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護衛外しの噂

その夜のことである。昼に告げたとおり、ジンは中央の幕舎が立ち並ぶ駐屯地に、諜報のために潜りこんだ。


「……さてと、行くか」


ジンは、誰にも聞こえないほどの低い声でつぶやく。いつもと違う風布をつけ、巻き方を変え、ラグの外套をかぶっていた。どこから見ても、「中央からやってきた新参者の傭兵」である。


駐屯地の篝火があちこちで揺らめき、ジンの影を四方に散らす。

傭兵たちは宴会を始めている。無礼講なのだろう。諜報にはもってこいだ。


篝火と幕舎の位置、闇の濃い場所を、すばやく記憶する。退路を想定しきってから、ジンは歩き出した。

酒に酔ったふりをしながら、ジンは隅から隅まで、軌道を乱しつつ、念入りに踏破して、情報を集める。



ひとしきり歩いたところで、ジンの耳が「護衛剣士」という言葉を拾った。


護衛剣士がつくのは、風読み神官だけだ。なにか情報がわかるかもしれない。ジンは静かに、会話の輪へ溶けこむ。


四人の中央兵たちが、焚火を囲んで話していた。


「そうだよ、今年の目玉はなんといっても、中央最強の護衛剣士だ!」


一人が酒に酔った声で話題を振る。おもしろい話題が来たとばかりに、残りの兵士たちが口々に話し出す。


「聞いたよ。中央で、風読み神官の護衛を勤めたらしいじゃないか」


「今年の隊列は、そんな大物の神官が来てるのか?」


「いや、あの護衛剣士は、中央がわざわざ、砦のレイ神官のために、と手配したそうだ」


――レイ。レイだと? 


いきなりの核心情報に、ジンは息を詰める。


「レイ神官は、すごい方らしいな。中央が、ルーハの宝だからと、特別に警護する必要あり、と判断したそうだ」


「そりゃそうだ、砦は野蛮な場所だからな。中央の神官様が心配なさるのは当然さ」


――中央が、レイの安全を心配して、警護を強化する?ラグの情報と違う。なんだ、これは。


琥珀の瞳に、刃の光が宿る。一言も聞き漏らすまいと、神経を張り詰める。


だが、その態度が、ジンにとって仇となった。


兵士たちが、口々に好き勝手な噂と私見を述べる。


「なのに、レイ神官の安全は、まったく不十分らしい。なんでも、辺境出身のとんでもない田舎者が、護衛剣士なんだと」


「辺境!あんなところ、罪人と盗賊と貧乏傭兵の巣窟だろ。ありえんな。中央なら、辺境出身なんて、兵士にすらなれんよ」


「だから野蛮なんだよ、砦は。中央は、レイ神官の護衛剣士を交代しろと、砦の神官長に提案し続けていたらしい。で、ついに砦が、交代させると言ってきた!で、レイ神官も承諾したらしい。だから、新しい護衛剣士がきたんだと!」


ジンの体が、硬直する。ジンは、とっさに息を詰めて、震えを殺す。

だが、幸い誰も、目の前の兵士が「辺境出身の野蛮な護衛剣士」本人だと気がついていない。


「レイ神官は、護衛が見つからなくて苦労して、しょうがなく、辺境から採用したらしい。中央から来るなら、ようやく安心するだろう」


「あの偉そうな砦の連中も、中央に感謝するんじゃないか!」


「違いねえ」


兵士たちの酒まじりの笑いが沸き起こり、それから別の話題へと移る。




ジンは酒をとってくるふりをして、席から離脱した。足元がふらついている。


――自分がどう言われようと、かまわない。

――辺境で過ごしていたのも、田舎者なのも、修道院の礼儀を知らないのも、レイ以外の命令をきかないのも本当だ。

――自分のことはいい。


だが、レイに関する言葉だけが、鋭い刃となって、ジンの臓腑に刺さったまま、抜けない。


『レイ神官は、護衛が見つからなくて、しょうがなく、辺境から採用した』

『レイ神官は、護衛交代を承諾した』


思い出して、またジンは息を詰める。


そんなわけはない、とジンは思おうとした。


だが、レイとジンの間に、表向きに結んだ「主従の契約」以外、約束はなかった。

その主従契約だって、「たまたま」だったのだ。

砦から、レイの護衛剣士募る通知がきて、たまたまジンが募集条件に合致していた。他にも候補者はいて、たまたまジンが、選考の末に選ばれただけだ。


レイが、ジンを名指しで指定したわけではない。


それに――七年前、レイに何も言わずに、辺境に旅立って、《《先に関係を断ち切ったのは、ジン》》なのだ。


《《七年前、ジンは、家族の絆を決定的に壊し切った》》。


なにも言わずに。語るべきことを語らずに。


――……そうだ。俺にはそもそも、資格がない。たまたま護衛剣士に選ばれなければ、砦に帰ってこれなかった。


――俺が、砦の誰よりも強い刃だから、レイの護衛剣士でいられる。だが、さらに強い剣士が出れば……。


ぐらりと、ジンの視界が傾ぐ。


心が、すさまじい勢いで、七年前の耐えがたい記憶に引きずられていく。



その時、篝火の向こうから、わっと歓声が上がった。

剣技の見世物が、終わったところだった。輪から抜けてきた中央の神官たちが、興奮交じりの大声で、話している。


「さすが、中央の護衛犬士!あんな護衛剣士を、私もつけてほしいものです」


「ええ、本当に。残念です。彼が、レイ神官の専属になるなんて」


またしても、ジンの足がとまり、耳が声を拾う。


――また、中央から来た護衛剣士の話。……そして、またレイの……。


「中央と砦の調和のためとはいえ、思い切りましたね」


「なんでも、新しい護衛は、レイ神官のご希望らしいですよ。中央は、砦……レイ神官を重視していますからね。だから手配なさったそうで」


修道士たちは大声で話しながら、ジンの横を通り過ぎる。


『新しい護衛は、レイ神官の希望』


――レイ。


ジンは、肩で息をしていることに気づいた。


真っ赤な炎が闇に揺らめいて、視界を鈍く黒く歪ませる。白い幕舎の布が、血のように赤く染まっている。


――ただの噂だ。中央のやつらが、酒の席で騒いでいるだけだ。たまたま同じ話を、違うやつらが口にしていただけだ。


――ラグの証言とも食い違う。兵士たちの勝手な憶測、あるいは、意図的な情報操作だろう。


――レイはなにも言っていない。レイは変わらなかった。なにも変わらない。変わらないはずだ。


ジンは震えとともに、肺の空気を吐き切って、また吸った。剣の柄を執拗に撫で続け、風読み塔へ戻るために、踵を返す。



ジンは、噂を振り切ろうとするように、足を速めて歩く。 だが言葉の刃は、執拗にジンを追いかけてきて、ジンの体に突き刺さっていく。


幕舎の篝火が、ひとつ、またひとつ、と遠ざかる。

そのたびに、ジンは、深い闇に足を踏み入れ、飲まれていく。


だが、全身に刺さった言葉の刃が抜けず、絶え間なく流れ出る血が、ジンの心を濡らし続ける。


――レイ。


心の中で、名前を呼ぶ。


――レイ。お前は、もう、俺を、いらないのか。

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