第10話 死の盤上戦、決着
【蝋燭:三本目(最後)】
レイが最後の蝋燭をともす。
赤い炎が、運命のように揺れている。レイの瞳にも、炎が燃える。
レイの瞳に、明確な焦りがにじんでいた。
指先はすっかり冷え切って、背中には冷たい汗が流れ続けている。
――もし、エラムが、俺の知らない情報を知っているなら、どうしても欲しい。だが、俺の持つ情報を知られたくない。
――……くそ、この盤上と同じだ。情報を取り、取られる駆け引きの心理戦。
エラムは、レイの様子を観察して、満足げに微笑む。
「謎の愛好家として、マルク神官長が死んだ事件の核心を、私はこうとらえています」
エラムは、楽しげに駒を進めながら告げる。
「《《状況からすれば、砦の内部犯行》》に見えます。しかし、《《犯行動機は、ルーハ中央、あるいはアシュ教団》》にある――両勢力はどちらも、砦と緊張関係にありましたからね。このズレがあるから、誰も明確な答えを導き出せない」
「……犯行現場と犯行動機が一致しない、ということですか」
ずっと最低限しか応答しなかったレイが、ついに口を開く。エラムは砂色の双眸を開き、レイの反応を歓迎して見せた。
「そう!そうなんですよ。ふふ、やはりレイ殿と私は似ていますね。この砂漠有数の謎に、とてつもない興味を持っている。しかもレイ殿は、かなりこの事件にお詳しいようだ」
エラムは、真綿で首を絞めるように、レイに言葉を投げ続ける。
◇
「ねえ、レイ殿。取引しませんか?私は、この謎について、情報を知りたいのです。あなたが持っている情報を、私のものと交換しませんか?」
レイのこめかみから、汗のしずくがすべり落ちる。
――やはり、来たか。情報の取引。
――これまでの話は、自分の情報収集能力を示し、取引への信頼性を高めるパフォーマンスだった、というわけだ。
エラムが畳みかける。
「レイ殿。人生最後の機会ですよ?この勝負が終われば、どちらかは死ぬのです。ならば死ぬ前に、大事な情報を取っておかないと……ね?」
悪魔のささやきだ。だが、レイは乗るつもりだった。
――どうせもう命を賭けているのだ。これ以上、賭けるものがない。欲しいものも。
「……その話、乗りましょう」
「すばらしい。お互い、質問は正直に答えましょう。ただし、質問は『はい』『いいえ』で答えられるもののみ。でないと、無限に聞けて面白くないですから。質問は同数。いかがでしょう」
レイは合意し、取引が成立した。
◇
エラムが口を開く。
「では、さっそく、私から。まず、私が知っている極秘情報をお伝えします。――『《《マルク神官長の死の現場には、マルク神官長の他に二人いた》》』という、驚くべきものです。ですが、彼らの存在は秘匿された……。彼らが、《《幼い少年修道士だったから》》です」
レイのかつてないほどの激しい動揺が、駒の動きをにぶらせる。エラムはその様子を見て、満足そうに笑む。
レイはもう、取引を後悔しかけていた。だが、引けない。レイは、どうしても欲しい情報があった。
「……私は、この情報の真偽を長年、判断しかねてましてね。なにせ、知っている人が限られている。だが、今夜、あなたと話して、考えが変わりました。――レイ殿、あなたは、マルク神官長が死んだ当時に一緒にいた、少年修道士の一人ですか?」
――やはり来た。さすが暗殺者。初手で直球で刺してくる。
「……そうです」
エラムの言うとおりだった。
《《レイは、マルク神官長――師匠が死んだ時間、死んだ場所に、一緒にいた》》。
絶対に忘れられない、痛みに満ちた記憶だ。
――師匠。
師匠が血まみれで倒れている姿を思い出しかけて、レイは目をきつく閉じる。
「やはり、そうでしたか。では次の質問」
レイの心臓が早鐘のように鳴る。
――絶対に聞かれたくないことがある。聞かれたくない。聞いてほしくない。聞くな。《《あのことは聞くな》》。
「……レイ殿は、マルク神官長が死ぬ瞬間を目撃しましたか」
「……いいえ」
レイは宣誓どおり、事実を述べた。
レイは、師匠と死んだ日、死んだ場所に一緒にいた。
しかし、《《師匠が死んだ前後は、まったく記憶がない》》。
「そうですよねえ。現場を見ていたら、これほど事件に執着しませんものね」と、エラムはひとりで合点している。
◇
――助かった。
レイは一息ついた。だが、これ以上は質問されると危険だ、と察知した。慌てて、質問する主導権を取りにかかる。
「……あなたはすでに二つ、質問しました。私から質問しても?」
エラムは「どうぞ」と微笑む。
「あなたは暗殺者だ……しかも、毒の扱いに長けている。ならば、正直に答えてほしい。遅効性の致死毒は、ありますか。具体的には、服毒してから半日後に発動するようなものです」
レイが、エラムとの取引に合意した理由は、「暗殺者なら知っている毒や殺害方法がある」と期待してのことだった。
だが、エラムの回答は、レイを失望させるものだった。
「私は知りません、残念ながらね。私はルーハともアシュとも長く取引がありますが、どちらも、そのような毒は持っていません。……皆が欲しがるから、伝説としてはありますがね。しょせん伝説です」
落胆を押し殺し、レイは続けた。
