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河底の髑髏  作者: 三輪・キャナウェイ
2/12

2 ヒッコ

 村には二つの鉄の掟がある。

 一つ目は、村人は銀川と髑髏拾いを決して見てはいけない、というものだ。銀川には神の毒が流れていて、普通の人間は近付くだけで体を病んでしまうし、一目水面を見るだけで目が焼けてしまうから、ということらしい。髑髏拾いも体に神の毒を巡らせているから、同じ様に村人には毒なんだという。

 二つ目は、髑髏拾いは村に入ってはならない、というものだ。髑髏拾いは神の毒に順応できた巫女であるから、穢れた人の世界に入ってはならないんだ。

 またこのように髑髏拾いとは尊い存在であるから、髑髏拾いが出た家は、神聖な血族として貴族に召し上げられ、永久に不自由ない暮らしができるという。

 昔、先生にそう聞いたことを今でも覚えている。

 じゃあきっと今頃、私の家族は広い家に住んで、美味しいものを食べて、幸せに暮らしているんだろうか。

 銀川のほとりで硬い粗末なパンを齧りながら、私はそんなことを考えていた。

「まっずいなぁ……」

 私はパンが死ぬほど嫌いだった。何故なら不味いからだ。私は一口だけ齧ったパンを銀川に投げ捨てた。どうせ髑髏使いは不老不死だから、食べ物なんか食べなくたって生きていけるんだ。それでも村の人たちは、私が村まで髑髏を置きに行くのに合わせて、供え物のように何かを用意している。それが今日はパンだっただけだ。つまりハズレということ。

 では当たりが何かといえば、一等は間違いなく酒だ。二等は煙草。三等は見たことの無いもの。髑髏拾いっていうのは凄く暇なんだ。それに不老不死であって、肉体も決して変化しないから、途方も無い時間を持て余すことになる。そこで時間を忘れられる酒は暇への一番の薬になるし、煙草も口寂しさを紛らわせるには最適ってわけ。

 勿論見たことの無いものというのも同様に、良い暇潰しになる。私は村の中には入れないから、ずっと銀川とそれを包む森や竹林の中で生きていなければならない。でもあるものといえば神の毒に汚染された川水に、石に、土に、木に竹くらい。自然っていうやつは私以上に不老不死で、ろくに新しいモノを作りゃしないから、私はいつも退屈してるんだ。だから新しいモノを作っている村の人間は羨ましいし、尊敬してる。

「さて、それじゃあ村の人たちの為に、今日も働きますか」

 口内に残った味の無いパンを時間をかけて噛み切ると、私は準備運動を始めた。腕や脇腹や、腿やふくらはぎの筋肉の具合を一つずつ確かめながら丁寧に身体を解していく。これも先生の教えだ。私は今年で恐らく十七になり、物心ついた時から毎日のように銀川に潜っているが、準備運動を欠かしたことはない。

 そうして背伸びをした時、逆さになった視界の先で何かが煌めいた。透明な銀川の水面下から翠色の明りが滲みだしている。上流から下流に流れる穏やかな川の流れに従って、その煌めきはゆらゆらと水面を揺蕩いながら川を下っていく。

 早速今日の獲物が流れて来たみたいだ。しかし、私は自分に言い聞かせた。

「焦らない、焦らない」

 しっかりと背面を反りながら十秒数える。言葉を教えてくれたのも先生だが、生憎と先生がいなくなってから私は人と話したことがない。だから言葉を忘れないように、いつも独り言を言っているんだ。

 きっと、星と河底は私の声を聞いてくれているはずだから。

 準備運動を終えると、私は浅瀬にくるぶしまで浸りながら川を下って行った。銀川を流れて往く髑髏は星と同じくらい足が遅いから、歩いているだけで追いつけるんだ。だからいつの間にか、私は河底を転がる光り輝く髑髏と並んで浅瀬を歩いていた。ひんやりとした銀川の柔らかい清水を素足で踏むたびに、くすぐったくなった。

「今日の髑髏くんは元気だねぇ。そんなに急いでどこに行くのさ。どうせ私に拾われちゃうのに」

 勿論髑髏は答えない。

「まあ気の向くままに泳ぐと良いよ。今この瞬間が君の最後の旅だ。私に拾われちゃったら村に連れていかれて、もう身じろぎすることも出来ないからね。そりゃあ勿論、村の人たちは君たち髑髏を大事にしてくれているらしいから、何も心配はいらないと思うけど」

