第5話 ノープラン
「あ。ちょっとちょっと!」
木村がバーガーショップの駐車場のほうにハンドルを切りかけたとき、ノマが大きな声をあげた。
「なんだ!?」
「ほらほら! あそこに〈し◯むら〉が!」
ノマが指さしたのは道路を挟んで反対側にある衣料品店だった。
「ああ。あるね」
「行きたい!」
「なんで?」
「服」
「着てるじゃん」
「これで外を歩きたくないんだよッ!」
「それもまあまあカワイイよ?」
「やだやだやだやだやだッ!!」
ノマが助手席で散々駄々をこねるので、木村はしかたなくノマに新しい服を買ってやると約束した。
ノマと木村は衣料品店に入り、子供服売り場に向かった。
フリルがたくさんついた可愛らしい女児服もあったが、そんなものを着ているとやたらと目立ってしまうのとオシャレという言葉の対極に存在する木村との釣りあいも考慮して、ノマは比較的地味なワンピースを選んだ。下着も必要なので女児用ショーツとキャミソールを数点ずつと、パジャマも購入した。裸足では困るということでサンダルも買った。それだけあればなんとかなりそうな気もしたが、ノマがカチューシャとポーチも欲しいとゴネたので、木村は仕方なくそれらも買った。全部合わせると結構な出費になった。
「子供服といってもけっこう高いんだなァ……」
ついでに木村は自分用に不織布マスクとサングラスとバケットハットを購入した。彼自身の顔を隠すためだった。
ノマと木村はバーガーショップに入店した。
遠目に見れば親子のようにも見えた。だが近づいて見れば、マスクとサングラスと帽子で顔の大部分を隠した猫背の中年男と、それとは対象的な可愛らしい幼女である。親子というよりも、不審者と不審者に連れまわされている幼女にしか見えなかった。木村は周囲の善良な一般市民が自分を通報しないかドキドキしていた。
二人はバーガーショップの店内で食事をした。
「おいしい……」
と、ハンバーガーを頬張りながらノマは微笑んだ。木村が見た初めてのノマの笑顔だった。
「ハンバーガーなんて久しぶり」
「喜んでもらえて良かったよ」
木村はマスクをつけたまま器用にコーラのストローを啜った。
「にしても、その格好、むちゃくちゃ怪しいんだけど」
「か、顔を見られたくないんだよ」
「どう見ても不審者」
「お、親子に見えないかなあ?」
「見えないと思う」
「どうして?」
「そんな挙動不審な親なんてフツーいないから。堂々としたほうがかえって怪しまれないと思うぞ」
「お父さん、って呼んでみて」
「えっ。なんで?!」
ノマは心底嫌そうに眉を顰めた。
「……いやあ……なんとなく。親子ごっことか面白そうじゃない?」
「絶対にイヤだ」
ノマは顔をそむけた。
「何か他に食べたいものない? 奢ってあげるよ? アップルパイとか要らない?」
「い、要らない! そんなのに釣られないからッ」
「釣るとかイヤだなあ……。単に公正な取り引きを持ちかけてるだけだよ~」
チッ、とノマは舌打ちして小声でつぶやいた。
「さっきの店で防犯ブザーも入手するべきだった……。ブザーがあれば今この場で鳴らしてやるのに……」
「え、なんて? よく聞こえなかったよ」
「いや別に。ただの独り言」
「ボクも独り言ならよく言うよ。僕たち仲間だね」
木村のサングラスの奥の目が笑っていた。
「仲間じゃない」
「じゃあ、やっぱり親子かな?」
「親子でもないし」
「じゃあ兄妹?」
「は? こんなに歳が離れた兄妹なんていないし」
「じゃあ夫婦?」
「なにそれ! 絶対にありえないからッ!」
「冗談だって。そんなに大声出さなくても……」
「私をからかってるのか!?」
「まあね。だって面白いんだもん」
「むーッ!」
と唸り声をあげてノマは木村の足を強く踏みつけた。
ノマは木村とそんなやり取りをしながら、心の中では〈これからどうすればいいのだろう……〉と少し暗い気持ちになっていた。
地球を救うという大きな使命を背負ってこの時代にやってきたが、タイムトラベルした後のことはノープランだった。
よく考えてみたら、この世界で頼れる人間は当面の間、木村しかいない……。
しかし、そうは言ってもいつまでも無限に木村に甘えてしまっていていいのだろうか?
彼にだって彼なりの生活というものがあるわけだし、それを私が侵食してしまって良いのか?
現時点では衣食住すべてを木村の善意で提供してもらっている。この後もそういう状態が続くだろう。精神はともかく外見年齢6歳の私にできる仕事などないし、家を借りることもできない。できることがあるとすれば食料をどこかから調達することぐらいだが、それだって簡単ではない。なんとかできそうなことと言えば、森林でキノコや木の実を採取するか、川や池で魚や貝を捕まえることぐらいしか……。だけど、そんなことをした経験なんてほとんど無いからいざやろうとしてできるかは怪しいところだ。
いったいどうすれば……。
いや、待てよ。私は今は幼女だが、ただの幼女ではない。未来から来た幼女なのだ。未来の知識が私にはある。2001年から2023年までの間に起きた事象の多くを前もって知っている。これは、明らかなアドバンテージなのではないだろうか?
今年は2001年。2001年といえば、私がいた世界では……たしか……大事件が……
「あああああああ!!!!」
大声を上げてノマはバネで弾かれたように勢いよく立ち上がった。
「わ、きゅ、急にどうしたッ!?」
木村は驚いて口からコーラを噴き出した。
ノマのおニューの服がコーラまみれになった。
しかし、そんなことは今のノマにとっては些細なことでしかなかった。
ノマの目は中空を見つめ、小刻みに震えていた。
「9.11……」
「えっ?」
きょとんとしている木村の顔を見て、ノマが震える小さな声で言った。
「2001年9月11日――。その日、大変なことが起こるのを私は知っている!」
〈つづく〉