塗り絵帳に色を付けていた幼少のころ
・・・・・・テーブルにはこの一つで、私が月に一度の外食で使う予算と変わらないばすのモンブラン・ケーキとスタバのコーヒーが用意された。腰の低い年増の女は「先生」の母親らしい。マネージャー的なこともしていて娘を支えている、と微笑んだ。
「幾つになっても手を焼いてしまうんです。昔から何もできない少し変わった子供でしたから。しかも性格は無駄に厳しいし、頑固で負けず嫌いといいますか・・・・・・」
「あっ、はい」まだ私は、パイプ椅子から生まれようとした私の内心の儀式の余韻を感じていた。
「・・・・・・学校に友達もいなくて・・・・・・いじめられていた頃もありました。漫画とかアニメとかが好きで、いつも部屋の中で独りでした・・・・・・」
「ええ」だろうな、と私は思った。じゃなければ絵描きなんかになるわけがない。
「うちには歳の離れる姉がいるので、ときどきそのお姉ちゃんが外に連れ出さないと靴を履く機会がないくらい、部屋に籠るようになってしまっていて・・・・・・どうぞ召し上がってください」お母さんは自分のコーヒーに口を付けた。
「・・・・・・」私が知っている、パサパサなスポンジの黄色いモンブラン・ケーキとは違う味がした。概念がひっくり返るようだった。
「あの子、今年でもう三十三になるんです。私の青春時代には何一つ素敵な思い出はなかった、って言ってます。恋愛したこともないって」お母さんは笑った。
「・・・・・・お母さん。一つ伺ってもよろしいですか?」私はプラスチックのスプーンを紙皿の上に置いた。
「はい。何でもお聞きください」
「他の荷物はどこにあるのですか?」どうして私は自らを追い込もうとするのか不思議だ。
「荷物ですか?」年増の女は壁際のパイプ椅子を見やった。
「ええ。荷物です」
「気にしたことはありませんでしたが、まぁ確かに少ないかもしれませんね。私のハンドバックと娘のカーディガンだけですから」女は壁際から視線を戻した。
「娘さんは常に手ぶらなんですか?」
「そうですね。基本的にはそうです。スマホくらいは持っていますけど、それは今私のバックに入ってます」
なるほど全く素晴らしい女職人だ。だってそうだろう? 手ぶらでフラッとやってきて、小銭を稼いで手ぶらで帰っていくのだ。
お母さんは私の顔を不思議そうに見ていた。不審そうにではなかった。私はそう確信した。私はパイプ椅子から生まれ始めていた内心の儀式に「サヨナラ」を告げた。
「大した娘さんです」
「はぁ・・・・・・そのぉ、なんて申しますか手ぶらが、ってことでしょうか?」お母さんは目を閉じ笑わないように我慢している風だった。
「・・・・・・私は娘さんのようにプロなんかにはなれませんでしたが思いますよ。断言したいくらいです。独りきりで絵を描く以外何もない青春を、振り返れば無駄に過ごしたようにしか思えないなんてことは絵描きにとっちゃ通常運転の人生です。双葉の時は暗闇の中でしか成長しない、そんな花を陽の光のもとで咲かせる彼女のような才能があってもなくても、彼らは青春とか恋愛とかを犠牲にするもんなんです。あるいは天秤にかける。社会に出て行く自信のなさを右の皿に乗せ、かけがえのない若葉の季節を失ってでも実力だけで食べていけるよう、今を努力する、という決意を左の皿に乗せちまうんです。我々の殆どは神秘的でさえあるほどの小心者ですから、より危険な、明らかに険しい道を選んでしまうのです。成功したらしたで、これまでとは雨量の違う強い雨から身を護るためのずいぶんと大きな傘をさし続けなくてはならない、そんな想定外の苦労が続くのだろうし、絵を描くことの挫折が全人生の挫折と同義である私のような連中は、そこから始まる新たな苦労、つまり新しい種類の苦労・・・・・・たとえば喪失したまま心や気持ちが乾き続ける日照り的人生を送るだけなんです。しかもこちら側の方が桁違いに多い。そんな私たちにできるのは・・・・・・しなければならないのは・・・・・・かつて多くのことを犠牲にしてでも自活できる絵描きになろうとした、年若い頃の、大バカだった過ぎる強い想いをなるべくなら後悔しないことなんです・・・・・・」私は母の遺影に一度だけ語ったことがある同じ気持ちを述べた。普段からの寝不足や偏食なども心配していた母親の忠告を無視して、まい進した末に大コケした人生に対する言い訳。私の内心にだけ存在していた、誰にも言うべきではない、と思っていた負け惜しみ。
