願い事は計画的に
なぁ、考えてみたことないか? 生まれ変わってやり直してみたい、って。
帰りの通学電車はいつも憂鬱だ。朝の殺人的な混雑ぶりよりは幾分マシだが、それでも人が多い。壊滅的な点数の数学のテストが返って来た日とくれば、憂鬱さにも磨きが掛かって当然だ。
数学、それもIとAそろって一桁とか、もうコレは補習確実だ。あーぁ、何だかなー。俯いた視界が電車と一緒に揺れる。ガタン、ゴトン。そろそろ立ってるのも辛くなってきたけれど、目の前の席に座るお姉さんは携帯に何かしらを高速で打ち込み続けていて降りる気配の欠片もない。ゴテゴテと派手に飾られた持ちにくそうな携帯に、これまたゴテゴテと飾られた爪。その装備でこれ程までに高速で打てるもんなのか、人間ってスゲーな。
外の景色は見慣れすぎてつまらないし、ゴテゴテお姉さんの真似をして自分も携帯と遊ぼうか。取り出した携帯には新着メールはゼロ。画面には新着ニュースだけが表示されていた。流星群、今日の21時から深夜にかけて極大。
ふぅーん、ちょっと興味が湧いた。現在の時間は夜8時。数学教師の説教のせいでこんな時間だ。すっかり気分が腐ってしまった。流星群のロマンで嫌な気分を払拭するってのはどうだろう。見るならきっと暗い場夜が良いんだろうけど。あぁ、駅から少し歩けば丘があったっけ、あそこにしよう、そうしよう。
なかなか良い思い付きだ、とニンマリ心の中で笑ったのは昨日の事。そして、そんな自分の行動を罵倒したくなるのは翌日の事。
「んん? 何で避けるかなぁ?」
心底不思議でならない、と言いたげに目の前の美少女が首を傾げる。傾げたついでに手の中のブツを振り回しやがった。ヒュッと風を切る音が耳を掠め、嫌な汗が一つ。
「ば、馬鹿言うな! 殺す気か!!」
人間、追い詰められていても意外と口は回るようだ。要らない発見ありがとう。
美少女はもう一度首を傾げた。一緒にサラリと真っ直ぐな黒髪が揺れる。
「だからー、殺すって言ってるじゃない」
物騒な台詞の理解を脳みそが断固拒否。しかし美少女はそれを許してくれない。
「わざわざフリーの時間を使って殺しにきてあげたのにー、素直じゃないなぁ」
「なんで見ず知らずの女に殺されなくちゃならないんだよ!?」
口は反射的に言葉を威勢良く吐き出してくれているが、脳みそは全くもってついて行けていない。
少女も元気だ。ブンブン物騒なブツを俺目掛けて振り下ろす。
「知り合いじゃないから駄目なの? 人間ってややこしいのねぇ」
「いやいやいや、そこポイントじゃないから! それ死ぬって、洒落になんないって」
「洒落じゃないって言ってるでしょー、この馬鹿! もう面倒だから死ね」
「面倒なら止めろよ! ホント、何で俺殺されかけてんの!?」
俺の心からの叫びに反応したのか、ヒュッと刃が鼻を掠めて止まった。少女はさっきと同じように、心底不思議だと表情で語る。
「……もしかして本当に理由が分からないの?」
鼻先の巨大な刃が恐すぎて返事ができない。そんな俺を見て少女は溜息を一つ。失望させてしまった。こんな状態なのに良心がチクリと痛む。悲しむ女の子は見たくない。これだけの美少女ならば特に。
