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禁地巡礼した神官は死ぬ

「――禁地巡礼って、なんだ?」


ジンの低くかすれた声が、風に溶けていく。


「――ルーハ教団が一丸となって、神に見捨てられた禁地を浄化する儀式だ。……表向きは、な。……ああ、風が、来る」


レイの声もまた、風にさらわれる。



一陣の風が吹く。


夜明け前。深く青く沈む空を、風がわたる。風読み塔の最上部の吹き抜けた風読み台に立つ、レイの頬を撫でる。


この砦で、いちばん風を受けられる場所だ。


夜明け前の空を映して、レイの瞳は、いつもより深い群青に輝いている。

レイは、地平線と一体になるかのように地平線を見つめた。ゆっくりと目を閉じて、肌で風を感じる。


風読みの時間だ。


風。

方角は東南。

雲はちぎれ、わずかに乱れる。

前夜の大きな風の跡が、帯状に残る。

砂粒は細かく量が多い。

遠方の土と風の味は一致。

風は低く唸る。


読み。

今夜は、東南東から、軽度の砂嵐が来る。

隊商は、夜間移動は避ける。


レイは、一息に風を読み切って、目を開けた。



「今日の風はどうだった」


レイの足元に座っていたジンが、レイに声をかける。


「今夜は砂嵐が来る」


短く告げて、レイは風を読んだ記録と、砦の皆に伝える通達を手元で手早く書き、ジンに手渡した。


ジンは、紙を見て、眉をひそめる。


「あいかわらず呪文だな。呪文もわからんし、この呪文から、なぜこの結果になるのかも、まったくわからねえ」


レイが渡した二枚の紙には、こう書いてあった。


記録

『東南/白褐雲/風跡/紋荒/砂風合/解:主夜嵐』


通達

『神の試み。今夜は砂嵐。隊商は夜に動かず祈れ』



「風読みは、長い修行をしないとできないからな。それに、俺は他の風読みと比べて、かなり情報が多いから、呪文に見えるんだろ」


「確かに、おまえの書く通達はいつも具体的で当たるよな。さすが、この百年で一番の風読み、と言われるだけある」


ジンの言葉に、レイは軽く肩をすくめただけだった。


確かに、砦の風読み神官の中では、レイの風読みは抜群の精度を誇り、他の神官たちと圧倒的な差がある。これは、誰もが認めるところだった。


砦の風読みは四人いるが、誰もがレイの読みを採用する。

最近では、レイ以外の風読み神官は、風を読みたがらず、結果的に、レイが砦の風読みを担っている。



「結局、皆が求める情報は『今日どんな風がくるか』『どうすれば平和に過ごせるか』だからな。精度は高ければ高いほどいいだろ」


「俺もおまえと同じ風の中にいるけど、さっぱりわかんねえぞ、こんなん。……前から気になってたんだが、レイと他の風読みで、なんで当たり外れに差が出るんだ」と、ジンが尋ねる。


レイは風を受けながら、夜明け前の地平線を見つめる。


「そうだな……だいたいの風読み神官は、目で見た情報だけを使う。俺は風を読む時、五感すべてを使う。目、におい、味、肌、音。得る情報が増えれば、精度が上がる。それだけだ。それに、このやり方は、ししょ……」


