエは静かに目を閉じた。




