第4話 コギト・エルゴ・スム
「なぜノマちゃんは28歳の熟女から6歳の幼女になってしまったのか――。その謎に対するボクの仮説を聴いてもらえるかな?」
木村は自家用の軽自動車を運転しながら言った。
ノマと木村は昼食をとるために少し離れたバーガーショップに向かっていた。
「話してみろ」
とノマが車窓から外の景色を見ながら言った。
窓の外の景色はありふれた郊外の景色だった。ガソリンスタンドにリサイクルショップ、家電量販店にファーストフードチェーン店。無個性というのはこういうことを言うのだろうとノマは思った。この国の景色は2023年も2001年もたいして変わらない。高難易度の間違い探しのようなものだ。違いに気づくのは難しい。
しかし、それでも結構違っている部分もあるにはあった。とくに大きな違いは、電話ボックスと自動車だ。携帯電話が爆発的に普及して以降、街なかの電話ボックスは激減した。自動車のデザイン性の違いも目立つ相違点だ。2001年には電気自動車はほとんど普及していない。よくよく見れば信号機も異なっていた。2001年にはLED式の信号機はない。
結局のところテクノロジーに強く結びついている部分から大きく変わっていく。逆に、テクノロジーと無縁のものは何十年たってもほとんど変化がない。
「火星人が遺したというタイムマシンだけど、ボクは実物を実際には見ていないからあくまで想像で話すけど、そのタイムマシンにはたぶん――それが本来の目的ではないと思うのだけど――搭乗者を過去や未来に連れていくんじゃなくて、搭乗者を過去や未来の状態に適合させる作用があるんじゃないかと」
木村は運転しながら煙草に火をつけて言った。
「どうゆうことだ?」
「ま、ようするに、浦島太郎の玉手箱みたいなものだな。あの昔話はそのまま受け取るとなんだかひどい話みたいだけど、亀や玉手箱がタイムマシンなのだと仮定すれば、そんなにヘンな話じゃない」
「そうなのか?」
「ノマちゃんは22年時間を遡ったわけだけど、その時間遡行はノマちゃんの体にも適用されたと考えるとピタリと計算が合う。28から22を引けば6。だから28歳だったノマちゃんは6歳になった」
「なるほど……。もしそれが本当だとしたら、仮に私が28年前の地球に旅立っていたら、存在自体が消えていたわけか……」
ノマは少し青ざめた。
「消えずに、もしかしたら前世の人間に戻っていた可能性もある」
「前世ね……。私は一応科学者なんで、そういうものは信じていないんだが」
「だけど、ノマちゃんは現に28歳のときの記憶を鮮明に保ったまま6歳の体に入っているよね?」
「そうだな。それがなんだ?」
「6歳の幼女の脳に28歳熟女の意識があるなんてヘンだとは思わない? そもそも脳細胞の数も同じじゃないはずだよね?」
「ヘンと言われればヘンだな。時間遡行したときに22年分の記憶が失われるほうが科学的には自然な気がする」
「でしょ? ぐふふふ」
木村は気持ち悪い笑い声を出した。
「なんだよ気持ち悪いな」
「これって、魂の存在証明にならない?」
「どういうことだよ?」
「人間には脳以外に記憶や意識や自我を納めた外部記憶装置みたいなものが存在するんじゃないの、って言いたいの」
「それが……魂ってわけか?」
「デカルトって知ってるよね?」
「ああ、フランスの哲学者だな。数学者としても有名だ。たしか〈コギト・エルゴ・スム〉だっけ?」
「コギトは〈思う〉、エルゴは〈ゆえに〉、スムは〈有る〉。つなげると〈我思うゆえに我あり〉。自分が考えているから自分が存在している、つまり物質的存在に先立って思考が有るとデカルトは考えた」
「木村って意外と教養があるんだな」
「これは教養なんかじゃない、ただの知識だよ。知識を現実世界に役立てられなければ教養とは呼べないからね」
「ふーん。そうなものかねえ」
「デカルトは人間には肉体とは別に〈思惟実体〉という意識をつかさどる体があると書いている。そしてこの思惟実体は不滅だと彼は考えた」
「でもその存在を実証はできないだろ?」
「うん。現在の科学レベルではまだ実証できない。だけど、20世紀に量子力学が世界は重ね合わせになっていることを突きとめ、人間の意識がその重ね合わされた物理世界に決定的な影響を与えることが様々な実験からわかってきた。人間の意識が物理世界とは異なる次元に存在していて、そこから物理世界のあり方を決定づけている、と考える以外に説明ができないんだ」
「つまり、デカルトの仮説が現代になって実証されつつある……と」
「そういうこと。で、こっからはボクの大胆な仮説になるんだけど、火星人のタイムマシンは――結論を先に言っちゃうと――思惟実体の乗り物なんじゃないかと思うんだよ。肉体を運ぶ装置ではなく、魂を運ぶ装置」
「うーむ、にわかには信じがたいが……」
「肉体というのは寿命がある。人間なら100年ぐらいが限界だよね。しかし、宇宙のすべてを知り尽くしたいと思うと、その寿命では短すぎるよね。火星人はタイムマシンの開発の過程で、細胞の年齢を保持したままタイムトラベルすることが不可能だとわかったんじゃないのかな」
「そうか……。火星人は生きた状態で時間旅行をすることをあきらめ、魂だけの存在として時空を無限に移動することを選んだのか……」
ノマのその言葉を聞き木村は強くうなずき、煙草を灰皿に突っ込んだ。
「さ、バーガーショップが見えてきたぞ。飯だ飯だ」
〈つづく〉