「ほーんと人間って面倒ねぇ、それとも貴方が特別に物分りが悪いのかしらぁ」
仕方がないから説明してあげる、そう呟きつつ刃を引っ込めてくれた。俺の鼻から遠ざけられた大きな刃は優美な曲線を描き、その根元には黒く長い柄が付いている。柄を握る手には薄手の黒い手袋。日焼け止め用なのか肘まで覆う長さがある。
「貴方、昨日の夜流れ星に願い事をしたでしょう? 生まれ変わってやり直したい、って」
そのまま腕を辿れば黒い半袖が見える。俺はやっとここで初めて少女の全身を視界に入れた。半袖のタートルネックに黒いプリーツスカート、黒いハイソックスに黒いパンプス。改めてみれば素晴らしいまでに真っ黒尽くし、黒尽くめ。
「その願いを叶えてあげようって思って来たの」
黒は闇の色。闇の色は病みの色。つまり死の色。
「生まれ変わりたいなら、まずは今の生を終わらせなくっちゃね」
病み色の少女は邪気なく笑う。彼女の背後から夕日が禍々しい赤の光を寄越す。不吉だと思うには手遅れだ。
「だから私が殺しにきてあげたのよ、親切でしょう?」
彼女の持つ刃が夕日を跳ね返してキラリと光る。ニッコリ笑う死神が大鎌を構え直すのが分かった。
生まれ変わってやり直したい。なんとも感傷的な願い事だ。通学電車を降りて、トコトコと何時ものように坂道を登りながら思い出す。家は坂の上なのだ。不便すぎる、何でこんな場所に家建てたかね、ウチの両親は。
昨日も坂道を登った。けれども行き先は家ではなくて丘だった。流れ星を見にワザワザ30分も歩いて丘まで行ったのだ。振り返れば随分と恥ずかしい事をしたな、と思う。星に願い事だなんて、子供じゃあるまいし。しかも内容は「生まれ変わってやり直したい」だ。感傷的すぎで笑える。
別段自分が不幸だと思っている訳じゃない。大きな問題を抱えている訳でもない。けれど考えてしまうのだ。別に自分がこの世に生まれなかったとしても、世界は変わらないよなって。アメリカのブッシュ大統領が生まれなければイラク戦争は無かったかもしれない。ドイツでヒトラーが生まれなければ第二次世界戦争は起こらなかったかもしれない。
でも俺は? 俺が生まれても生まれなくても歴史は変わらないし、世界も変わらないよなぁ。
黙々と俯いて自分の爪先だけを見つめつつ坂を登る。日は傾き始め、茜色の光を投げかけていた。その時、爪先に不意に影が掛かる。誰かの靴の先端が視界に入るのと同時に、鼓膜が震えた。
「貴方を殺しに来てあげたわ」
柔らかい声が降ってきた。硬い刃も降ってきた。ビックリして後ろに跳び退って避ければ、目の前の地面に銀の刃が深々と。恐怖に反射的に顔を上げると、相手と目が合った、バッチリと。
……赤だ。赤の瞳が細められている。ピジョン・ブラッド。唐突に思う。ハトの血。最高級のルビーを指すのだったか、血のような赤。そんな赤い目をした少女が目の前に居る。
「んん? 何で避けるかなぁ?」
笑顔が不吉な美少女との命を賭けた追いかけっこが始まるまであと少し。
「ちょ! 危ないって本気で!!」
「殺す気なんだから当然ですー」
ブオッと洒落にならない音を立てて大鎌が頭上を掠める。地面に転げるように避ける。ホントにコイツ、俺を殺す気だ!