レイは、続けようとした言葉を飲みこんだ。


『このやり方は、師匠が教えてくれた。目だけに頼るな、五感すべてを使って、風を、己を、人を、世界を感じろと。おまえも習っただろ、ジン――……』


師匠。

師匠は、優れた風読みの「師匠」だった。


師匠である以前に、レイとジンを修道院に引き取って、二人を愛情をもって育ててくれた「父」そのものだった。


師匠、レイ、ジン。三人は、この砦で唯一の家族だった。


だが、《《七年前に、師匠は死んだ》》。

《《いまなお続く、途方もなく激しい痛みと、謎を残して》》。


「――……」


レイは、師匠の名前を口にできなかった。

呼びたかったけれど、呼べなかった。

ジンの前では、絶対に言えなかった。


ジンは、途中で言葉が途切れたレイを不思議そうに見上げ、言葉を続ける。


「風の味、か……」


ジンは舌を出して、風の味を確かめるふりをしてから、「わかるか、そんなもん」とぼやく。


その仕草に、レイは、ふ、と笑う。

レイは手を伸ばし、手の先にあるジンの頭を撫で、少し硬い髪を梳く。髪の毛をつまんでは離し、気まぐれにまた、髪を風のように撫でていく。

ジンはされるがままで、時折、目を細める。



その時、二人の間を、突風が吹き抜けた。

その勢いに、レイの指がジンの髪から離れる。


「――……」


レイは、師匠の話題をそっと断ち切って、話を戻す。


「ジン。禁地巡礼は必ず、ルーハ中央とルーハ砦の混合編成で行く。だから、中央から隊列が来るまで待たないといけない」


「中央の巡礼隊?中央……って、あの馬鹿でかいオアシスにある、ルーハ中央修道院のことだよな?なんでわざわざ、あんな遠いところから来るんだよ」


ジンの疑念はもっともだった。


ルーハ教団最大の中央修道院があるオアシス都市、通称【中央】は、砦から南に下ったところにある。

巡礼のために砦に来るには、七日もの行軍と、莫大な費用が必要だ。


「そう、そこが問題なんだ。年に一度、神に見捨てられた禁地を、清めの儀式で浄化する――。それだけで、中央がこれほど、莫大な時間と金をかけるだろうか?」


レイの問いに、ジンは眉をひそめる。レイは言葉を続ける。


「禁地の守護は、いつも砦に丸投げにしているくせに、《《禁地巡礼だけは、必ず中央はやってくる》》。わざわざ何十人も引き連れて。どんなに砂嵐があろうと、延期してでも、必ずくる。なにか別の目的があるはずだ」


「なにか別の目的って、レイ、それは……」


ジンはレイを見上げて、言葉を切らした。


「わからない――いまのところはな。禁地巡礼には、選ばれた風読み神官がひとりだけ参加できる。今年は俺が選ばれた。だが、参加すればなにかわかるかもしれない」


「おい、そんな不穏なら、もっと準備した方がいいんじゃねえか。前に参加した風読み神官に聞いてみたらどうだ。レイ」


「いいや、できない。過去に参加していた風読み神官は全員、死んだから」


レイの言葉に、ジンは瞠目して、横に立つレイを勢いよく見上げる。声がこわばっている。


「《《全員、死んだ》》?」


「ああ。二人とも、いい風読みだった。……死んだのは、二年前と一年前。巡礼に行った後に死んだ。――それからだ。風読み神官に、必ず護衛剣士がつくようになったのは」


レイは言葉を切って、ジンを見つめた。


「――ジン。《《風読み神官はな、守らないとなぜか死ぬ》》んだよ」


レイはじんわりと淡く微笑んだ。その微笑みには、さまざな感情が溶けていた。覚悟、諦め、執着、それら名状しがたい感情が。



絶句してレイを見上げていたジンが、レイから目をそらさず、低い声でつぶやく。


「――レイ、おまえ、行くのをやめろ」


今度はレイの目が見開かれる。


「ジン。もう決まったことだ。今年は俺だ。他に行く人間がいない」


「だったら、風読み神官を辞めろ。普通の神官なら、行く必要ないだろ」


お互い、決意が固く、揺らがない声だった。


「だめだ。それだと、俺の欲しいものが手に入らない」


琥珀の瞳が、激しく揺らぐ。


「……おまえの欲しいもの?……なんだ、それは。風読み神官が死ぬ、とわかっていても、欲しいものなのか?」


「そうだ」


レイはささやくような声で、だが、はっきりと断言する。


「……だが、まだぜんぜん、どうにもならない。だから、俺は風読み神官はやめないし、禁地巡礼には行くしかない。俺が、そう決めたんだ。ジン」


レイの青い瞳に、金の光が散って爆ぜる。


レイの決意に応えるかのように、風がうなりをあげて巻き上がる。


レイの髪が金色に散り、ジンの黒髪が逆立つ。ふたりの頭に巻いた風布が煽られて舞った。


二人の視線が、激しい風の中で交わる。だが、言葉も心も、届かない。



ジンは、痛みを覚えたように双眸を歪め、眉間を寄せる。


「レイ。おまえは……」


絞り出すような声だった。レイをとめられない、と、理解してしまった声だった。焦燥と無力さがにじむ。



――そんな顔をするなよ、ジン。俺が欲しいものは、ひどく単純なんだ。


――だが、おまえが徹底的に、拒絶するものでもある。


レイは、寂しげな顔で、ジンを見下ろした。


風の通り道の真ん中で、レイは深呼吸する。そして、闇の中で灯に手を伸ばす気持ちで、声を出す。


「大丈夫だ、ジン。いつも言ってるだろ。最強の護衛がそばにいるから、俺は死なないって」


ジンの握る拳に、力がこもる。

それに、とレイは言葉を続ける。


「禁地巡礼で、なにが起きるかは、どうせすぐわかる。中央の巡礼隊がもうすぐ到着すると、さっき知らせが来たからな」


「もうすぐ?いつだ」


「明日だ」



――ジン。おまえと一緒に生きるためには、命を賭け金にするしかない。もうそれしか、手段はないんだ。

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