ある日の「舞姫」授業 三
「借金の件で助けたエリスが豊太郎のところに来るようになり、先生と生徒のような関係になった。外国人の豊太郎が、ドイツ語の正しい言葉やつづりを、教育を受けられなかったエリスに教えてあげる関係、というのが面白い。ただ、当時のドイツでは、劇場の踊り子は給料が安く、売春をしてなんとか生活している娘さんがたくさんいたそうだ。そうした『不純な場所』へ出入りする豊太郎は問題とされ、国費留学生をクビになってしまった」
――われら 二人の間には まだ痴がいなる歓楽のみ存したりしを。
「豊太郎は、クビになったとき、こう述べていた。まだ子供っぽい楽しみだけだった、というんだ。じゃあ大人っぽいのはナンだ? と。言うまでもないな。大人の関係もなしで、ただ劇場に出入りしていただけでクビというのも、かわいそうな話だ。でも、今でいえば、ン千万円もの費用をかけて国が送り出したエリート留学生。それだけ自分へも厳しさを求められた身分だったんだろう。そして豊太郎は――『すぐに帰国するなら旅費を出すが、このままドイツにいるなら、今後は一切援助しない。どうするか一週間で選べ』――と日本政府から言い渡される。それに加えて、この手紙だ」
――我 生涯にて尤も悲痛を覚えさせたる二通の書状に接しぬ。この二通は殆ど同時にいだししものなれど、一は母の自筆、一は親族なる某が、母の死を、我がまたなく慕ふ母の死を報じたる書なりき。
「豊太郎は、二通の手紙を受け取ったが、そのうち母からの手紙の内容は、涙で書けない、と内容を語らない。どんな内容だったと考えるのが妥当だろうか。ヒントは、もう一通の手紙だ。もう一通には何が書いてあった?」
「親族の某が、母の死を報じたとあります」
前列に座った男子が、テンポよく答える。
「そう。親族が母の死を伝えてきた手紙。それと、ほぼ同時に母が出した手紙。中身はどう推測できる?」
後ろから二番目の席に座った円城が、通る声で言った。
「……タイミングから、自殺の遺書の可能性が高いのではないですか?」
……やはり、と言うか、さすがと言うか。
「いいね……書いてないので断言はできないが、いいセンだ。諫死、という考え方が当時あった。主人や若い跡取りなどが誤った道に行ったとき、家来や親類が死をもって諫めて、目を覚まさせる、という形の『自殺』だ。母の死の詳細は語られてない。が、ほぼ同じタイミングで死を知らせてきている、という点からも、ここは諫死だったのでは、という読まれ方が主流だ。クビになって落ち込んでるところに、親が自殺して遺書で叱ってくる……重すぎる。これは、たまらない」
――嗚呼、委くここに写さんも要なけれど、余が彼を愛づる心の俄に強くなりて、遂に離れ難き中となりしは此折なりき。
「身分を失い、母を失い、諫められ、ボロボロになった豊太郎。憐れみ、悲しんでくれたのはエリスだった。彼女がさらに愛しく思えてきて『離れ難き中』に――つまり、抱いてしまった。これは、まあ……仕方ないんじゃないかな」
――公使に約せし日も近づき、我命はせまりぬ。
「日本に帰るか、ドイツに残るか、返事をする期限が迫る。だが、このままスキャンダルでクビになって帰国しても二度と出世コースには乗れない。勉学を続けるにも、ドイツに滞在するお金がない。ここで、重要な新キャラ、豊太郎の親友にして救世主の『相沢謙吉』が登場する」
――此時余を助けしは 今 我同行の一人なる 相沢謙吉なり。
「彼は日本で、大臣の秘書をしている。豊太郎と同じ超エリートだ。新聞社の編集長を口説き、豊太郎を通信員として雇ってもらえるようにしてくれた。これで、ドイツで生活する基盤ができた。さらに、エリスが母親を説き伏せ、居候させてもらえることになった。豊太郎もエリスも少ない収入だけど、二人で倹約すればどうにかやっていける。先生は、舞姫を読むと、ここで終われたら、二人は幸せになれただろう……って、いつも思う。残念だが、次回に続いちゃうんだな。号令お願いします」