「生まれ変わりたいって言うから、死ぬ手伝いをしてあげるって言ってるのにー」
「待て待て待て、確かに生まれ変わりたいって言ったけどさ、死にたくはないんだよね!」
いつまでも転がってたら死ぬ。膝に喝を入れ立ち上がり、再度走る。もう何分間全力疾走してるんだか。
「そんなワガママ通りませーん」
声だけはのんびり楽しげに。けれど振り回す鎌には容赦がない。何なのコイツ、もうヤダ。
「さっくり殺してあげるから安心してよねぇー」
「大体さっくりって何だよ? 俺はクッキーじゃねーぞ!!」
「さっくりが嫌なら、しっとり殺してあげる」
「だからっ、そこポイントじゃねーって! 大体しっとりもクッキーっぽいじゃねーか」
「クッキー嫌いなの? 好き嫌いすると大きくなれないよー」
「好き嫌い言わずに、大きくなるんでっ、その鎌しまって下さい!」
ビュオっと空気を切り裂く音が背後から。紙一重で避けたが肩から掛けていたカバンが犠牲に。さらばカバン、君のその勇姿は忘れないぞ。
「もう、人の好意を何だと思ってんのよぅ」
「好意で、鎌振り回す女なんて、聞いたことねーよ」
「好意は有難く受け取るもんよ! 生まれ変わる為に殺してあげるって言ってるでしょ?」
「じゃあさ、もう、生まれ変わりたいって、願い自体、取り下げる、からさっ」
ヤバイ、息が上がってきた。なのに相手は余裕綽綽だ。クソッ、何で男の俺より女のアイツの方が体力あんだよ。あぁ、でも相手は人間じゃなくて死神だし。
「それって、クーリングオフって事?」
ずっと楽しげだった少女の声に初めて躊躇するそうな色が見えた。
クーリングオフ! まさかの光明。光が見えたなら全力で飛びつくべし。
「そうそう、よく知ってるじゃん、ソレソレ! 十日以内、なら解約、できんだよ」
「十日かぁ」
おっしゃ! 食いついた。この死神から逃げられるなら、もう何にでも縋り付きたい。これってアレか、溺れる者は藁をも掴むって状態か。うわぁ、不吉。
視界に入るアスファルトの地面は夕日に染められて真っ赤だ。血の色。死神の目の色。ますます不吉だ。
「……私さぁー、新人の死神なんだよね」
「ハァ? だから?」
何を唐突に言い出すんだ、コイツは。同じ言語を操っているのに会話が噛み合わないって不幸な事ですよね、と目の前の夕日に向かって嘆いてみる。
「だからぁ、こうやってアグレッシブに獲物を追い詰める機会って無いんだ」
そういうハイレベルな仕事はハイクラスの死神の仕事だしー、と相変わらず緊張感の見えない声が解説してくださる。心底どうでも良いんだが。
赤い不吉さを振り切りたくて、目の前の曲がり角を曲がる。死神の足音はすぐ後ろからピッタリと。
「まだ新人だからさ、死に掛けた病人とか怪我人のトコに行って魂狩る仕事ばっかりなんだよねー」
相手は死に掛けてるからさぁ、狩るって言うよりも貰うってのが実態なのよー、と要らない情報が与えられる。
何だか嫌な予感がヒシヒシする。あー、何で俺、こんなに追い詰められてんの?
「つまり?」
「つまり、逃げ惑う獲物って良いよねって事。さぁ、逃げて逃げて!」
「ちょ、オマエっ、クーリングオフは?」
「残念! 却下です」
「クーリング、オフは、法律で、決められてん、だぞ」
光明が急速に遠ざかる。それでも諦めきれずに必死に縋る。
「法律って言われてもー、私、人間じゃないしぃ」
「そうだった! チクショー」
考えろ、考えろ俺。どうすればこの無邪気な悪魔から逃げ切れるのか。もう大分、体力は限界に近い。
「いやぁ、追いかけっこって楽しいねー」
声と共に背後上方から鎌が降ってくる。体を捻って必死に避ける。ザクンと鎌が道路のアスファルトに刺さる音。ホントにアブねーよ、死ぬって。
「活きが良い獲物って良いなー、私も早く出世してザクザク追い詰めまくって殺したーい」
お嬢さん、言ってる事が不吉すぎませんかねぇ? そう言ってやりたいが、もはや荒い呼気に邪魔されて喋る余裕すらない。
考えるんだ俺! どうすれば助かる? 自力じゃムリだろコレ。ならば他力本願だ。そうだ! 国家権力、警察!! 鎌持った女に追いかけられてんだ、助けてくれるに決まってる。そのために税金払ってんだ。消費税くらいしか払って無いけど気にしない。
少女が体重を掛けて鎌を振り切る。再度地面に転がって避ける。地面さん、お世話になってます。
「おー、すごーい、また避けた!」
スゲーだろ! そうそう簡単に殺されてたまるかってんだ。心底楽しげな少女に心で呟きつつ顔を上げる。現在位置を探る。ココはどこだ? 住宅街のど真ん中。チッ、何も考えずに走りすぎた。駅や繁華街から離れすぎて、警官の立ち寄り所も交番もない。……ならばっ!
