第2話 娘との会話
「…お父さん、頭を上げて」
「いや、しかし私は」
「いいから」
優しい娘の声に頭を上げる。
俺は17年間一度も会わなかった薄情な男だ。
それなのに、美愛はこんな俺をお父さんと言ってくれた。
「もう私はお父さんを恨んでませんから」
「いや…私は」
俺は赦されない罪を犯した。
例え親権を元妻に奪われたにしても、離婚の条件で決めた面会権を反故にされたとしてもだ。
「お父さんの言い分もあるでしょ?
一方的に責めたり出来ないよ」
「…どうしてだ」
どうして娘は穏やかに微笑む事が出来るんだ?
罵倒され、金だけ持って帰るのを想像していたのに。
「おじいちゃんと連絡を取り合っていたんだ」
「ああ」
言う通り、元妻の実家と連絡を取り合っていた。
それは娘の様子を知りたい、俺の我が儘でしかなかった。
「でも、一回くらい来てくれても良かったのに」
「それは…本当にすまない」
返す言葉もない。
元妻の実家からの手紙には、離婚の真実を美愛に伝えてないとあった。
史佳の事、きっと俺を悪者に仕立て上げ、自分は悪くなかったと、美愛を洗脳している、そう思い込んでいた。
「お母さ…史佳さんはどうしてる?」
「聞いてないの?」
「ああ、何も」
元妻の現在は聞いてない。
向こうからの手紙には、娘の現在しか書かれてなかった。
写真も元妻が写っている物は1枚もなかった。
俺を気遣っての事かと思っていたが。
「12年前に居なくなったの」
「居なくなった?」
「うん、東京に行くって家を飛び出したきり…」
「…なんという事だ」
こんなバカな話があるか?
あれだけ親権を主張しておきながら、娘を捨てるなんて、アイツは何を…いや待て、ひょっとしたら…
「まさか、養育費は」
「それは分からない、でもちゃんと私は生活してきたから」
「クソ…」
怒りでどうにかなりそうだ。
史佳の実家が決して裕福ではないと知っていた。
だから養育費は毎月7万円、娘が18歳になった今年の1月まで、17年間欠かさず送金していたのに。
娘の不幸は金で償える物ではない。
それは妻が壊したのであっても、親である責任は別。
だから俺は我武者羅に働いて送金して来た。
その結果、常務にまで出世が出来たのは別の話。
こんな事なら、娘の現状を調べておくべきだった。
一緒に暮らすのが無理だとしても…いや事情をちゃんと家族に話していたなら、親権の変更や俺の家で引き取る事だって出来たのに。
「おじさん」
「なにかな…」
怒りに震える俺に祐介君が声を掛けた。
こっちはそれどころじゃない、娘を不幸にした奴をどうしてやろうか。
「美愛は今も不幸と思いますか?」
「もちろんだ、こんな目に遭っていたんだ!」
何を当然な事を聞く?
子供が口を挟むべきじゃない。
「お父さん…私はもう不幸じゃないよ」
「み…美愛」
娘は静かな目をしていた。
どうして娘はそんな顔が出来るんだ、怒りはないのか?
「確かに私はお母さんの浮気でお父さんを失ったよ」
「だから…」
「最後まで聞いて」
娘は私の言葉を遮る。
目に僅かな涙が滲んで、俺は声を失った。
「でもね、おじいちゃん達は私を大切にしてくれた。
お母さんが消えちゃて、寂しくて泣いていた時も、一緒に泣いてくれた。
そして悪い事は決して、やっちゃいけないって」
「それはだな…」
そんな事は当然。
自分の娘が起こした不始末なのに、一緒に泣いてどうする?
何も解決しないじゃないか。
「なにより、私には祐介君が居てくれた…」
「…祐介君が?」
美愛の肩をそっと抱き寄せる祐介君。
なんて事だ、二人が交際しているのは知っていたが、まさかここまでとは。
「それにお父さんだって、お母さんと別れてから、ずっと不幸だったの?」
「何を…」
「だって再婚してるでしょ?」
美愛は私の左手薬指を見つめる。
私の薬指には結婚指輪が填まっていた。
「気づいていたのか」
「ええ」
迂闊だった。
これは軽蔑されても仕方ない。
父親が別れた娘を放置して、新たな幸せを掴んでいたのだからな。
「どんな人?」
「どんなって…」
「お父さんの新しい奥さん」
「それは…」
どう答えるのが正解なんだ?