「・・・・・・」お母さんは私の目を真っ直ぐに見て頷いたが、チラッと腕時計で時間も確認した。表で行列を作ったサイン会を終える娘を待たせていることもそうなのだろうが、会場や控室の撤収時間が決まっているのだろう。
「・・・・・・」そのおかげで、胸の内を吐露してしまった自分の恥ずかしさが少し薄れた。
・・・・・・「先生」は本当に飛ぶようにして戻ってきた。きっとあの翼を使って。そして控室に連れ立った関係者もいる前で私に弟子入りを直訴したのだった。
私は今現在「あいつ」の個人事務所で「先生」の師匠兼時給アシスタントをしている。何もなかったことで色々あったがラッキーな人生だと思うし、いつも現実から逃避したかったこの暗い世界にも美しい物語があることを「我々」はデジタルを介し知った・・・・・・
「師匠さぁ、何回言えば分かる? ブランクがあっても、色同士の関係性は変わらないでしょ? 何でここを反射させるかな」先日来、初夏の夕暮時、近未来的なポップ調の寺に吊るされるカラフルな梵鐘を突く少女が掛けたティアドロップのレンズを巡り、ぶつぶつ言い合っているのだ。私はミラータイプにして光の反射を入れ、敢えて周りの色に埋もれた方が良いと思うのだが、本人はこの子のサングラスが「絵の命」だから反射させるな、と言うのだった。
まぁ、なんにせよ全国を巡回する大きな個展が近い「先生」は今日もカリカリだ。
「だからお前は佳作だったんだ。ここはマジで敢えてからの逆だぞ。分かるか先生?」
「逆にって、私が逆によ。ったく」
「ったく、って言うかトイレ掃除したか? 今日はお前の番だからな」私は「先生」に言った。
・・・・・・直訴されたとき、私の時給を提示した先生に私は条件を付けていたのだ。たとえ自分の事務所であっても、トイレを使う人間は全員が順番で掃除すること。近くで見るとますます勝気な目をする、間違いなく人生を勝ち上がった著名な若い女はしばらく絶句していたが、私は言ったのだ。
「・・・・・・いくら売れていても絵描きに限らず、クリエイトには忍耐が必ず必要です。周りの評価に対してはもちろんでしょうが、どんなに優れた作品でも実際は永遠に未完成なんですよ。だとするのならば、終わりのない細部と対峙するための忍耐力がいる。一定以上のそれは物事の理不尽さによってしか身につかないんです。君のような優れたクリエイターは自分の才能に潰されてしまわぬよう普段から(忍耐における)基礎体力を保たなければいけないんです。どうです掃除できますか?」
「トイレを掃除していれば、いつか私もあなたのような翼を描けるようになれますか?」
屁理屈に聞こえたかもしれない。でも女はそれが理想とする場所への「最短距離」なのだろうか? と考えたようだった。少し短絡的な気もしたが、賢いのかもしれない。そして何より幼いころに抱いた「夢」を、それは初めからなのだろうが、他人の評価に関しては殆ど意味のない「夢」をまだ諦めてはいなかった。
「・・・・・・正直、それは分かりません。でもあなたは私のように、ぺしゃんこに潰れずみんなに驚かれるような作品を発表し続けて欲しいとは思いますよ。今日も明日もどうにか生きている人生の博徒連中のためにも」
私の目の前で、努力からしか捻りだせない魔法を宿す、その細い指先を組んでは解いて(考え事をするときの癖のように見えた)をしながら長考する娘の肩を肘で突いたのはお母さんだった。
子供のころから家事全般の手伝いをしたことのない次女が、これをきにトイレ掃除を覚えるのはありがたい、と思い、促したのかと私は勝手に思ってしまった。でもそうではなかったようだった。お母さんはこっそり自分の腕時計を示したのだ。私は現場を仕切るお母さんの責任感の強さに思わず笑い出しそうになったので下を向いた。
