頭脳と武力の最強コンビ
砂漠。
砂漠に住む者は、砂漠を「世界」と呼ぶ。そして、その厳しさ、無情さ、平等に生と死を与える力に、神を見る。
砂漠の宗教【ルーハ教団】は、砂漠の似姿である唯一神を崇め、砂漠を渡る風を「神の声」と考える。
恵みの雨も砂嵐も、すべて風がもたらすからだ。
「風読み」――風から神の声を読み、人々に届ける神官を、ルーハの民は敬意をこめてこう呼ぶ。
風読み神官は、護衛剣士をつけて守らなければならないルーハの宝。
ゆえに、風読み神官を危険に身をさらすなど、言語道断……のはずなのだが。
◇
「いけません、レイ殿!風読み神官が賊退治など!!」
砦の兵をまとめあげるハド隊長が吠える。戦士らしいたくましい体躯が、わなわなと震えている。
夜明け前。灼熱の砂漠では、皆がこの涼しい時間から活動を始める。
朝食を終えたレイとジンは、隊長と兵士たちが話し合っているところに出くわした。それでレイがすぐに、首を突っこんだのだった。
レイはすずしい顔で、ハド隊長の怒号を受け流す。
「賊退治かどうかわかりませんよ、ハド隊長。悪霊退治かもしれません」
「どっちも危険です、レイ殿!」
「『禁地の道』で人影を見た者がいたのでしょう?誰かが見に行かなければいけません。しかし、呪われた禁地に出撃したい兵がいるのですか?」
ぐっ、とハド隊長が言葉に詰まる。レイの言うとおりだった。
《《<禁地に入ったら呪われる>》》。
ルーハの民なら、子供だって知っている常識である。
「私は神官です。禁地に入る心得と神の加護、悪霊を退散する術があります。賊ならジンが対応します。ハド隊長。私は、微力ながら、砦の防衛に貢献したいのです」
光がこぼれ落ちるような微笑で、レイは告げる。ぐぬぬ、とハド隊長が肩を震わせる。レイの提案しか選択肢がない、と観念した隊長は、ついに折れた。
「ご心配なく、隊長。ジンがいれば、私に危険など及びません」
レイはそう言い残して、ジンとともに、砦の門を抜けて、砂漠の荒野へ踏み出した。
◇
砦を抜けると、そこは一面の荒野だった。
砂漠の戦闘修道院【砦】は、砂漠に切り立つ断崖に張りつくように作られている。
砦から出れば、切り立つ断崖が、地平線の先まで伸びているのが見えた。
夜明け前の空は、まだ深く暗い。右手には切り立つ断崖が黒くそびえ、正面には、兵士たちが暮らす「離れ砦」の黒い影が、かすかに浮かんでいる。
青く沈む荒野をしばらく歩いていると、ジンが口を開いた。
「おい、悪霊って本気かよ」
「本気のはずがないだろう。人間に決まってる。だから見に行くんだ。このところ砦を襲撃している野盗集団かもしれないからな」
レイの答えに、ジンは嘆息してついていく。
「冒険心の強い主を持つと苦労するぜ」
◇
レイとジンは、砦から歩いて二十分ほどの場所にある、【禁地の道】にたどり着いた。
二人は、そびえ立つ赤褐色の断崖を仰ぎ見る。断崖をまっぷたつに割る裂け目が、眼前に口を開けていた。
「……久しぶりに入口まで来たが、あらためて見るとすごいな」
ジンの呟きに、レイが頷く。
「俺も久しぶりに見た。断崖を横切りはするが、入口に近づかないからな」
「禁地の道」。
砦が張りついている巨大な断崖を、一刀両断するように割った、驚くべき道である。
まるで神の刃が振り下ろされたかのように、岩肌が裂けている。見るからに超常的で、神の怒りを具現化したようだった。
禁地は、入口だけは幅があるが、先の道はすぐ細くなり、曲がりくねって、先が見えない。
この「禁地の道」は、神に見捨てられ、呪われた【禁地】へとつながっていた。
