2話
ラゼット家の格上、公爵家のお屋敷というからとんでもなく大きな家を想像してきたのだけれど、数区画離れただけのダグラス家はこじんまりとした家だった。大きさとしてはラゼット家と同じくらい。ラゼット家も、それほど大きな家ではない。家事手伝いをしている者も私を入れて三人しかいない。時代は変わった、ということだろう。
アラン様からいただいた紹介状を手にして、呼び鈴を鳴らす。
おそらく話は通じているだろう。すぐに重厚な木の扉が開く。
「お待ちしておりました」
中から顔を見せたのは長身の男。
真っ白なシャツ、真っ黒なスーツを着た男が無表情にそう言う。錆色の髪は一筋の乱れもなくセットされている。執事という単語が頭に浮かんだ。立ち振る舞いに隙がない。
ラゼット家の執事は、エレナ様達の父上にあたる旦那様と一緒に世界を回るパワフルで豪快で、それでいて気の良いおじいちゃんなので全くタイプが違うけれど、彼は一般的な貴族にい仕える執事のイメージそのままだ。
「…………?」
なぜだろう。
初めて見る顔なのに、感情の読めないグレーの瞳をなぜか胸の内に懐かしい、という感傷が湧いた。どこかで会ったことがあるだろうか。
「ライナス様がお待ちです。こちらに」
来訪の用件を伝えようとしたが、その必要は無しとばかりにドアを大きく開けて、長身の男性は私を招き入れるとさっと背を向けて歩き出す。慌ててその後ろについていく。
表情がないから傍若無人のようでいて、きちんと歩幅は私に合わせてくれた。
建物の外見はあまり周りの家と変わらない。
けれども、中身は違った。置いてある調度品はどれも高そうで手入れが行き届いている。
「ディアナ様をお連れ致しました」
ノックの後、ここまで案内してくれた男が、そう声がけをして部屋の扉を開ける。
小さく一息ついて、開けられたドアの向こうに向けて顔をあげた。
当然いるのはエレナ様に婚約延期を告げた相手だ。どんな相手か気にならないはずはない。
部屋の中は、わりとごちゃっとしていた。エレナ様の部屋と同じように。
中央のテーブルには、知的な印象を与える一人の青年が座っている。
ライナス・アルバート・ダグラス公爵。
幼い頃に父を亡くし、十八にして爵位は継いで既に三年経っている。
紹介状を差し出すと、恭しくここまで案内してくれた男がそれを受取って、若き公爵に渡した。
「アランから話は聞いている。面倒な話は抜きにしよう」
本来なら直接話すことら許されない身分差があるはずなのに、高圧的な印象派受けない。物腰は穏やかで、話し方は事務的だ。
公爵様のテーブルの前に置かれた椅子に座るように指示されて、会釈をしながらそこに腰を下ろす。
「まずはこれを見て欲しい」
自己紹介すらしていないのに、書類を三枚渡された。
何か採用時の試験のようなものかと思いきや、新聞記事が貼り付けてある。
「社交界というのは面倒なものでね」
新聞記事に目を通す。一枚目には最近流行する青いドレスの話。二枚目にはご高齢の貴族のご婦人の訃報が八件。三枚目には教会に保存されている魔道具の紹介。
「……魔道具?」
私の呟きに、ライナス様が頷く。
「魔法は現代も失われてはいない」
訝しむ気持ちが顔に出たのだろう。
目覚めてから四年、私はこの都市で魔法を見たことは無い。
「魔法を使うことができない者でも、魔法の仕掛けを再現することができる遺物を操作することで簡単な魔法の発現させることができる、それが魔道具だ。ほとんどの人間は魔法の存在を信じてはいないがね。こんなものの存在を知っているのはごく一部の人間だけだ」
この人は、私が魔女だと言うことを知っている。
だからこんな話し方をする。
おそらくアラン様がお話したのだろう。
「その魔道具の一つが行方不明になり……青いドレスを好んで身につけたご婦人が死んだ」
魔道具とやらとご婦人の死の関連性がわからないけれど、ひゅっと心の内に冷たい風が吹く。魔法が人を殺したということを言っているということはわかったから。
三百年前、魔法は災いをもたらすものだとして、魔法使い達は激しく弾圧された。
その当時のことを思い出す。
小さく息を吸って、その記憶を胸の奥へ追いやった。今は必要の無い感傷だ。
「ご婦人方の死に魔術の痕跡があるということですね?」
