第6話 予言者ノマ
「同時多発テロ事件か……。あのニューヨークのワールドトレードセンターがねえ……」
木村は軽自動車を運転しながらつぶやくように言った。
「私は当時6歳だった。……今も6歳だが、ほんとうに6歳だった当時の私のことだ。ってなんだかややこしいな。……とにかく、私はテレビで、2つ並んだ大きなビルが爆発して崩壊する中継映像をリアルタイムで観ていた。そのときの映像はこの目に焼きついたみたいにハッキリと覚えてる。本当に衝撃的な事件だった」
助手席でそう言ったノマの顔は暗かった。
「まだ起きていない事象を過去形で語る幼女か。いいねえ」
木村はニヤニヤと笑う。
「おい、私は本気の話をしているんだぞ」
「わかってるよ。前にも言ったが、ボクは君の話を信じているよ。一語一句ね」
「私の話を聴いてどう思った?」
「ノストラダムス、エドガー・ケイシー、ファティマの予言。オカルト界隈には〈予言〉という一大ジャンルがあり、今挙げたのは予言ジャンルでもっとも有名なスターたちなんだが――」
「ノストラダムスぐらいなら私も少しは知ってるぞ。〈1999年7の月、空から恐怖の大王が――〉ってやつだろ? そんなテレビ番組を園児のころに見た記憶があるぞ」
「うん。世界一有名な予言者といえばノストラダムスだ。だけど彼の〈1999年7の月〉の予言は結局当たらず、1999年は何事もなく過ぎていき、そして新世紀を無事に迎えた。ノストラダムス以外にも世界の滅亡を予言した者たちがたくさんいたが、これまでのところすべて当たってない」
「予言なんてものは存在しないってことか?」
「オカルト研究家のボクが言うのもなんかおかしいが、予言は不可能だと思う。不可能だと言える理由がちゃんとあるんだ」
「そうなのか?」
「歴史というのは電車よりも自動車に近い」
「どういう意味だ?」
「今ボクたちは目を閉じて電車に乗っているとする。その場合、1分後にどこを通るかがハッキリしている。だけど、自動車を目を閉じて運転していた場合、1分後にどこを通ってどうなっているのかはまったくわからない」
「つまり、未来はコントロールも予測もできないものだと?」
「うん。ニュートン力学の世界像では宇宙は計算可能なものとされていたけど、20世紀の量子力学はそれを否定した。量子の世界は確率の世界だからね。どの目が出るかはサイコロを実際に転がしてサイコロが止まるその瞬間までわからない。バタフライエフェクトってあるでしょ?」
「カオス理論の説明でよく使われるヤツだよな」
「そうそう。一匹の小さな蝶の羽ばたきでもその影響はドミノ倒しのように伝播していって地球の気象にまで影響を与えるようになるってヤツ。これはどんな優秀なスパコンを使っても計算ができるようなものではない。裏返せば、そのことは決定論が間違っていることを示してる。予言が決定論的世界像の上にしか成りたたないものである以上、予言が当たることは無い、と言っていいだろうね」
「ちょっと待て。私のような未来から来た人間の場合はどうなるんだ? 未来で起きるであろうことをすでに経験してるんだぞ。経験と事実の間に齟齬ができないのか?」
「いいかノマちゃん。君がこの世界に未来からタイムトラベルしてきた時点で、かつてないほど強力なバタフライエフェクトが発生しているんだよ。君自身にはその自覚がないのかもしれないけど……」
「なっ、私はすでに世界を大きく変えてしまったってことか!」
「そうなるね。君がこの世界に出現したときにたぶん宇宙の保存則を破っていると思うんだけど、もしそうなら今こうしてこの宇宙がまだ存在していること自体がちょっとしたサプライズだよ。今この瞬間に真空崩壊が起きてパンッって宇宙が消滅してもなんら不思議じゃないんだからさァ。わははァ」
木村は楽しそうだった。
「……だとしたら、この世界では同時多発テロ事件が起きない可能性もあるということなんだよなッ!?」
ノマは興奮して大きな声を上げた。
それに対して木村は冷静だった。
「そういうことになるねェ」
「同時多発テロ事件が起きるか起きないかは、どうすればわかる?」
「だから、わからないのさ。その日になるまでわからないよ。さっきも言ったように未来はどんどんカタチを変えていくから原理的に予測することは不可能なんだよ」
「そうか……」
ノマは魂が軽く抜けたような気分になった。
もし同時多発テロ事件がこの世界で起きないのだとすれば、人類と地球上の生物を全滅に追い込んだあのパンデミックも起きないのかもしれない――。
そう考えると、少し気持ちが楽になった気がした。
〈つづく〉