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魂の記憶の破片

作者: 蓬田灯子

挿絵(By みてみん)


薄暗い石積の部屋。壁掛けの燭台には火は灯されていない。

家具といえば、古い木のテーブルに、椅子一つ。テーブルの上にはコップが一つ置いてあるだけの閑散とした室内。

小さな窓は開け放たれ、夜明け前を示す群青の世界が辺りを静かに包んでいる。

部屋の中には女が一人、何かをしていた。

後ろで簡単に結い上げたブロンド色の髪、細身の身体、服装は薄手の長袖の質素なワンピース。顔は無表情に近かった。

一言も声を漏らさず、縦長の大きめな木造の厨子の様なものに向かって、手を合わせ、祈りを捧げていた。

しばらくして、目の前にあった小さな木箱に、そっと大切な物を入れた後、何かを決心した様な、頑なな瞳で窓の外を見た。

鳥が一羽、羽ばたいた姿が見えた。空がゆっくり陽を歓迎し、静寂が眠りにつこうとしている。



(………。そろそろ…、行こう)



 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


ジャッ、ジャッ、ジャッ…


辺りは少しずつ明るくなり、空は桃色に染まっている。

その空の下を手荷物何一つない格好の男女二人が、早足で砂利道を踏みしめていた。



「……何か、焼けた臭いがしないか?」


頭の天辺から、足の爪先まで、全身を黒色の姿でかためた男性が、眉間にしわを寄せ、帽子のツバを片手で持ち上げながら、隣を歩くよく見知った連れに話しかけた。


「墓地が近いのよ…人が焼けた臭い…」


隣人に顔を向けず、淡々と答えるその素っ気ない態度を、男は気にすることもなく、あぁ、なるほどね…という、納得の表情で頷き、問いかけた臭いの話はすぐに終った。


目の前にあるのは、まっすぐな砂利道。

左側には畑があるが、そこには野菜一つ育っておらず、焦げ茶色の大地が剥き出しになっている。

この季節なら畑仕事に勤しむ農夫たちの姿があるのだが、今は人一人として見当たらない。

石を踏む二人の足音だけが響く。

他に話題もないのか…、それとも話す気になれない事情があるのか…、互いに黙ったままだった。



 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

しばらくすると、まっすぐな右寄りの道と、左側に行く別れ道に差し掛かった。

分かれ道の真ん中の先端に、石像が立っている。

高さは190センチほどだろうか。目は伏せ目がちの独特の顔立ちをしている女性像だった。

頭からショールを被っており、その間からは波うった長い髪を垂らし、服装は爪先まで見えないワンピース姿。

女は像に近づいていき、何のためらいもなく自身の左手を石像の顔辺りに掲げた。その左人差し指には、11の数字が彫られた刺青が見えた。

連れの男は黙ったまま、その行動を見守っている。

すると、道の中心を向いていた像の首がグググと軋み音を立てて、自動的に左側に動いた。

それを確認すると、左側の砂利道をまた黙々と歩き始めた。


________


歩く足元から、陽の光で温もった土の匂いが鼻に運ばれ、目には瑞々しく輝く木々の緑が眩しい。二人は長い砂利道から林の道に移っていた。

すると間もなく、絶叫と土埃をまといながら走ってくる大勢の人が見えた。


「キャーーー…!!」

「わぁーーー…!!」


目の前にモウモウとわく土埃と共に、血相を変えた人々が通り過ぎていく。

二人はその様相にさほど驚きもせず、自分たちのそばを走り行く様を見ていたその時…、


「…リュンヌ!!!」


女の名を大きな声で叫ぶ声がした。

リュンヌと呼ばれた女は、声がした方へ目を向けた。


「姉さん…!」


腰下まであるブロンドの髪を乱し、息を荒げ、勢いよくこちらに走ってくる。顔には滝のごとく汗が流れ落ちてきていた。


「あなた、これから街に行くのね!?

