5話
ティータイムの後、まずすべきことは青い服にどのような魔法がかけられているか、ということを調べることだろうと検討をつける。
「万が一、盗まれた魔道具がドレスとなんら関係なく、魔法使いが敵にいるならわかりませんが、一つ魔道具は一定の同じ魔法しか使えません。当然研究されていますから、盗まれた魔道具で何ができるかは教会に行けばわかるでしょう」
「その青いドレスとやらをとりあえず入手して調べてみましょうか」
「ライナス様について、ダンスパーティーとかいうものについていったのですが、すみません。私は攻撃系が専門でして魔法が使われていることくらいしかわからなくて」
「私は攻撃系統は全くダメで……薬を作ったり、迷子を捜したり野生動物から畑を守るための探索系にはそれなりに自信があるのですが」
「薬……ということは染料が植物なら分かることがあるかもしれないですね」
毒と薬は表裏一体。使い方や分量の加減次第で毒にも薬にもなるものがほとんどだ。染料に毒となる成分が入っているなら知っている植物が使われているかもしれない。
それにしても、どうしてそんな危険なドレスを作ったのか。バレたら身の破滅だろうに。
そうは思ったが、鮮やかな青が女王陛下の目にとまり社交界では引く手あまたであるらしい。
ここまで話題になったら止めるに止められないだろう。お金だって湧くように入ってくる。周囲が持ち上げてもくれる。庶民に貴族が頭を下げて、ドレスを乞うのだ。もちろん青いドレスを好んだ人間が死んでいるは皆知っているが、すべて高齢の方ばかりなので警戒されていることもないらしい。
「青は帝国王室のカラーでもありますし」
私はライナス様の元からかりてきたチラシを見る。テーラー・ブルー・スィートローズ。元々は小さな仕立屋でしかなかったが、今は大通りに大きな店を持ち、お針子を何人も雇っている。彼女達からも話が聞けないだろうか、なんて話をしていたらいつの間にか空が暗くなっていた。
帝都は日が落ちれば霧が立ちこめる。霧の都と言われる由縁だ。
もう好みが変わっているかもしれないけど、エレナ様が昔好きだったからとベリーのたくさん入ったスコーンをミセス・パーカーにバスケット一杯持たされた。幼い頃はよくライナス様のところに遊びに来ていたそうだ。
それをじっと見て「私たちの分はあるでしょうか?」と聞いていたリーゴさんに思わず笑ってしまう。朝食用にちゃんと置いてあると言われて、厳かに頷いている姿にも。ほとんど表情が動かないので場合によっては滑稽になってしまうのが、なんだか可愛く思えてきてしまった。
「送っていきますよ」
そろそろラゼット家にもどらければと思い始めた頃、スコーンのバスケットを手に取って、リーゴさんがそう言った。
「大丈夫ですよ。私、魔女ですから」
攻撃系の魔法がほとんど仕えなくても、そんじょそこらの悪漢ごときに負けるとは思って居ない。目くらましをして逃げることくらいできる。
「私も魔法使いです」
遠慮をしたのに、リーゴさんはバスケットを手放さない。部屋から出て行く背中を追いかけて、外套を羽織りながら隣に並ぶと歩調を緩めて私に合わせてくれた。
外に出ると、霧のせいだろうか、肌寒い。すっかり暗くなっていたので、霧の中にぼんやりとガス灯が浮かんでいるのが見えるだけで視界が悪くなっている。
「そういえばどんな魔法が得意なんですか?」
隣に並んでみると、頭一つ分、リーゴさんは私より大きかった。見上げた横顔は、静かで整っている。そういえば、しっかり顔を見てはいなかった。あの人と同じ色の眼があまりにも印象的だったので、そればかり見ていて、顔の造形はあまり気にしていなかった。整っているがゆえに、あまり表情が無いように見えるのかもしれない。
また、不思議か既視感が湧いた。これはいつの記憶だろう。目を覚ます前だろうか、それとも後だろうか。リーゴさんといるとあの人のことを思い出す。
「お疑いですか?」
魔法が失われた世界だ。
疑ってなんていない。魔法使いなのは確かだろう。青いドレスに魔法が使われていることを見抜いたのは間違いなくリーゴさんだ。ライオス様には不可能だから。
「ちゃんとそこそこ強いですよ」
声音が変わらないようで少し拗ねているように聞こえた。私が送ってくれることを拒んだせいで弱いと思われていると勘違いしたようだ。
バスケットを持っていない手をすっと空気を掬うように目の前に上げると、手のひらの上に火の玉のようなものが現れる。初級魔法だ。その火の玉をぽんと上に放り投げる動作をする。
まだそれほど遅くはない時間、周囲に全然人がいないわけではないが霧のおかげで影がぼんやり見えるだけで見られている心配は無い。
火の玉がすぅっと上に上がっていき、見えなくなったと思うと急に霧が消え始めた。
周囲一帯の温度が上昇したのを感じる。肌寒さが消えていた。
「ご覧ください」