 髑髏は河底の礫に嵌ったのか、ようやく歩みを止めた。

 私は手首に付けていたヘアゴムを取って、物心ついた時から一切長さが変わらない白髪を括った。

「それでも怖いよね。永遠っていうのは」

 いよいよ泳ぐ準備を完了すると、私は満を持して浅瀬を歩いて、川の深いところまで沈んでいった。

 別に飛び込んだりとか、勇ましく泳いだりとか、そんなことをする必要はない。

 ただ河底まで行って、髑髏を拾ってくるだけ。それが私の仕事だ。

 頭のてっぺんまで銀川に沈むと、私は両腕の指先で優しく水流を掻いた。銀川には神の毒が流れているから魚も泳いでいないし、藻や苔も生えていないんだ。だからただ静かに川水が流れているだけ。私は眠っている川の水を起こさないように、やっぱり優しく水流を蹴って河底まで降りて行った。

 神の毒のおかげで生き物が存在しない河底には、胎の中に火を灯した宝石たちが敷き詰められていた。紅、蒼、琥珀、藍、大小さまざまな銀川の〝礫〟たちは決して生き物に脅かされない、地中よりも深い河底で仄明るい吐息を漏らしている。

 暖かい吐息だ。この宝石礫たちがいるから、銀川は底に行くほど温かいんだ。私は彼らの七色の光りの吐息を腹に浴びながら更に泳いだ。これも勿論静かにだ。

 だって彼らは家族だから。川水も、宝石礫たちも、私と同じ神の毒を血肉に流している。まあ向こうは血ではなくて水だし、肉じゃなくて宝石だけど、そんなの些細なことだ。家族だとしても顔や体の形は多少違うものじゃないか。

 同じ毒を流す者として、私はこうして銀川を泳いでいるのが好きだった。肉親に抱かれているようだった。

 顔を上げると、平坦に続く河底の先の方に目当ての髑髏が見えた。翡翠色に光り輝く半透明な髑髏だ。神の毒は人の身をこういう風に宝石にしてしまうんだ。私は翡翠の河底の髑髏に近付くと、そっと両手で頬骨を挟んで抱え上げた。

 思ったよりも重い。それが感想だった。髑髏は個体差があって、大きくて軽いものもあれば、小さくて重たいものもあるんだ。今日のはどちらかといえば後者寄りだった。

 つるつるした表面の髑髏を落とさないように抱え直すと、私は頭上を見上げて水流を踏んだ。揺れる水面越しに見える星空の銀河は河底のようで、まるで鏡を見ているみたいだった。乳白色に輝く星々が果てから果てに連なっていて、そんな遠くの空が見えるくらい銀川の水は澄んでいた。

 正直、泳いでいるというよりも飛んでいるみたいなんだ。水は空気のように透明で、水流は風の様。空の果てと河底では同じように光る細かい星と宝石が漂っていて、水中には空中と同じ様な静寂が満ちている。世界が繋がっている。

 だから空に身を投げていく水泡が私なんだ。私は流れ星の案内人。星は歩みが遅いけど、私はこの水中を泳げるし、空の下を走れるんだ。だから輝く髑髏を抱えて泳いだり走ったりすれば、それははたから見たら流れ星みたいに見えると思うんだ。

「ぷはっ」

 水面から顔を出すと、私は前髪を掻き揚げて息を吸い込んだ。十年以上も泳いでいるせいで、今は息継ぎしなくてもある程度泳げるようになった。先生が一番最初に教えてくれた泳ぐコツは忘れてないけど、あんまり使わなくなってしまった。

「ほい、捕まえた。これでもう逃げられないよ」

 立ち泳ぎをしながら、胸に抱えた翡翠の髑髏に話しかける。そしてすぐに辺りを見回すと、それほど流されているわけでもなく、岸も遠くないところに見えた。この辺りは川幅も狭くて、流れが穏やかなんだ。私は仰向けになって浮かぶと、水流に身を任せた。ハンモックで寝ている様だった。そうして岸に近付いていくのを、翡翠の髑髏と共に待った。髑髏は重いから、抱えていると泳ぎにくいんだ。

「自己紹介がまだだったね。私、ヒッコ。良かったね、今日はよく晴れてるよ。誕生日にはぴったりだ」

 私は翡翠の髑髏を持ち上げた。月光に貫かれて一層仄かに輝いた宝石の髑髏の両目は、まるでこの世に空いた穴のようにひっそりとしていた。見つめ合っていると、なんだか世界の外側を眺めているような気分になれた。

「おめでとう。そしていらっしゃい。永遠の世界に」

 この髑髏は、清め崖と呼ばれる場所から銀川に投げ込まれた人間の慣れ果てだ。浄葬という儀式だと先生が言っていた。銀川に流れる神の毒はあらゆるものを溶かしてしまうから、村の人たちは銀川に身を投げると身も心も綺麗に洗浄されると信じているんだ。