お止めなさい、今あそこは軍が入ってしまっている……行ったら必ず殺されるわ……!」


自分より少し背の低い妹の両肩を強く鷲掴み、真剣な眼差しでそのまま黙った。

しかしリュンヌは、その言動に対して全くと言っていいほどうろたえることはなく、澄んだ瞳で姉を見据えていた。

その様子を見て悟ったのか、姉は震える声で懇願した。


「…っ……行ってはだめ…っ行っては………」


連れの男が逃げてくる人々を掻き分けながら、ずんずん進んで行ってしまうのが見えた。


(…私も行かなくては……)


そう思った瞬間、ぎゅっと強く瞳を閉じた。


「………姉さん、ごめん…!」


両肩を掴まれていた手を荒く振りほどき、走った。


「だめっ!!! …行ってはだめっ!!」


逃げ惑う人々の、声にならない声の中に、悲嘆の叫び声が胸に突き刺さった。

逆走する自身の身体に容赦なくぶつかってくる人々。しかし進まなくてはならない。

何度も何度も、自分を呼び戻そうとする声に、一度だけ振り返った。

立ちすくんだ姉の顔が、くっきりと見えた。

ほつれてしまった長い髪を乱しながら唇を噛みしめ、心の中で優しい姉に別れを告げ、また前を向き力強く走った。


_______


陽の光に照らされた、白い石造りの大きく、壮麗な建物が並ぶ街並み。

普通なら、人で賑わい、和やかな街の風景が、今は全く別のものに変貌していた。

二人は、建物の影に身を隠しながら息を潜め、辺りの様子を探っていた。


「………街の人間が殆どいない、軍の人間だらけだ…」


目的の街までやって来たが、そこは銃を所持する軍隊が運びっていた。

姉が言っていたことは本当だったのだ。

黒い車が何台か行き来している。

数十メートル先には、銃を両手で持ち、辺りを伺う軍人がいた。


「……見つかったらまずい…、気を付けて行こう」


その言葉にリュンヌは静かに頷いた。

ゆっくり身を動かし、物陰を伝って歩く。

軍人の動きに目を見張りながら進む中で、連れの歩みが急に止まった。


「…待て………、あいつ、知り合いかもしれない………もしかしたら……」


そう言って黙ってしまった。

何かを考えているのだろう、その答えを待って横顔を見つめた。


「……ちょっと行ってくる…。いざとなったら…」


視線を送った。


(いざとなったら……逃げろ。)


その瞳が、そう告げていた。

息をつめて頷いた。汗が頬を伝っていく。


「……気をつけて…」


男はその言葉を受け、ゆっくり石造りの物陰から出て行き、知り合いかもしれない、という軍人の方へ、歩を進めて行った。


_______


はぁっ…はぁっ…


リュンヌは紅いショールを頭から被っている小柄な老婆の手を引きながら、何階建てかわからない石造りの建物の下に入り、息を切らし、流れる汗をそのままに小走りしていた。

街の広場へと通じる出口から、少し顔を覗かせ軍人たちの様子を見張った。


(見つかってはいないようだ…)


それを確認すると、一息つき、傍らにいる老婆に気を遣っていると、少し先の陽の光が入らない暗い場所に目を向けた。

小さな子供二人と老婆らしき人が身を支え合いながら、すすり泣きをしているのが見える。

その三人の前には、張り付けにされている人間の姿があった。顔は奇妙な被り者で覆われている。

リュンヌは手をつないでいた老婆の手を一旦離し、三人に近づいていった。

暗くて顔はよく見えない。しばらく黙ったまま三人を見つめたあと、十字に張り付けにされている人間に近づいた。

虫の息に近かった。声を出せないほど苦しいのだろう。

ヒュー…、ヒュー…、と息が漏れている。

スカートの中から短刀を取り出し、躊躇することもなく、少し背伸びをして目の前の首に刀でスッと横に切り裂いた。

ゴポッと音を立てて赤いものが出たあと、少しして苦しそうな息の音は、ぱたりと止んだ。

リュンヌの行動に対して、三人は何も言わなかった。

すすり泣きを続けている子供たち。

この張り付けにされている人間が、この三人とどんな関係なのかは分からなかったが、老婆らしき人が微かにお辞儀をしたような仕草をしたのはわかった。

短刀をもとに戻し、老婆の元へ戻り、また手をつなぎながら考えた。


(……どのルートで行けばよいのか…)


