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シェリー  作者: ハクノチチ
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サルスベリ柄のワンピース

 

 逆に最近では、何もせずにあいつの作業を見守っていることの方が違和感なく思えてきた・・・・・・


 線を引き始めるとあいつは現れた。そのとき確かに夢の淵だったが、まるでそこの夜空の一角にはあるはずもない星明りが突然現れたようにーつまり彗星の出現みたくー色のない白い線画はしれっと立っていた。

 目が乾くまで凝視していると、昨夜と変わらぬ深夜の机上に重大な違和感を与える静かな存在は挨拶の一つさえなく生意気な物の言い方で文句を垂れはじめ、ぼくの指からペンシルを奪った。そして左脇に挟んで抱え、振り向きもせずタブレットの画面に上がり筆を走らせた。白袴の少女が巨大な筆で六畳間くらいある紙に挑む姿そっくりだった。

 「女の子に対するあなたの妄想じゃまともな線なんか引けやしないのよ」

 第一声を一字一句違わず覚えているのだが、もちろん何も言い返せなかった。寓話的な小さい姿に酷く驚いたし、真っ当な見解だったからだ。

 以来毎晩現れ、作者の意向を無視する態度や、機嫌次第では少しの妥協をすることもあるあいつの存在と辛らつな言葉に慣れて行き、いよいよ作業は大詰めにきていた。


 水には水の本当の色がある、と言っては縁側に座り、少し股を開いて足をつける、くつ脱ぎ石に乗った金盥の水の透明度に執着し光の揺れる具合を何度も試した。「手」は現実的な指のバランスと非現実的な美しさを同時に求め決して諦めるなと言った。「耳」を描くときは単なるパーツとしてではなく「聞き取る」器官としてか「聞き取ることが出来ない」器官として表現しろと言う。

 理論的な構図と色の使い方を同レベルで熟知する絵描きの描く人物は「手」と「耳」で決定的な差がつくぞ。派手な背景や主人公の癖のある表情に心血注ぐだけでは「命」なんか宿りっこない。ましてや、私たちの戦場はキャンバスじゃないんだから、そのことを忘れるな。いいか? 向き合い方次第では「命」だろうと「魂」だろうと、実際の刀剣やあるいは弦楽器みたく「デジタル」にだって放り込めるはずだ、と信じろ。

 何かに迷い仁王立ちすると、足で画面を蹴り掃くように動かしては絵のポジションを変えそのうち作業が再開された。ときどきぼくに小さな身体を持ち上げさせ上から全体を確認した。頷くか舌を鳴らすか、ぼくに八つ当たりをした。


 線画の白袴だった容姿はノースリーブでサルスベリ柄のワンピースを選んだ。長い赤髪は黒いヨーロピアン・ウルフにカットされ、二重瞼の瞳は青から一重の茶色へと施術した。胸の大きさに関して言えば、こちらも易々折れず妥協し得るサイズを二人で模索した。あいつが自身の胸に望むほどは大きすぎず、ぼくがイメージしていたよりも平らではなくなったわけだ。いぐさじゃなく、ガッツが織られた単純作業の畳の目・・・・・・奥の仏間は圧巻だ。深い陰に敢えて光の粒を散らすことで、直結はするが会ったことのない先祖を大切に供養した。そんなわけで晴れた七月の縁側にいる少女は完成した。ぼくのキャパシティーを完全に越える出来だった。


 目標にしていたコンテストへ応募するときひと悶着起きた。そんなものには出たくない、と言う。でもこっちはそのために二ヶ月を要し、追い込みの三日間はバイトのシフトと睡眠時間を丸々犠牲にしたのだ。