確かに八年前再婚した妻との仲は良好だ。
二人の子供にも恵まれたし、順調に新しい家庭を築いたと思う。
「きっと素晴らしい人なんだろうね、私に会うのを許すくらい」
「…うむ」
美愛の言う通りだ。
妻は今回私が別れた娘と会う事を嫌がるどころか、もっと早くするべきだったと言ってくれた。
金だって、通帳より多く渡すようにしたらと…
「ほら、お父さんも幸せになれたでしょ?」
「確かにな」
「だから私を不幸だったと決めつけないで」
「…すまない」
完全に言われてしまった。
反論は出来ない、これ以上は私のエゴ、傲慢な考えになってしまう。
「それって、失敗から学べたんですよね?」
「なんの話かな?」
「ちょっと祐介!」
祐介君は一体何を言うんだ?
「だから、失敗したから今の幸せを築けたんでしょ?
それって素晴らしいですよ」
朗らかに笑う祐介君。
不躾とは感じない、何故だ?
彼が無神経から聞いているのではない事が不思議と分かるからだ。
「確かにそうだな、失敗があったから…」
考えてみれば、史佳と結婚していた時の俺は仕事に追われ、ちゃんと家庭に向き合っていなかった。
もっと家庭を大事にしていれば、史佳は浮気に走らなかったかもしれない。
そこを反省したから今の幸せな結婚生活がある、これをどう祐介君に伝えたらいいか…
「お父さんも真剣に考えないで!」
「す…すまん」
美愛は頬を膨らませる。
祐介君は本当に不思議な子だ。
俺もそろそろ腹を決めよう。
「美愛」
もう一度背筋を伸ばし、改めて娘を見つめた。
「何かな?」
「大学の費用をもう少し援助させてくれないか?」
「それはさっきの通帳で終わりでしょ」
「それとは別だ」
「これ以上はいいよ」
「いいや、それだけでは足りないだろ」
300万は大金だが、4年分の学費と家賃を考えたら到底足りる物ではない。
「本当に大丈夫だから」
「どうしてだ、1人暮らしの家賃とかあるだろ」
「それはね…」
「おい美愛…」
美愛はどうして祐介君を見る…まさか。
「二人一緒に住むのか?」
「し…寝室は別の部屋ですよ、借りるのは2LDKで」
「そ、そうシェアハウスみたいなものだから」
「そうか…そこまで知るつもりはなかったが」
思った以上に二人の交際は進んでいるって事だな。
「あ…?」
「しまった…」
初々しい二人。
みんな公認しているのだろう。
俺が口を挟む事ではないし、そんな資格もない。
「話は戻るが、心配はいらない。
元々離婚の時に娘が大学へ進むなら、再度の話し合いをする予定だったから」
「そうだったの?」
「ああ」
これは本当の事だ。
史佳から連絡は無いが。
「今日はありがとう美愛。
会えて嬉しかったよ」
「うん、私も」
「祐介君も」
「は…はい」
祐介君ともしっかり握手を交わす。
凄い手汗だ、本当は緊張していたんだろう。
金額の話し合いは弁護士を交え後日と決め、今日は終わり。
呼び出したタクシーに二人を乗せ、見えなくなるまで見送る。
まさか今日がこんな素晴らしい1日になるとは。
「さて…」
携帯を取り出す。
時刻は午後八時、今ならまだオフィスにいるだろう。
俺が離婚した時に担当していた会社の顧問弁護士が。
「もしもし石井です。
実は養育費の返還請求を…」
しっかり報いは受けて貰うぞ。
美愛に許可は取ったから、逃げ切れると思うな。
居場所は興信所で調べたら分かるだろう。
金はいくら掛かろうが、しっかりケジメは取らせて貰う。
刑事罰に問われないだろうが、罪は罪だ。
史佳に償わせるのが、娘に対してお詫びの一つになる。
「すまないが徹底的に頼む」
携帯を握る手に力がこもった。
次は史佳サン