「先生」はお母さんを睨みつけたが、指を解いた掌で自分の太腿をパンッ、とひと叩きして椅子から立ち上がった。
何を思ったのか「先生」は時給をアップし、私の条件も飲んだ。成功した絵描きの心理は私には分からないもんだな、と心から思ったものだ・・・・・・
「・・・・・・今からしようと思っていたところですっ!!」今から、今から、とよく嘘をつく「先生」だが彼女は作品同様「細部」まできっちりきれいに掃除するのだった。
そんな「先生」が作業場を出て行く前に、私の隣の席にいる女の子にもダメ出しした。
「あこ。昨日この線が太すぎるって言ったでしょ? 線の太さはどこを引くにも理屈や勘じゃないんだよ。作者の哲学なんだよ。なんでこの子は裸足じゃなくて靴を履いてる?」
「は~い」女の子は涼し気に返事した。
「先生」が私たちを睨みつけてようやく出て行くと少女は私にも意見を聞いてきた。
「あきおはどう思う?」
母親が死んで以降、私を下の名前で呼ぶ異性がこの世に現れるとは思ってもいなかった。私は少女のタブレットを手に取った。
「俺もあいつに文句言われたばかりだから心境的には、これでいいぞ、って感じだけど、たぶん本当は少し太いな」私は水溜りから伸びる白い足の細さを基準に、水を弾く靴のサイズを決定する線の重要性を理論的に説明した。
「チッ」少女は舌を鳴らした。
「いま舌打ちしただろ」私は言った。
「してません」少女は微笑み、絵の主人公の「少女」の靴を描き直した。
彼女は「先生」の姪っ子だ。途中で躓いた小学校を卒業してから中学校の保健室を「中退」すると「先生」の門を叩いたらしい。態度はどうあれ、少なくとも腕は未知数だ。彼女に毎月課題を出す「先生」は惜しげもなく様々な技法や理論を教えるし、時には抽象的な表現で厳しい言葉を言うこともある。まぁそういうときは大概八つ当たりだったりするのだが。それでも全てを犠牲にする覚悟を持った十三歳の女の子はちっとも屈しない。私と同じく「毎日」顔を出しトイレ掃除は私たちより一日多い。むしろ私が来るまで彼女だけが掃除していたのだから、順番制に変わったことを喜んだものだった。しかも「先生」のように、今から、今から、と嘘はつかない。当番の日は朝一で終えるのである。
この少女はおそらく「絵」に限定するのならば、厳しい言葉を投げつけてくるのが身内じゃなくても屈しないだろうが、一方で「先生」は実姉の娘だから預かったのだと思う。絶対にそうだ。なぜなら定めた目標に向け、目隠ししてバイクを飛ばさざるを得なかった思春期に、味方になってくれた人間は姉しかいなかったのだから。「先生」は絵描きを目指す多くのカミカゼライダー同様、家族以外にだって必ずいるはずの味方の見つけ方を知らなかった・・・・・・もちろん私は弟子が、そしてそれは新たなアルバイト先のオーナーが「先生」だから再びペンシルを握ることにしたのだった。
・・・・・・ところで私はこの姪っ子のことも知っているような気がしてならない。いつかひとかどの絵師になれたらこの私を隣の席に乗せて、自分の描くキャラクターの「イタ車」を乗り回したいらしい・・・・・・「だから、それまではまきちゃんの為に過労死しないでよ」と少女はいつも私をからかう。
夕方の五時に「イタ車」を帰してからも続く我々の作業が当たり前のように日を跨ぐころになると、私はよく思い出す。ずいぶんと昔に「シェリー」とケンカしながら二人きりで過ごした真夜中のことをだ。「心から安心できる世界」で「そこには何もなくはない小さな自由」を描いていた現実の世界での充実感。あの日々はまぎれもなく父と母に守られながら、何の不安もなく夢中になって塗り絵帳に色を付けていた幼少のころと同じだった。それがいま三度起こっているような気になったりすることがある。だから私はあり得ないほどの幸福感と幸運が恐ろしく、実はようやく判明していた内心の儀式の全容を俯瞰するのだった・・・・・・