<禁地は、かつて神を忘れた者たちが暮らした、忌むべき土地。
神は怒り、神を忘れた者たちを裁き、滅ぼした。
いまもなお、禁地は、神の怒りで満ち、砦が神の怒りを鎮めている。
禁地に足を踏み入れれば、神の怒りがよみがえり、大いなる災いがもたらされる。>
ルーハの民は皆、この「禁地伝説」を信じ、恐れている。
宗教施設としての砦は、禁地を封じるために存在しているといっても過言ではない。
だからこそ、「禁地で人影を見た」こと自体がおかしいのであるが――。
ジンが、砂地に残った足跡を見つける。
「見ろ。足跡だ。真新しい。……奥にいるぞ」
レイが、やはりな、と嘆息する。
「どうする、レイ」と、ジンが問う。
「もちろん行く。奥までいくのは危険だが、少しのぞくだけなら平気だろ。行くぞ、ジン」
◇
岩の影にできた闇に、焚火が揺れていた。レイが小声で首を傾げる。
「……本当にいるな。見るからに盗賊だ。禁地狙いじゃないのか……?」
禁地の道に入って角を曲がってすぐ、禁地の入口付近で、二人は人影を見つけた。離れていて死角になる岩陰から、様子をのぞく。
ジンが、目を細めて配置を確認する。焚き火の近くに三人、その右にひとり、左にひとり。
「五人か。回りこまれて挟撃されると面倒だな。その前に片づけたい」
「俺が囮になる。前方から一本で来るよう誘導する」
ジンは頷いた。
◇
突然、岩陰から人影が現れて、盗賊たちは一気に警戒態勢に入って、手元の剣を手に取った。
「なんだ!?」
「砦の兵か!?」
だが、人影は攻撃してこない。武器すら持っていない。盗賊たちの視線が、一気に値踏みする色を帯びる。
この男は、兵士ではない。若い。神官の格好をしている。弱々しく、怯えたような動きだ。
盗賊たちは理解する。
こいつは、下っ端のルーハ修道士だ。
値踏みを終えた盗賊たちの警戒が、少し緩む。
同時に、盗賊たちは、別のことに気を取られていた。
修道士の顔が、光がこぼれるほどの美しさだったからだ。突然の獲物に、盗賊たちが浮足立つ。
「おい、信じられないほどの上等品だ」
「オアシスの奴隷市で、高く売れるぞ」
焚き火の近くに座っていた三人が立ち上がる。
その動きに、修道士が身体を震わせて、顔を伏せる。二人の盗賊が、剣で脅しながら、顔を見ようと近づく。
盗賊が近づいたところで、修道士は顔を上げた。
長いまつ毛が震えて、怯えた瞳が濡れたように光る。
「信じられねえ。本当に男か?」
「女でも、めったにいねえ。楽しんでから売ろう」
あと五歩のところまで、盗賊たちが近づく。
あと三歩。ざり、と砂が鳴く。
レイに気を取られていた盗賊たちは、その背後に影のように寄り添う、もうひとつの影に気がついた。背恰好がほぼ同じだから、見えていなかったのだ。
背後の影が大きく揺らめく。
盗賊を見つめるレイが、不敵に笑んだ。
◇
それは暴風だった。
刃の一閃、骨の砕ける音。血しぶきが虹のように弧を描き、焚火の炎を受けて、深紅にきらめく。
一拍置いてから、どさっ、と、体が地面に倒れる音が響いた。
レイの真後ろにいたジンが、レイを軸にして、左回りに大きく旋回して踏みこみ、遠心力を剣に乗せきって、レイの正面にいた男を叩き斬ったのだ。
嵐はとまらない。着地した足を軸足にして、さらに深く体を沈める。瞬間、地面を蹴破る勢いで踏みこみ、残り一人を、斜め下から斬り上げた。
琥珀色の視線が、血しぶきの残像を貫いて、燃えるような金色に光る。
一瞬だった。哀れな男たちは、自分が斬られ、死んだことすら、気がつかなかっただろう。