「その通り。ご婦人の死も大問題だが、特に持病もなかった人間が立て続けに死ねば不審がる輩は当然出てくる。魔術云々なんて思わなくても、そういったことに鼻が効く人間は当然いる。大昔の話だが、隣の国ではドレスの染料であるヒ素毒で死んだ人間もいるから、調べてみようって人間もいる。特にそれが飯の種になる人種が」
まだ整理出来ていなくて申し訳ないが、と言いながらライナス様が机の上に新聞を置く。政治より派手な事件やゴシップを好んで載せるタブロイド紙だ。
「取材していた記者がテムス川に浮いているのが見つかった」
立ち上がり、近づいてみるとそこにはセンセーショナルに記者の死を告げる記事が載っていた。ただ、「何か」を追っていた、とは書かれているが「何を」とは書かれていない。
「青いドレスを作成しているのは、最近海外から来た業者だ。ドレスの方は無知から起こってしまった悲劇で通せるかもしれないが、記者殺しに言い訳は通らない」
次に机の上に出てきたのは、町中で配られているようなチラシ。
「社交界での大流行した。一財産作ったようだね。それで欲が出てきた。母上の元に私に婚約者がいないのなら、と自分の娘を推薦してきたそうだ」
社交界で流行ったものは平民達もマネをする。昨今は貴族でなくても、中流階級の人々も増えてきて、貴族の持ち物と同じ物をこぞって買い求めたりする。デパートメントの中は着飾った人々で華々しく賑やかだ。
それにしても、だ。
「庶民が公爵様に求婚を……?」
首を傾げて呟くと、公爵様はそうか、と呟いた。
「君のいた時代では非常識だったかもしれないが、今は珍しくもなんともない。その方が合理的でもある。他国には、血筋にこだわりすぎるあまり、血筋が途絶えかけたなんて馬鹿な例もあるくらいだ。この国の先々代の王妃は馬具屋の娘だし、アレンやエレナの母親も外国の仕立屋の娘だ。それで不都合が起きた事なんて一度も無い」
……知らなかった。
どちらかというと破天荒なのは侯爵様で、礼節を重んじるのが奥様なのに。
「ラゼット公の一目惚れだったそうだ」
それまで淡々と事件のあらましを述べていた公爵の口元が緩む。
「そのおかげでエレナが産まれたのだ。婚姻に身分を重んじないのも悪くはないだろう」
にっこりと微笑まれて、その通りだと頷く。
「制度そのものには、歓迎している。とはいえ、エレナを手段を選ばない相手の敵にするわけにはいかない」
緩んだ口元を引き締めて、ライナス様はきっぱりと言い切る。
私が生まれた時代では考えられないことだ。貴族どころか王族までが一般市民と婚姻を結ぶなんて。そんなことを思い出してから、思わず顔をしかめた。
今、ライナス様は、君のいた時代では、と言った。
つまり私が大昔の人間だということまで知っているのだ。
三百年前、魔女狩りで狩られた魔女だということを。
アラン様は私のことをどこまで伝えているのだろう。
この男は、本当にそこまで信用できるのだろうか。
いや、できなければ困る。
エレナ様のパートナーとなられる方なのだから。
「そして、今の時代、例えそれが事実だったとしても、魔法や呪いで人を殺している、なんて罪は成立しない。だけど野放しにするわけにはいかない」
魔法は無いものとして扱われているから。
「魔術法令は……」
「二百年前に廃止された」
つまり、魔道具とやらを利用して作られたドレスに問題点があるとしても、罪に問うことはできない、ということか。
敵は服飾系の商売をしている。貴族院の世襲議員であるダグラス家に嫁ぐことができれば、確かに利が大きい。若くて独身の議員なんてライナス様しかいない。子が生まれれば、国の中枢に未来永劫、席を置くことができる。
社交界にも顔が利く立場になれば、自ら流行を作り出すことも。
権威と富。共に手に入れることができるわけだ。
成る程。その人達にとって、エレナ様は邪魔な存在……。
「魔道具を見つけ出して取り戻す。そして、窃盗犯として法の力を使って潰す」
まっすぐに私の瞳を見て、ライナス様が言う。強い眼で、そして切実な眼だ。
「私の人脈を全て使っても、魔法に関して知識のある者は二人しか居ない。思うところはあるだろうが、協力して欲しい」
その目を見て、信じてみようと思った。
平民どころか戸籍すら無い私に頭を下げる誠実さを。
エレナ様を思う、その気持ちに嘘はなさそうだ。
少なくても、アラン様はこの人を信じている。
「承知しました、公爵様」
それに、今も残っている魔法に興味もある。
なによりも、エレナ様を守ることが出来る人間が他にいないならやらないわけにはいかない。