第7話 二人の分断
「はじめまして、レイ殿。あなたの護衛剣士ジン殿は、すばらしい腕前ですね」
レイとジンが合流するより早く、エラムが二人の間に割って入った。
この瞬間、レイとジンは、互いに声をかける機会を失った。主が会話している時、護衛剣士は黙っていなければならないからだ。
「エラム殿。あなたの腕前もすばらしい。――ジン、帰るぞ」
言外にエラムに「帰れ、こっちにくるな」と伝えたレイだったが、エラムは無視して、言葉を続けた。
「レイ殿は、最年少で神官になられた碩学の方でいらっしゃる。ぜひ、神学について語りたい――ご一緒しても?」
「……もちろんです。喜んで」
内心で激しく舌打ちしながらも、レイはエラムとともに歩き出す。レイとエラムが左右に横並び、ジンは、沈黙を強いられたまま、レイの斜め後ろからついていく。
◇
三人は、風読みの塔の方へ向かった。夕暮れの乾いた風を受けて、松明の炎が傾ぐ。
エラムが神学理論について口火を切った。
「罪の真実が明かされず、裁かれず、真実を知ることが叶わない時、神は沈黙した、と見なすべきでしょうか?」
「――神の沈黙は、試練です。私たちの信仰がいかに深いか、神は見ていらっしゃる」
レイは憮然と答え、会話を断ち切ろうとする。だが、エラムは強引に話をつなげる。
「そのとおりです。ですが、試練が長く続き、裁かれない場合は、どうでしょうか。自ら裁きを実行せよ、と神がお告げになっているのでは?」
エラムが食いついてくるたび、レイの苛立ちは高まっていった。
――こいつ、わざわざ、意見が割れやすい神学論を持ち出してきてないか?
早くジンと話したいレイは、一刻も早く、エラムを追い出したかった。
――いっそのこと、揺さぶってみるか?
レイは打算した。
模擬戦の異常な動きを指摘したら、ぼろを出すかもしれないし、なにか中央の情報が手に入るかもしれない。やってみる価値はありそうだった。
レイはおもむろに口を開く。
「エラム殿。先ほどの模擬戦は見事でした。……特に、相手に間合いを取らせ、後ろに引かせる技術。あれは、中央で使われる技術なのでしょうか」
口元は微笑みながら、視線と言葉で鋭く刺した。レイは挑戦的な視線を向ける。
――さあ、どう出る?
エラムは目を少し見開き、首を傾け、思案する様子を見せて、――破顔した。
「レイ殿は、すばらしい目をお持ちだ」
仮面がひび割れたかのような異様な表情に、レイが瞠目した刹那。
レイの右にいたエラムが、レイだけに見える角度で、自身の右袖から鋭い針を見せつけた。
「死の一撃」と呼ばれ、砂漠で最も恐れられる、暗殺者の毒針だった。
――!?毒針だと!?!?
レイの体が一気にこわばり、恐怖と緊張で張り詰める。同時に、ジンが、レイの急変を察した。剣の柄に手をかけて、ジンが一気にレイの前に踏みこむ。
「主!?なにが」
「ああっ!!!」
ジンとエラムの声が、同時にぶつかって弾ける。
ジンは驚愕に目を見開いた。
「毒サソリ!?」
猛毒を持つ毒サソリが、レイとエラムのすぐ足元に、うごめいていた。
ジンが、レイを腕で後ろに押しやって守ると同時に、瞬時に抜刀して、サソリの胴体を貫いて瞬殺する。
レイは、呆然としていた。声を出すことすらできないようだった。
エラムが震えた声を出す。
「た、たいへん申し訳ございません、レイ殿……!私の荷物に、サソリがまぎれこんでいたなんて。駐屯地で寝泊まりしている間に、忍びこんだに違いありません。ああ、なんて恐ろしい……レイ殿、お怪我はありませんか」
「ええ……大丈夫、です……驚き、ました」
レイは目線を泳がせながら、途切れ途切れにつぶやく。
「ジン殿、ご主人を危険にさらしてしまいました、お詫び申し上げます」
頭を下げるエラムに、ジンは黙って下がる。夜警の兵士たちが騒ぎを聞きつけてきた。
「はやく行きましょう」とエラムが声をかける。
レイはふらついて歩き出した。ジンはまた、ふたりの後をついていく。
◇
レイは、自分の目で見たことが、信じられなかった。
――こいつ、この男、毒針で俺を脅した直後、《《自分の荷物に隠していた毒サソリを、わざと地面に落とした》》……!
――そして、俺の《《「毒針への驚き」を「毒サソリへの驚き」に、瞬時にすり替えた》》……そして畳みかけるように、「ジンにばらしたらジンを殺す」と唇の動きで脅迫してきた!
すべて一瞬、数秒の出来事だった。ちょっとずれれば破綻する芸当を、エラムは完璧にこなしてみせた。
絶望的な大胆さ、震えがとまらないほどの異常だった。
――《《だめだ。こいつは、だめだ》》。想定していたより、ずっと、ずっとやばい。こいつは本物の、とんでもない暗殺者だ。……ジン!