 「応募するのはコピーだぜ。オリジナルじゃない」

 「分かってないのよ。デジタルってそういうことじゃないの」

 「そう言うのなら俺はデジタルが何なのか分かっていないのだろう。でも応募はする。お前で勝負するんだ」

 「そんなことしたらたぶんもう会えなくなる」

 「・・・・・・」

 「わたしはきっと戻ってこれなくなる。いいの?」

 「・・・・・・」

 「二人でわたしの彼氏を描こうって約束したじゃない」

 「・・・・・・背中を向けて服を脱いでみ」

 「はぁ?」

 「翼を描いといてやるよ。絵描きってさどこにでも飛んでいける翼とどこからでも戻ってこられる翼を描き分けられるんだ。上手い下手に関係なく」

 「・・・・・・」

 色はないけれど透明でもない薄い背中に折りたたんだ白い翼を「直接」描いた。あいつは後ろ向きのままキョロキョロ自分の背中を見ようとした。

 「くすぐったいけれど上手く描けた?」

 「先生のアシスタントを二ヶ月続けましたから、まぁそれなりには。はい」

 思いついただけの言葉を信じたわけじゃなかったのだろう。ぼくが描いたあいつはぼくよりもずっと繊細だったからぼくの気持ちを優先してくれたのだ。今でこそはっきりと分かるのだが、はっきり分かる物事の大抵はそれが遅すぎたからで、あいつは二度と戻ってはこなかった・・・・・・いや一度だけ、ほんの数秒だが「現れた」ことはある。


 半年ほどが過ぎたころだ。バイトの人間関係や実家暮らしならではの親の小言をかわしながら、必ず吉報を持って戻ってくると信じていたあいつに「彼氏」を選ばせてやろうと、何人かの「少年」のラフ画を描く日々を送っていた。

 夕方風呂から上がり缶ビールを手に二階の自分の部屋の明かりを点けたとき、ベッドに放っていたタブレットが勝手に起動すると、半透明のあいつが一瞬現れた。そして微笑みもせず消えた。コンテストの運営会社から「佳作」に選ばれた旨の連絡が来たのは二分とか三分とかそんな程度の時間差だった。



 今ではずいぶんと遠い昔の話だが応募サイトに飛び込んだことがある。あいつを探しに行ったのだ。しかし応募は次年度のものとなっていて、しかもどれほど間抜けだった「ぼく」の出来は話にならなかった。向こうに「着信」するとそのまま、戦場で捕虜になった敵兵に掘らせるような残酷で深く暗い大きな穴へ捨てられ、辺りには無数の「少女」たちが捨てられていた。色とりどりの服を着て、髪と瞳も様々な色をしていたのだろうが、とにかく穴の中は真っ暗だったので、放り込まれるまでの彼女たちを存在させていた色彩は無いも同然だった。

 自分の掌すら見えない闇の中で互いに励まし合う彼女たちは、自分がどのような理由でここに捨てられたのか、これから何が起こるのかを誰もが分かっていた。それでも彼女たちは「夢」を語り合った。

 いつか本屋の一角で大きなパネルになりたい。マグカップになってミルクティーの温かさを感じてみたい。学校に友達のいない子同士をつなぐ旗印のキーホルダーになって鞄にぶら下がるんだ。漫画の中で台詞を言ってみたい等々・・・・・・

 「ぼく」の隣いた女の子が夢を語った。

 「私は車のボンネットに張り付いて180㎞でぶっ飛ばしたいな」顔が見えなかったので彼女の「出来」がどうなのか分からなかったが、いわゆる「イタ車」を普段から小ばかにしているぶん、思わず咽喉の奥が詰まってしまうほど素敵な夢だと思った。

 「いつか私はアニメになって恋愛と戦闘を経験して・・・・・・そして沢山の人たち、外国の人たちにもコスプレされたいな」闇の向こうで誰かが言った。

 「・・・・・・さすがにそれは無理っしょ」闇の向こうにいる、違う誰かが呟いた。

 そして我々は全員で笑った。クリスマス停戦中に最前線の塹壕で幼なじみと再会するらしい本人が清々しく抗議する笑い声もあった。震えるほど感動的な場面だった。


 穴の上から新たな「少女」たちが大量に投棄されてくると、まるで地獄の蓋より慈悲のない、重い闇の蓋に「ぼくたち」は最後の悲鳴と共に押しつぶされた。


 諦めなければ必ず生まれ変われるぞっ!!

 電気信号の彼方へ消滅する直前に「ぼく」は作者の信念を叫んだ。


 コンテストの運営会社が入る大きなビルの受付でぼくは発狂したらしく、その後自分の部屋の中で長い年月をかけ「時」と同じくらい無駄に、体重を35㎏ほど増やした。


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