タクミくん
「あっ、タクミくんだ」
そう言って七歳の娘が赤い空を指さした。
見ると雲が夕陽に陰影豊かな表情を作っており、それが人間の目と口のようになっていた。そしてそれは確かに、亡くなったばかりのタクミくんに似ていたのだった。
「本当だね」
黒いおべべを着た娘の肩に、抱くように私は手を触れた。
「こうやってタクミくんはこれからも、莉奈のことをお空から見守ってくれるんだよ。だから寂しくないね?」
「ありがとう、パパ」
莉奈は繋いだ手をぎゅっと握った。
交通事故で亡くなったタクミくんの葬式の帰り道だった。
私は責任逃れのようなことをしていると感じていた。妻と離婚して、莉奈を引き取ったはいいものの、仕事が忙しく、あまり娘にかまってやれない。
近所に住むタクミくんのことを私は娘のストーカーのようなものだと少し思っていた。しかし所詮子供であるし、何より莉奈は気にせず懐いていた。
私は自分のために、タクミくんを利用していたのだった。莉奈の遊び相手というよりは、私の果たせていない、『莉奈を寂しがらせない』という責任から、逃れるために。
そのタクミくんが、いなくなった。
空を見ると確かにその雲はタクミくんに似ていた。
人間は3つの点を見ると、それらを結んで脳内で人間の顔を作り出すらしい。シュミラクラ現象とかいったか。そして莉奈に『タクミくんに似てる』と言われてから見たので、それがタクミくんによく似ているように見えただけのことだった。
しかしタクミくんは、莉奈のことを、それからもよく見守ってくれた。
カーテンの襞が、テーブルクロスの皺が、木々の枝の隙間が、娘にはタクミくんの顔に見えた。
私はそれを都合がいいとして頷いていた。
家政婦サービスを利用することにした。
私は大事な時だった。昇進がかかっていたのだ。子供になどかまっている時間は、なかった。
しかし世間様には演じて見せなければならない。私が莉奈を愛し、けっして寂しがらせてなどいないことを。
日曜日には公園に連れていった。莉奈を勝手に遊ばせながら、パソコンで自分の仕事をし、たまに様子を伺っては笑顔で手を振る。
「あっ! タクミくんだ!」
娘がそう言って指さす先にはいつも3つの点があった。そしてそれは確かに彼に似ていた。
私は「そうだね」と頷くことも少なくなり、娘がそれを口にするたびに不機嫌になるようになっていた。
夕食を家で取ることはあまりないが、その日はたまたま私は食卓にいた。
家政婦の作ってくれた肉じゃがを前に、莉奈と向かい合って夕食を取った。
「あっ! タクミくん!」
娘がテーブルクロスの皺を指さし、そう言った。
確かにそこにある3つの点は、人の顔のように見えた。タクミくんにも確かに似ているように見える。
私は不機嫌に答えた。
「もう、やめなさい。タクミくんは死んだんだ」
あまりにしつこいと、子供の口にするファンタジーなど煩いだけだ。
「お父さんは忙しいんだ。イライラさせないでくれ。もう七歳だろ、いつまでも子供でいるな。俺が現実を教えてやる。タクミくんはな、死んだんだ。自動車に轢かれて、首が折れ曲がってたそうだ。死んだんだよ。もう、どこにもいないんだ」
大人げなかったとは思う。しかしイライラしていた。仕事が優先だった。子供の妄想遊びになど付き合ってはいられない。
「でも……パパが……」
莉奈は泣きそうな声を出した。
「タクミくん……見守ってくれてるって……」
「あれは嘘だ。変なことを信じないでくれ。家政婦サービスの人が来てくれるから、おまえももう寂しくは……」
「あっ!」
莉奈が私の後ろのほうを見て、突然、声をあげた。
「どうした」
私は固まった。
「後ろにタクミくんがいるのか?」
「だめ」
莉奈が真剣な顔を横に振る。
「見ちゃ、だめだよ、パパ」
何を言ってるのだろう。何が見えているのだろう。私は絶対に振り返りたくなかった。
しかし、莉奈は、見てはだめと言いながら、私の後ろにいるものから目を離さない。
子供の遊びだ。くだらぬ遊びだ。そう思いながらも、後ろが気になって仕方がない。
私は、ゆっくりと、振り返った。
そこには流し台があるだけだった。小さな蛍光灯がぼんやりと点滅している。
「……ったく。くだらない」
私が顔を前に戻すと、タクミくんが私の膝の上にいて、大きな目で私を見つめていた。白い顔が白すぎた。そして赤い口を震わせるように開き、低い声で言った。
「リナちゃんヲ……寂しガラセルナ」