声にしてはいけない声で、レイはジンを呼ぶ。
◇
『話を続けろ。気配を変えるな。ジンにばらしたら、ジンを殺す』
エラムは、ジンのちょうど死角から、レイに袖中の毒針を見せつけ、唇の動きでレイを脅してきた。
ジンの命、とエラムが唇に乗せた瞬間、レイの恐怖が沸き上がる。
――こいつ、ジンの命が目的か!?
エラムは腕を組むふりをして、さらにレイに毒針を近づける。レイは、ジンに伝える手段を模索した。だが、すぐにその考えを放棄する。
――無理だ。この間合いだと、ジンに伝えた瞬間、ジンに毒針を刺される。危険は犯せない。脅しに従うしかない。
緊張と混乱とが戦略が、レイの心で、暴風のごとく吹き荒れる。
――どうすればいい。どうすればいい……!
レイは、ジンが気づいてくれることを期待した。
ジンは、どんな小さい殺意でも、必ず感じ取る。だから、エラムが殺意さえ出してくれれば、ジンに危機を伝えられる。
だが、エラムは、殺意を消し切っていた。
尋常ではなかった。
――この男は、すべてわかって仕掛けている。「俺がこいつの策略と意図を読むこと」すら読んで、策略に含めている……!
◇
レイの焦りは、頂点に達していた。
あと少しで、風読みの塔へ着いてしまうからだ。
表向きは、神学論と盤上戦について、レイとエラムは、にこやかに話している。
だが、水面下は、殺意と謀略が一触即発する戦場であった。
ジンの空気が変わり、警戒と不穏を帯びたものになっている。
当然だ。
風読み塔へ向かう道は、レイとジンだけのものだからだ。よそ者が入る隙などない。
なぜこいつは、ついてきて、なぜレイは黙っているのか――ジンがそう考えていると、痛いほどレイにはわかる。
あと数十歩で、風読み塔の扉にたどり着く。一刻の猶予もない。ついに、エラムが、切り札を切った。
「レイ殿。あなたの神学論はすばらしい。……ところで、あなたは、砂漠盤の名手だとうかがっています。ぜひ、あなたの部屋で、盤を囲んで勝負がしたい」
砂漠盤は、砂漠で長く歴史があるボードゲームだ。どのルーハ修道院にも置いている。レイが好きな娯楽でもあった。
同時に、エラムは、唇の動きで、最後の通告を突きつけてきた。
『塔に入れろ、遊ぼう。ジンは外せ。さもなくば、ジンを殺す』
レイは絶句した。思わず、問いかけた。
『なにが目的だ』
返答次第では、自分の身を危険にさらしてでも、ジンに知らせて共闘する考えだった。だが、回答は意外なものだった。
『あなたと遊びたい』
意味不明すぎる答えに、レイは一瞬、混乱した。
だが、迷っている暇はなかった。
残り時間はあと数十秒。
横には狂った暗殺者。
そのすぐ後ろには、なんとしてでも守りたいジン。
エラムの異常な回答が、逆にレイに覚悟を決めさせた。
「――わかりました。エラム殿。では、今夜は特別に、盤上で語り合いましょう」
「!?」
ジンの空気が、激震する。
「ジン」
レイは、ジンを見ずに言う。
エラムから目を離すことを、レイは恐れた。ジンを失うことを恐れた。
「今夜は暇を出す。いつも俺専属だからな。たまには、ルーハの兵士たちと交流を深めろ。警護は不要だ。エラム殿がいるから、警護は万全だ」
「レイ!?」
ジンが、他人がいることを忘れて、レイの名を叫ぶ。
「《《命令する。今夜は、塔に入るな》》。駐屯地へ行け」
ジンと目線を合わせられず、レイは言う。
――悪い。ジン。だが、今日だけは、だめだ。
――おまえの命が危ない。本当にすまない。
――なるべく、この男から離れてくれ。今夜だけ、安全なところにいてくれ。
レイは、声にならない言葉を、心の中でジンに向かって叫ぶ。
どうにか、自分の心が届いてくれればいい、と、ほとんどやけくそのように願い、祈る。
◇
ばたん。
塔の扉が、ジンの目の前で閉まった。
◇
ジンは目を見開いて、絶句したまま、立ち尽くした。
この塔は、レイとジンだけのものだった。主のレイ以外で許されていたのは、唯一、ジンだけだった。
だが、その記録がいま、破られた。
ジンはしばらく放心していた。
間違いだったと、レイが扉から出てくるかもしれなかったからだ。
だが、十分ほど経ったところで、ジンはついに理解した。
――レイから、暇を出された。
――レイの塔から、閉め出された。
――レイは、別の男を護衛に選んだ。
昨日から心に刺さり続けていた言葉の刃が、一気に血が噴き出す。
『今夜、伝えたいことがある』
レイの言葉が、最後の一撃となった。
――レイは、もう、俺を、必要としていない。
ジンは、剣の柄を、指が白くなるまで握りしめた。きち、と鍔が鳴る。
しかし、それ以上は微動だにできず、ジンは閉じた扉の前で、呆然と立ち続けた。