少女は先ほど振りかぶった勢いが殺せずにまだ体勢が崩れたままだ。先に体勢を立て直し、地面に別れを告げる。警察がムリなら、せめて人気の多い場所に。さすがに人目があれば死神も自慢の大鎌を振り回せないだろう。
笑う膝を無視して走り出す。目指す先は、昨日の忌まわしき丘。丘には公園がある。時間的にまだ子供が遊んでいるだろうし、子供がいれば親もいるだろう。子供を巻き込むのは避けたいが、この死神が殺したいのは俺だけみたいだし、子供含めて無差別殺人なんて事態にはならないだろう。
悩んだって仕方が無い。もう手は無いのだ。走れ、走れ、俺!
目的の丘は駅から歩いて約30分。流星群の見所は夜9時以降だと言うから丁度いい。途中でコンビニに寄って色々買い込んできた。菓子パンに飲み物、お菓子。完璧だな、うん。
この丘は周りの住宅街を見下ろすことが出来る。そのための展望台も公園内に用意されていて、なかなか設備が良い。そのせいもあって近所の子供やその親の評判は上々。日中はいつも賑やかな声に溢れ、朗らかな笑い声に満ちている。けれどその反面、華やかな時間は太陽が覗く間だけで、日が暮れてしまえば誰もいなくなる。ちょっと勿体無いといつも思っていた。けれど今日は違う。誰も居ないという事は独り占めできるって事だし。んー、良いね。コレって贅沢だなぁ。
展望台の片隅のベンチにゴロリと転がり、空を眺めた。住宅街の明かりがあるから星が見えるか正直不安だったけれど、そんな心配は杞憂で済んだようだ。雲の無い夜空は俺に惜しみなく星を見せてくれている。見上げ続けていると視界に動くものが一つ。流れ星だ。携帯ニュースの情報は間違っていなかったらしく、そのすぐ後にもまた一つ流れた。
紙パックのストローを齧りつつ呆けたように空を眺め続ける。脳裏に浮かんだのは「流れ星は宇宙のゴミだ」という事実。この事実を知ったのは幼稚園の頃だったっけ。随分と衝撃を受けたのを覚えている。きっと織姫や彦星の七夕伝説や、流れ星が願いを叶えてくれると信じきっていたからだろう。キラリ、とまた視界を星が流れた。
「どこ行くのー?」
無邪気な死神が背後から尋ねてくる。相変わらす乱れていない息が恐ろしい。どんな体力してんだよ。
けれども件の丘まであと少し。夕日はいよいよ地平線に近づき、より苛烈な赤で世界を染める。
「もう喋ってくんないの? つまんなーい」
勝手な女だ。喋らないんじゃなくて、息が切れて話せないんだっての。クソッ、ムカつく。
膝が震えている。本格的に駄目かもしれない。公園に転げるように駆け込む。誰か、誰か居ないか?
「あ、ココ、昨日の夜に貴方が居た丘だねぇ」
背後で笑う気配がする。同時に鎌が空気を切り裂く音も。もう何度目か分からないが、また地面に転がって避ける。今日は地面と仲良くしすぎだ、俺。地面を掻き毟り、それでも必死に立ち上がる。砂が爪の間に入り込んで痛いが、気にしてなどいられない。死神に背中を晒して公園内を突っ走る。誰かこの異常事態に気付いてくれ。そしてこの異常な少女を止めてくれ。俺には手に負えないんだ。
「誰かっ、誰か、助けて、くれ!」
声が掠れて音にならない。ガクガクと笑う膝は限界だ。倒れ込んだ先は昨日の展望台。手すりの下に座り込み振り返る。公園内を突っ走ったのだ、目撃者が居るに決まってる。警察を呼んでくれ。いや、警官が来る前に俺が殺されてしまうか。もう誰か、この美少女を取り押さえてくれ、頼む、切実に。
「誰かっ!」
そう叫んで振り返った公園内には、けれど、誰も、誰一人、居なかった。
「何で……誰も、いない、んだ」
認めたくない。公園までくれば助かると思ったのに。これでは万事休すだ、お手上げだ。認めたくなくて、言葉が口から零れるのを止められない。全力疾走を続けた喉がひりつく。
「何で、何で……何で?」