リーゴさんが、空を指さす。
示されたのは満天の星空だ。
帝都に来てから、夜はいつも霧に覆われていた。星空なんて一度だって見たことが無かった。
今、目の前に広がっているのは三百年前に見たのと同じ夜の空と同じものだった。
私は思わず口を開けたまま、それに見とれてしまう。
ありえない。
一時とはいえ、限られた区画とはいえ、天候を一時的に変えた。
宗教教育とやらで魔女は農作物を病気にするとか、天候を操って人間に害を与えるというようなことを教えていたそうだが、とんでもない。病を呼び込んだり、天候を変えるほどの力があるなら忌み嫌われたりするはずがない。それどころか神として崇め奉られるだろう。冷害や猛暑で人類がどれほど苦しめられてきたことか。干ばつでどれだけの人間が死んだのか。病を運べるなら、病が人々の間に流行らないようにだってできるはずではないか。そんな力があったなら私たちは迫害なんてされなかった。
それをこの人はやってのけた。いとも簡単に。やろうと思えば、もっとずっと、とんでもないことができるだろう。
「私も五百年ほど生きています。その中で今が一番楽しく幸せだとも思って居ますが、残念ながらこの空を見られないことが残念でした。やっと上手くコントロールができるようになりました。練習したんですよ、これ」
天空を見上げる。
「綺麗です」
「そう言っていただけると練習したかいもあります」
周囲のざわめきが聞こえる。霧が晴れた驚きの声があちこちで上がっている。
今はくっきりと見える周りの人達は、皆、空を見上げていた。
「私はライナス様を尊敬していますし、感謝もしています。ただ、今回少し思っていることがありまして」
少しだけ声を潜めて、リーゴさんが話し始めた。
また徐々に霧が戻ってきはじめたが、神経が高ぶっているせいか寒さは感じなかった。
「ライナス様の気持ちはわかります。自分のことで、エレナ様を危険に晒したくない気持ちも、大切な人を守りたいという気持ちも。私も男なので」
真相を追った記者が、殺され川に捨てられていたとライナス様は言っていた。
私もエレナ様を巻き込みたくは無い。
「ですが、エレナ様は共に戦いたいと思う方ではないでしょうか」
「……え?」
今日、出かける前に見たエレナ様を思い出す。口には出さなかったけれど、私も行きたいと全身で訴えていた。
そう、私の大切な主人は、好奇心が旺盛で、勇猛果敢で……。
「私は、魔女狩りの最中、一番大切な人を失いました。共に戦いたかった、気など遣って欲しくはなかった、だけど私は頼られなかった。私も強引に側にいるべきでした。ずっとそれを引きずり続けている。だから……」
五百年、彼が生き延びたのは彼が強いから。これだけの力があれば、なんとかあの災厄を逃げおおせることもできただろう。
「私たちは強い。ですが、エレナ様の知恵を借りることが出来たら、心強い」
端正な横顔を見つめる。
「リーゴさんは、未来視の魔法が使えたりします?」
「いいえ。そんな気がしただけです」
首を振ったリーゴ様が初めて感情を、その表情に露わにした。見た瞬間に、こちらの胸が痛むほどの寂寥を感じる顔だ。自分自身の胸元を押さえた。苦しい。
エリナ様は守らないといけない。
だけど、こんな思いはさせてはいけない。
「……リーゴさんは、ずっと寂しかったんですね」
何百年、ずっとリーゴさんは後悔し続けてきた。
唇を少し噛んで、だけど言葉を発しなかったのは肯定の印だろう。
「エリナ様のこと、よくご存じですね」
「私の大切な人を任せるのです。無礼だとは思いましたが色々と調べさせていただきました」
ライナス様と出会い、リーゴさんに、また「大切な人」ができたのだということに安堵した。この人は、私と同じように主人を大切に思っている。そう感じるほど、さっき見た横顔は寂しかった。
私とリーゴさんはよく似ている。ものすごく、どこかが似ている。
「私の主人はあくまでもエレナ様です。彼女の思うところに私は従うことに致します」
微笑んで、そうリーゴさんに伝える。
「私のわがままで言い出したことです。全身全霊で、お守り致します。もちろんディアナさんのことも」
じっと見つめられて思わず頬が赤くなった。
もっとこの人のことを知りたい。目覚めて初めて知り合った、私以外の、魔法使いだ。
私は頷く。
あと、どうしてか、リーゴさんが失った大切な人がどんな人なのだろうと気になった。きっとその人はリーゴさんのことが大好きで、だから頼れなかったんだ。きっとその人も寂しかった。
別れ際に、リーゴさんが「明日のおやつはチェリーパイだそうです」と言って去っていた。
また明日と言いたかったのだろう。たぶん。
拙作、お読みくださりありがとうございます。
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