プロローグ
目の前には綺麗な黒い髪の女の人が眠っている。目は閉じていて、涙は流れていないのに泣いてるように見えた。
せっかく綺麗な人なのにもったいない。
ここには、こんなに光が溢れているのに。
少女がいつの間にか迷い込んでいた場所は、野性味溢れる草花が自由に咲き乱れる不思議な場所だった。人の姿は見えないけれど、鳥の声は聞こえるし、やわらかな風も感じる気分の良い場所だ。寂しい感じはしなかった。
そこに小さな小屋があって、その中に棺があった。
興味本位で棺の中を覗き込んでみたら、棺の中には二十歳くらい女の人が横たわっていた。呼吸をしているように見えないのに、生きていると感じるのは顔色が良くも悪くもないからだろう。
少女はまだ幼く、死んだ人を見たことは無かったこともあって、この人は眠っているだけだと考えた。
全く上下しない胸元から黒いナイフの柄が生えてはいたが。
「この人、きっとすごく愛されているのね」
着ている洋服は古めかしくて、繊維はボロボロ、色も褪せているのに乱れた様子もない。棺のまわりは綺麗に掃除されている。何より、この場所は気分が良い。棺が置いてあっても、嫌な感じがしない。
「どうして助けてあげないのかな」
おとぎ話の中では、お姫様は王子様のキスで目を覚ますものだけれど、胸を刺されて眠っているお姫様なんて聞いたことがない。この女性はお姫様じゃない。服も地味だ。
それにナイフが深々と刺さっているわりに、生地に血液の跡はない。
「あなた、魔女なのね」
魔女は刺されても血を流さない。だから、魔女かどうかを判断するために昔の人は魔女の疑いのある人を刃物で刺したという。ナイフに刃が引っ込む細工までして冤罪を作ったことも多かったとか、家庭教師が言っていた。昔の人には、魔女は忌むべきものだった。
だけどそんなのは、大昔の話だ。
この胸に刺さっているナイフは本物だろう。刃が引っ込むまがい物なら、柄が自立できるはずがないから。
おとぎ話に出てくる魔女は悪人であることが多いけれど、魔女は悪い人ばっかりじゃない。不遇の女の子を助けてくれたりもする話だってあるし、最近流行の物語の中では悪いやつをやっつけたりもする正義の味方だ。
こんなに大切にされている女性なら、きっと悪い魔女じゃない。
真正面から刺されているのに、刺した相手を恨んでいるようにも見えない。ただ、ものすごく悲しそうだ。悪い魔女なら、絵本の中の悪魔みたいな顔をするはず。
「私が助けてあげる!」
小さな胸に正義感を宿して、少女はナイフを抜こうと柄に手をかけた。
「え……?」
ぎゅっとその柄を掴んだ瞬間、ボロボロとナイフが崩れて灰になっていった。小屋の中の窓から穏やかな風が入ってきて、その灰をさらっていく。
悪い物は聖なる物に触れた瞬間、灰になって消える。
これは、おとぎ話。
この国の英雄である騎士王が誰にも抜けなかった伝説の剣を抜いたという逸話が少女の脳裏に浮かぶ。やっぱりこの魔女は悪い人じゃない! 消えたのはナイフで、残ったのは魔女。
はっきりとそう確信した。少女の口元がほころぶ。
キラキラとした光が女の人を照らしている。悲しそうに寄せられていた眉がゆっくりと解けていく。白い瞼が震える。
どきどきしながら見守っていると、深くて静かなオリーブグリーンの瞳が開く。
「はじめまして! 私はエレナ。あなたとお友達になりたいの!」
満面の笑みで差し出された小さな手を、オリーブグリーンの瞳はぼんやりと見つめていた。
拙作、お読みくださりありがとうございます。
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