「どーしたの? あぁ、人が居ないことに気がついたんだぁ」
無邪気な声に視線を向ける。唖然とする俺にビジョン・ブラッドの瞳が細められた。
「私は死神だって言わなかった? 死神の近くには標的以外の人間は近付けないんだよー」
疲労困憊の体に言葉が沁みて痛い。仕事がしやすいようにねー。これって常識なんだけどなぁ、と朗らかな声が続く。
「そんなの、って…………」
「まぁ人間は知らないか、死神の常識なんて」
ニッコリ、実に楽しそうに少女が笑う。真っ直ぐ伸びた長い漆黒の髪に、ルビーの瞳は零れんばかりの大きさ。小ぶりの鼻にふっくらした唇。
本当にコイツは美人だなぁ、と麻痺した脳みそが関係ないことを考える。末期だ。
「追いかけっこ楽しかったなー、けどもうお仕舞いかぁ」
ちょっと残念だと言いながら、そんな気配は微塵もさせずに少女は大鎌を振り上げる。サヨナラ俺の人生。短かったなぁ、ホント。数学の先生ゴメンなさい、昨日の説教を生かす日は来ないみたいです。ゴメンよ、かーちゃん、今日の夕飯は喰えそうにない。
「んじゃー、ザックリ行くかな。 多分痛くないと思うし、我慢してねー」
多分って何だよ、痛いのか痛くないのか断定しろよ。そもそもさっくり殺してくれるんじゃなかったっけ? あれ、しっとりだったっけ?
地平線にめり込んだ夕日は赤い。振りかぶられた大鎌に日が反射して光る。キラリ。
星が流れた。流れ星の伝承を思い出して苦笑い。やってみるか? 叶う訳がない。だって自分はもう流れ星の正体を知ってしまった。いつまでも無邪気な子供ではいられないのだ。それでも気がつけば何故か口から願いが零れていた。何を言うつもりなのか意識する前に言葉が音になり、自分の鼓膜に入る。
「生まれ変わってやり直してみたい」
自分の声にビックリした。でも同時に納得した。俺の願いはコレなのか。そうか。そうかもしれない。
俺がいなくても世界は変わらない。誰も困らない。だから、今度はもっと偉大な人間に生まれ変わってみたい。きっと俺は寂しいのだ。誰かに猛烈に必要とされたい。別に問題を抱えている訳じゃない。人生は概ね順調だ。数学の成績は悲惨を極めているが、その他は二重丸だ。友達も居るし、家族ともうまくやっている。でも、今、俺が占めている場所は、他の誰かで代わりがきくに違いない。もっと唯一無二の存在になりたいんだ。世界に一人だけの存在になりたいんだ。
馬鹿馬鹿しい、そう思う。真の意味で唯一無二の人間なんて存在するのだろうか? そう自分に言い聞かせる。けれど、それでも。
「生まれ変わりたい、か」
もう一度、今度はハッキリと呟いてみた。苦笑いすら出ない。
……こんな情け無い声を聞いてる奴がいるなんて、想像もしなかったのに。
「い、嫌だ! こんなので死にたくない!!」
振り下ろされる大鎌に向かって叫ぶ。意味なんて無いって分かっている。それでも、恐怖が叫び声を押し出した。鎌が刺さるってどれくらい痛いのだろう。とっさに両腕で頭を庇って、その衝撃を待つ。
けれども、その衝撃はいつまで待ってもやって来なかった。恐怖が不安に、そして疑問に形を変えて、やっと俺はのろのろと顔を上げる。
大きな銀色の刃は頭のすぐ上でピタリと静止していた。鎌を支える少女はやや憮然として言い放つ。
「こんなのって何よー? 鎌がイヤだって言うの!?」
俺の疑問は混乱に変化した。少女の言葉は俺を置いてけぼりにして明後日の方向に走る。
「死神と言えば古来から大鎌って相場が決まってるのよ? それなのに、こんなので死にたくないなんて失礼ねぇ!!」
自分の身長より大きい鎌を引き寄せ、愛おしそうに撫で始めた。混乱してる場合じゃないぞ、現状を把握するんだ。うっかりすると死ぬからさ、頑張って俺。
「鎌がイヤなら何が良いのよー?」