ジンは、刃の瞳で周囲を一閃した。残り三人。
残りの盗賊たちは、仲間が血まみれの残骸になった事実をようやく把握する。
「不意打ちを食らった!」
「ひとりだけだ!囲め!!」
怒声とともに、剣を振り上げた三人が、同時に同心円状に近づいてきた。
「ははあ、盗賊の手本みたいな囲みだな」
ジンがつぶやく。剣を握る指が、柄を撫でる。
三人が同時に剣を振り上げた。
右から振り下ろされる刃を、ジンは半歩で左に避ける。切りそこねて前のめりになった男の体を、重心を右に戻す勢いで、斬った。
残り二人。
そのまま、ジンの体が沈み、大きく後方に右回転する。背後から斬り掛かってきた男の顎を、振り抜く剣の柄で、下から強打する。よろめく男の首に、ジンは刃を押し当てた。血が噴き出る。
残り一人。
最後の一人に向かい、ジンは正面から立つ。そして、初めて斬り結んだ。
ギイン!と鋭く鈍い金属音が、巨岩の谷にこだまする。盗賊は全身をこめて、剣を押しこむ。
盗賊の方がジンより一回り大きく、腕も太い。だが、ジンはびくともしない。
剣の向こうから、金色の瞳が凶暴に燃え上がっている。
「――おしまいか?」
低いささやきが、盗賊の耳を撫でた。
瞬間、盗賊の腕に凄まじい衝撃が貫く。盗賊の剣が、押し返された。
「!?」
盗賊が視線を上げる。
刃のような光が見えた。それは、剣そのものか、視線か、口元の笑みか。
一閃が走る。
身体と剣が地面に落ちた。
静寂。
レイは、立ち位置から一歩も動かなかった。
ジンの激しい嵐に巻きこまれ、無傷でその中心に立っていられるのは、この世でレイだけだった。
ふ、と短く息を吐いたジンが、レイを振り返る。
琥珀の瞳が黄金に輝いていた。瞳孔が開いたままの瞳にはまだ、荒れた刃の光が残っていて、レイを貫く。
「……レイ、あいつらに触られてねえだろうな。怪我は」
至って真剣なジンの口調に、レイは思わず口元をほころばせる。
「そんな暇をやる前に、おまえが全滅させただろ……あ」
レイは、そのまま青い目を見開いた。
「……しまった、ジン。ひとり、生かしておいてくれって言うのを忘れていた」
「あ?」
「なんで禁地に入ったのか、聞き出したかったんだが……」
ふたりは、倒れている五つの体を見下ろして、黙りこむ。
「……おまえ、そういうことは先に言えよ……殺さない方が難しいんだからな……」
「いや、すまん、うっかりしてた」
ジンが剣を振り、血を落としながら言う。
「……理由、ね。楽に隠れられるからじゃねえのか?見たところ、いつも襲撃してくる野盗と同じ集団ぽいし」
レイは、深く曲がりながら続く、禁地の道を見やる。
「……そうだな。もうすぐ【禁地巡礼】があるから、なにか関係あるかもしれないと思ったんだが……」
「禁地巡礼?」
「ああ、おまえは初めてだよな。毎年一回、この時期に巡礼隊が禁地に入って、清めの儀式を行う。今年は、俺たちも参加するから、また来ることになる……」
おぉぉ……。
その時、二人の命を歓迎するかのように、禁地の奥から、風のうなり声が響いてきた。
「今日はもう帰ろう」
二人は来た道を戻る。もう夜が明けかけていた。
◇
もし二人が、この時、一人でも生かしていれば、状況はまた違っただろう。
盗賊たちを雇う「依頼者」の存在を、前もって知っておけたかもしれない。
だが、すべては終わった。後戻りできない選択は済んでしまった。
彼らの日常と関係を激しく揺るがす運命は、この時、すでに決まっていたのである。
――禁地巡礼隊が到着するまで、あと三日。