 そして私たち髑髏拾いが、洗浄された後の髑髏を拾う。それがこの世界の生命の循環の終着点。

 髑髏は決して傷付かない。私たち髑髏拾いと同じように不老不死になるんだ。

 だから、永遠の世界にようこそってこと。

 勿論、清め崖がある上流は村の領内だから詳しいことは知らない。これも全部先生に教えてもらったことだ。私たち髑髏拾いは近付けないんだ。鉄の掟だよ。

 それを破ったらどうなるかは、簡単だ。

 先生はそれでいなくなったんだから。

「よし、とーちゃく」

 浅瀬に流れ着くと、私は浅瀬の礫たちに手をついて立ち上がった。地上はひんやりしていて、秋風が私の剥き出しの二の腕を撫でていった。先生の話だともう秋になってから沢山時が過ぎているらしいけど、冬が来る気配は一向にない。ついでに言うと、夜も明けない。秋も夜も、私がもの心ついた時から続いているんだ。季節の神様が死んじゃって、地上がほったらかしにされているみたいだ。もしくは書きかけのまま捨てられた物語。

 ただ忘れられただけで、終わることも出来ない、続きっぱなしの世界さ。

 だからやっぱり、永遠の世界。

 私は身震いすると、生き物のように温かい髑髏を暖を取るように抱え直した。

「うー、さぶ……そろそろ新しい服が欲しいなぁ」

 呟きながら浅瀬から上がろうとした時、礫ではない、何か柔らかいものを踏んだ。

「……ん?」

 足を上げてみると、そこには綺麗に畳まれた洋服があった。綿のズボンとブラウス、新品というよりも清潔に何年も使われているような、人のぬくもりの気配がする洋服だ。

「お、そうそう、こういう普通のやつでいいんだよな……て、うん? 私こんな服着てきたっけ?」

 今の私の服装は、ぼろぼろに引き千切れたショートパンツに、同じくぼろぼろに破れた長袖のシャツだ。そして少し小さい。服は偶にお供え物として村の人がくれるんだけど、小さすぎたり大きすぎたりで、私が満足に着れるものは少ないんだ。

 そこで、不意に辺りを見回した時だった。角が取れた丸い砂利の浅瀬がずうっと平坦に続いていく下流の方に、巨岩が一つあった。私もよく目印にしているものだ。銀川は綺麗だけど、ここら辺は変わり映えが無さすぎるのさ。

 そして、そんな巨岩の上に素っ裸で立ち尽くしている女が居た。

 小ぶりな胸の前で握りしめている拳は、ぎらぎらと鈍色に輝く短剣を握りしめて震えている。薄い腹回りは浅い呼吸の度に忙しなく上下していて、縦形のへそが空気を啄んでいるみたいだった。お尻から足にかけては腿回りやふくらはぎから踵にかけての筋肉が白い皮膚の下で強張り、少し盛り上がっていて、美しく屹立する蝋燭の表面に溶け垂れて固まった、白濁したろうのこぶのようだった。

「……にんげん?」

 ため息とともに、頭が真っ白になった。彼女の白い肌の輝きに眉間を貫かれたみたいだった。

 その間に、彼女は意を決したようにその美しい足を前に踏み出した。無傷なんじゃなくて、緊張して、疲労して、体温の影と匂いを纏った美脚だ。新品の蝋燭よりも、一度火を灯して溶けたことのある蝋燭の方が香りを放つ様に、彼女のよく引き締まった足には苦労が滲んで見えた。

それになんだか、あの子が肩で息をしていて、辛そうで、弱ってそうなのも美しかった。

 そんな足が、一歩、二歩と更に進んでいって、巨岩の先にある空に踏み込む。

 そして、彼女は首に突き立てた短剣の先に力を籠める。

「……いや、いやいや、おいおいおい」

 私は思わず走り出した。

 だってあの巨岩の下は銀川だ。

 だって彼女は、多分人間だ。

 人間は、銀川に入ったら死んでしまう。

 自殺だなんて、きっと人間には簡単にできること。少なくとも、これまで何度も私はそう思っていた。

 でもいざ目の当たりにすると、理解が出来なかった。

 どうしてそんな事をするのだろう。

「何してんの!?」

 叫ぶと、彼女は弾かれたように振り返った。

 目と目が合う。互いを認識し合う。先生以外に初めて人間を見た。そもそも生き物を見るのは十年ぶりだ。白い肌の彼女は大きな目を大きく見開いて、大きく驚いていた。彼女に向けて伸ばした指の間から、生々しい人の表情と、裸体と、瞳が見えた。

 青い目だった。

 私は、それを美しいと思った。

 次の瞬間、驚いて足を滑らせた彼女が、取り落とした短剣と共に、どぼんと川に落ちた。


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