ぷぅ、と頬を膨らます仕草さえ絵になる死神が問いかけてくる。えーと、何? つまり、俺の「こんなので」発言を「凶器が鎌じゃイヤだ」と理解したって事? そして俺は今、自分を殺すための凶器の選択を迫られているのか? シュールすぎないか、この現状。
で、何が良いの? 若干不機嫌なまま、少女が再度問うてくる。
けれどもさっきの恐怖で喉が詰まって声にならない。そもそも返すべき答えなど思いつかない。殺してほしい凶器を選べと言われて、即答できる人間がいたら親友になってやっても良いぞ。
「鎌はイヤなんでしょ? 仕方が無いから一番ポピュラーな万能包丁にしようかなぁ」
「ほ、包丁!? 包丁持ち歩いてんの?」
驚きが恐怖を凌駕したのか、今度は素直に声が出た。
「他にリクエストがあれば聞いてあげるけどー?」
そう気軽に答えつつ、少女は大鎌を揺らす。デカイ鎌はユラユラと形を変え、あっという間に包丁の形になると持ち主の手に収まった。死神の鎌は変幻自在なようだ。少し便利かもしれない。
「うーーん、やっぱり鎌に比べて小さいわねぇ。これじゃ返り血が酷そう」
「返り血って! 恐いよアンタ!!」
「刺せば血がドバッと出るのは極々自然の事じゃないのー、そのための黒衣なんだし」
「え、血対策なんだその黒ずくめ」
「そーよ、でも鎌以外の武器って使ったことないから楽しみかもー」
少女がヒラヒラ楽しげに包丁を振ると、夕日が反射して目にチラつく。そういえばこの少女と初めて会ったのは日が赤みを帯び始めた頃だったっけ。今、夕日は地平線に溶けて消えようとしている。結構長いこと追いかけっこをしてた気がしたけれど、実際はせいぜい夕日が沈む程度の時間だったんだな。
もう夕日を見る機会はないのかもしれない。膝に力が入らない。立てない。逃げられない。あーあ、包丁で刺されてお仕舞とは予想外の人生だ。もう少し長生きする予定だったんだけどなぁ。眩しい夕日に思わず目を細めれば、その仕草を咎められた。
「何よぅ、その目?」
「いや、夕日を見るのも最後かなーって思って」
「最期は夕日の下で、なーんてロマンチックじゃないのー」
俺に最期を運んできた少女はのんびりそう言って、微笑みながら夕日を見た。そして一気に青ざめる。その勢いのまま、俺を睨み付けた。
一瞬前まで笑っていたのに、この急変は何だ? 本気で付いて行けない。
「ちょっと! もう夕日沈みかけてるじゃないのっ!!」
「……だから何だってんだよ」
今度も少女の言葉は俺を放置して疾走する。
「新人死神の自由時間は夕日の間だけに決まってるでしょう! ヤバイ、もう帰らなきゃ」
「いや死神の常識なんて知らないし」
「もう、五月蝿いわねぇ! とりあえずもう帰るから」
少女がバタバタと展望台から走り去る。そのまま走り去ってくれと願ったのに、公園とのアスファルトの境目で彼女は立ち止まった。こちらを振り返り、叫ぶ。
「あぁ、安心して! 明日改めてザックリ殺してあげるからー!!」
「要らねーよ! もう二度と来んな!」
「だからぁ、遠慮は要らないって。鎌以外の武器にも興味が出たし、試してみたいんだよねー」
「本当にもう来んな! 頼むから、な?」
「クーリングオフは却下だって言ったでしょ」
「いやいやいや、わざわざ来てもらうのも悪いしさ!」
「良いのよ、追いかけっこ楽しいし」
「俺は楽しくないよ!?」
またまたぁ、そう言いながら少女は手で何かを叩く仕草をする。オバサンがよくやる仕草だが、もちろん包丁は持ったまま。似合わない。恐ろしく似合わない。なのに絵になる。すごい矛盾。
「また明日ねぇー」
恐ろしい少女は上機嫌で話しかけてくる。負けられない。ここで負けたら死の追いかけっこが明日も開催されてしまう。頑張れ俺。負けるな俺。
「来なくて良いから! 短い自由時間大事にしなよ」