しわくちゃの少し汗ばんでいる手を引き、三人の目の前を通り過ぎた。

少し先の道を行くと、光が差し込んだ壁に、何かを打ち付けている影が見えた。何か鈍い音も聴こえる。

それを見聞きした瞬間、老婆が急に叫びだし、


「…っ、もういやっ……!!」


そう言うや身を翻し、走って逃げてしまった老婆の後を必死で追いかけた。


「待ってっ…!!」


老婆と思えない速さで、また別の薄暗い道へと逃げていく。後ろから見る紅いショールは、何か別の生き物に見えた。

走りながら懸命に手を伸ばし、老婆の腕をやっとのこと掴まえた。

二人の上がった息の音だけが辺りに響いている。

掴んだ腕からは、怯え震えている振動が伝わってきた。老婆のこのような姿を見るのは、辛く、心苦しかった。

夢中で走ってきた道にまた目を向けると、何となく見覚えのあるところだと気づいた。


(……そう言えば、もう少し行ったこの先に………)


震えている老婆の身体を、両手で支えながらゆっくりと歩を進めた。

すると、人の気配がする焦げ茶色の木造の扉があった。

そこの扉を開けると、何十人と人が身を寄せ合っていた。大半が女性である。

頭からショールを被っている人が多くいた。

この部屋には、小さな窓がいくつかあり光が射し込んでいて明るい。

リュンヌが部屋を見渡していると、一人の中年の女性が目を見開いてこちらに小走りで寄ってきた。


「あぁ、大変でしたね、どうぞこちらへ!どうぞこちらへ!」


人を掻き分けながら、勧められた場所へ行くと、背もたれのある深く座れる椅子があった。

そこへ老婆をゆっくりと座らせ、自身もその隣に身をかがめた。


「………あぁぁ……」


老婆から柔らかい微笑みと、安心した吐息が漏れた。

それを見た瞬間、リュンヌは心からの安堵と幸福を感じ、同じく微笑んだ。


(……良かった…)


老婆は疲れきっていたのだろう、目を瞑って数分で、寝息をたて始めた。

座らせてもらった椅子の場所は、光がよく入る場所だった。ショールから出ている老婆の肌に、生気の色を映し出した。


すると間もなく、椅子を勧めてくれた中年女性の顔が、すぐ近くにある小さな窓の方を見て青ざめた。周りの空気もざわつき始めた。

窓の方に目を向けると、遠くに軍人二人がこちらに向かって歩いて来るのが見えた。

リュンヌは中年女性に視線を向け、大丈夫、という仕草をすると、すっと立ち上がり一人扉の方へ歩きだした。


中年女性は、寝息をたてている老婆の傍らに座りながら、扉から毅然と一人出て行き、軍人二人に連れていかれた彼女を息を止めながら見守ることしか出来なかった。


_______


いきなり屋根も何もない屋外に連れ出され、強い陽射しが目に痛かった。

軍人の男二人に連行され、黒い車の後部座席に促され座らされた。


(………いざとなったら、殺れる。

銃は、私も持っている…)


静かな表情の下で、そう呟いた。

車が動きだし、窓から入る光が顔に反射してくる。

膝に乗せた白い両の手の甲をじっと見つめた。そして、瞳をゆっくりと閉じた。


(……やりたいことは、できた…)


そして、瞳を開き、顔をあげた瞬間、前の助手席に座っていた、軍人の青い透き通る瞳と目が合った。

そこにもう一つ、黒い鉄の穴も自分に向けられていた。


_______



額、だったのだろう、一発でこの世を去ったようだ。

その後のことは、わからない。


建物や服装から見て、18世紀頃のフランスではないかと、推察する。



私は今、21世紀の現代を生きている。

この記憶をたずさえながら。



(終)

読んでいただきありがとうございます( ;∀;)

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