「では、次。……行動を強要させる毒はありますか。例えば、やりたくない殺人をやらせる毒です」
「ありませんね。もしあったら、やはり私の仕事は不要でしょう。……レイ殿は、ずいぶんと毒にご興味がおありのようだ。まるで、《《マルク神官長が、じつは遅効性の毒で暗殺されて、誰かがやりたくもない殺人をやったことを証明したい》》かのようだ」
レイの顎から、汗がしたたり落ちる。背中と手は、すっかり汗で冷え切っている。
「レイ殿。私はつくづくこう思うのです。人間は、語らないもので語れる、とね。つまり、その人が『なにを避けている』かを見れば、その人がわかる」
エラムは目を細めて、ささやくように、レイに語りかける。
「あなたは私との会話で、ふたつのものを避けた。《《ナイフの刺し傷》》、それから、《《もうひとりの少年修道士》》」
◇
突風が吹き抜けて、二人の沈黙をかき乱す。
「ふふ、あなたはこの話の間、ずっと動揺していましたね。だから今、盤上が危機的に追いこまれている」
エラムが指摘するとおりであった。
最後の蝋燭における必勝法は、こうだ。
『相手よりも早く、徹底的に駒を減らす。
そして、【死者の時間】で逆転して、駒を増やして、相手を殺す』
だが、レイは、駒を減らせなかった。
レイは、エラムより三つも駒が多かった。蝋燭は尽きる寸前――次の【死者の時間】で逆転される。
そうすれば、レイの負けがほぼ確定する。
「この蝋燭は、まもなく消える。……あなたの命のように。諦めて、知っていることをすべて話したらどうですか。まずは、ナイフの傷。それから、もうひとりの少年修道士」
蝋燭の向こうで、エラムが捕食者の笑みを浮かべる。
絶体絶命であった。
◇
目を伏せていたレイが、顔を上げる。その青い瞳には、金色の炎が揺れていた。
「……違いますよ、エラム殿。この炎は、あなたの命の炎だ」
エラムが、眉をひそめた時。
どっ!!!
すさまじい轟音が、鼓膜を直撃した。髪と風布があおられる。視界が激しく揺れて、闇に飲まれた。
「なに!?」
すさまじい強風が吹いたとエラムが気づくと同時に、レイが淡々とつぶやく。
「……明け方に、東から激しい強風が吹く。――私が昨日に読んだ、風読みです。特に今日の風は強いのですよ。《《蝋燭の火が消えるほどに》》」
エラムは、はっと卓上を見る。蝋燭の炎は、風に消えていた。
「【死者の時間】の発動条件は、蝋燭が燃え尽きた時……そうですね?だとするなら、《《燃え尽きる前に消えたら、【死者の時間】は発動しない》》。駒の交換は発生しない」
「……!」
「蝋燭はこれで最後だ。かつ、私の質問に、あなたはこう答えた」
――『《《最後の蝋燭が消えたら》》?』
――『その時点で【死者の時間】は終わり。通常ルールに戻して、<王>を討った方が勝ち。もし決着がつかなければ、駒数の多い方が勝者です』
「つまり【死者の時間】は終わり。通常ルールに戻り、<王>を討つか、決着がつかなければ、駒数の多い私が勝ちです。そして、あと十手後、私は王手をかけられる。あなたの負けです」
エラムは呆然として、盤上を見る。しばらくして、顔を上げる。
「……そのとおりです。十手以内に、私は詰む。……すばらしい!さすがです!盤外の盤上を、あなたは読み切った!!すばらしい!!」
エラムは歓喜に身を震わせて絶叫した。レイは、エラムの反応に、思わず後ずさる。
「……あなたの敗因は、私の部屋で盤上戦を仕掛けたこと、私に蝋燭を置かせたことです。私は、風読みです。自室を通る風の道など、熟知しているに決まっている。……では、あなたに毒針を刺す。それでいいですね」
「ええ、どうぞ、どうぞ」
エラムはじつにうれしそうだった。袖をまくり、腕をさらしてさえいる。
異様だった。徹頭徹尾、異常な男であるが、死の直前まで、これほど異常であり続けられるのか。
毒針を手にして立ち上がったレイは、机の向こうに座るエラムに近づきながら問う。
「……暗殺者というわりに、ずいぶんと命を簡単に投げ出すのですね」
「逆ですよ。暗殺稼業だからこそ、いつでも死を覚悟している。あなたもそうなのでは?あなたは、命を賭け金として出すことが、初めてではない」
刹那、逆巻くような違和感が、レイの脊髄を突き抜けた。思考するよりも早く、身体が理解した。
――だめだ。エラムに近づいてはいけない。これは、罠だ。
だが、レイの体はすでにエラムに接近してしまっていた。お互いに触れられる距離だった。
レイは、発作のように、重心を背中に倒して身を引いた。直後、レイの右腕に激痛が走る。
「ここまで読み切りますか!すばらしい!」
狂喜に満ちた声が、レイの霧散する思考にたたきこまれる。
「く、そ……」
レイは急激に眩暈を覚え、床に倒れた。喘ぐように息がこぼれ、指と睫毛が激しく震えた。目を開けていられなかった。
「大丈夫ですよ、レイ殿。これは、ただの睡眠針です。半日ほどで目が覚めます。私がお暇する時間だけ、いただきたい。勝負は、まちがいなくあなたの勝ちでした。また遊びましょう」
思考が一瞬にして溶け落ちていく。
「ジン………」
レイはその言葉を最後に、意識を手放した。