「遠慮は要らないってばー、人間の願いを叶えてあげるってのは尊いことなんだよー」
「知らねーよ! なら俺以外の人間の願いを叶えてやれって! 俺は良いから!!」
全力で頑張ったが、やっぱり相手は死神だ。そもそも聞いちゃあいない。
「じゃーねー、また明日! 明日こそザックリ死んでねぇ!!」
赤い瞳の黒い死神は楽しげに明日の約束を残して、夕日の最期の光と一緒に消えた。
なぁ、考えてみたことないか? 生まれ変わってやり直してみたい、って。
考えてみたことがないなら、良いんだ。これからもそんな馬鹿なこと考えるなよ。
考えてみたことがあるって? あー、そりゃ御愁傷様。きっとアンタの所にも黒い美少女が来るよ。追いかけっこしよー、ってスゲー楽しそうに。
帰りの通学電車はいつも憂鬱だ。朝の殺人的な混雑ぶりよりは幾分マシだが、それでも人が多い。数学の赤点課題が課された日には、憂鬱さにも磨きが掛かって当然だ。
数学、それもIとAそろって赤点とか、もうコレは数学的センスが無いってことだな。あーぁ、何だかなー。俯いた視界が電車と一緒に揺れる。ガタン、ゴトン。そろそろ立ってるのも辛くなってきたけれど、目の前の席に座るオジサンはくぅくぅ幸せそうに眠り続けていて降りる気配の欠片もない。電車って結構揺れるのに、眠ったままバランスを取り続けられるとは人間ってスゲーな。
外の景色を見やる。日は徐々に傾き始めている。憂鬱だ。ノロノロと取り出した携帯には新着メールはゼロ。画面には今日の暦が表示されている。日の入りは18時7分。現在は17時25分。
はぁー。溜息を吐く。ガタン、ガタン。電車は無情に進み、家の最寄駅に滑り込む。電車のドアを潜り、改札に定期を放り込む。定期を受けとって、抜けた改札の先。駅東口には人影が無かった。誰も居ない。
……いや違う。一人居る。顔を上げれば数メートル先に真っ黒な美少女。ビジョン・ブラッドの瞳と目が合う、バッチリと。黒い少女の右手には黒光りするバット。明らかに金属製。弾く日の光は薄っすら紅。
そうか、今日は撲殺したいのか。そうか。
「今日こそしんなり死んでよね!」
喜色満面の美少女の口から飛び出すのは不穏すぎる台詞。
「しんなりって何だよ? そんな訳の分からん死に方できるか!」
「えー、もう本当に遠慮しすぎだってばー、死ねば一緒だって」
「そもそも死にたくないんだって!」
「クーリングオフはもう時間切れだよー」
「最初の一日目から認めなかったくせに!!」
唸る金属バットを掻い潜り、今日も俺は走り出す。 ゴールは18時7分! 太陽が沈むその瞬間まで、赤い世界を走り続ける。
あの赤い夕日と一緒に少女が消えた日。俺は肉体的疲労と精神的ショックから立ち上がれなかった。座り込んだままの展望台には夜がやって来て、その前の日と同じく綺麗な夜空を見せてくれた。
生まれ変わってやり直してみたい。そう流れ星に願ったから、あの訳の分からない少女が現れたのだ。
ならば、死にたくない生きていたいと星に願えば叶うのではないか。死神とサヨナラできるのではないか。一縷の望みにしがみ付きたくて、目が乾くまで夜空を見つめ続けた。けれど結局、視界に動く物は一つも現れてはくれなかった。それから毎日毎日、馬鹿の一つ覚えのように夜空を眺めているってのに、あの日以来、星は一つも流れてくれやしない。
唯一無二の存在になりたい。世界に一人っきりの人間になりたい。
そんなくだらない願いを抱いた自分を金属バットで殴ってやりたい。死神に殴られるのは遠慮したいが。
オマエの願いは叶ったよ。今、血の色した世界に人間は俺一人っきりだろう? 背後から死神が追ってきてるけどな!
「サクッと読めて、クスッと笑える」がコンセプトだった筈がこの有様。
時系列で書いちゃ面白くないよね、という発想が元々の間違いだったと思われます。