第91話「Snowy_Knife_Fight」
※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
「あんた魔法覚えなくていいの?」
新品の防具に身を包み、意気揚々とギルバニア王国の正門をくぐったところで、背後から声がかかる。
レオンが唇を尖らせて振り返ると、腰に手を当てたアイリが溜息を吐く。
「今日、試験なのに。大丈夫?」
冒険者の資格を取得するためには、ギルバニア王国で正式な手続きを行わなければならない。流れとしては書類を提出し、審査が通れば実技試験が行われる。その後に筆記試験。主に冒険者としての節度を、今一度確認するためのものだ。難しい計算式などは一切ない。
これらの手続き、というより試験は、明確な日付や時期など関係なく、いつでもギルバニア王国で受けることが可能だ。順調にいけば、即日冒険者になれる。
ふたりは事前に書類を提出し、審査通過の報告を受けていた。そして時間が空いた休日に、揃ってギルバニア王国を訪れた。
「心配すんなって! ちゃんとひとつは覚えたから」
「雷撃弾だけじゃない! まったく。私の力がなかったらできなかったでしょ」
「あれはオリジナル魔法だって! アイリだって気に入ってるだろ!」
「まぁ、そうだけど。ちゃんと発動してよ」
「わかってるって!」
そう言って背を向けて歩き出す。アイリが駆け足で隣に寄る。
「まったく。いい? 私はフォローできないからね」
「わぁってるって。うるせぇなぁ」
「なにその言い方。だいたい、書類だって私のチェックが無かったら……」
そこでふたりが大きな影に飲み込まれる。突然太陽の光を失ったため、空を見上げる。
大型の飛竜が、何処かに向けて飛び去って行った。灰色の巨体は、この世の物とは思えないほどの威圧感と存在感を放っていた。
「でっけぇ」
レオンが興奮した声を上げる。アイリも、楽しそうに頬を緩める。
「お偉いさんが乗ってるんでしょうね」
「よぉし。俺らも偉くなって、飛竜に乗ろうぜ」
「はぁ。いつになることやら」
「安心しろ、アイリ!」
そう言って親指を立てる。
「俺が偉くなったら、飛竜を手に入れるからさ。背中に乗せてやるよ!」
「……私が偉くなったら、もっと違う人を乗せるわ」
「なんでだよ!」
慌てたように声を出すと、アイリが破顔する。金髪が太陽に照らされながら踊る。それを見て、レオンは決意した。
立派な冒険者になったら、絶対にアイリと一緒に、飛竜に乗ると。
♢ ♢ ♢
魔法という便利なものを、レオンはほぼ使えない。単純に頭が悪いのもあるが、体内にある魔力が人より少ないからだ。
殺人鬼のアーノルドは、ただのナイフ商人であるため魔法の心得がない。
雷鳴が瞬く。
魔法があるこの世界で、この街で、ナイフだけを使う殺し合いが始まった。
空が光ると同時に、一歩踏み出し、地面を濡らす雨水が跳ね上がる。
先に動いたのは、アーノルドだった。マチェットを後ろ手にして構えている。
それだけで、相手がナイフの使い方を熟知しているのを物語っているようであった。
近接戦闘時、一番脅威となる武器は何か。それはナイフである。小回りが利き、素手の殴り合いで有効な腕や足によるブロックが不可能なため、必ずダメージを与えることができる凶器。
それを熟知した者達が、一対一で相対した場合、双方無事では済まない。
それはレオンも、アーノルドも、理解していた。
ゆえに威力もリーチもある武器を持ったアーノルドは、先に動き出した。後ろ手に構えたナイフは奪われる心配はない。相手が二刀流のため、前に出した腕が切りつけられる心配があるが、それは問題ではない。
むしろ、切りつけてくるのを狙っている。
水を跳ね上げながら、アーノルドが近づいてくる。レオンは冷静にナイフを構え、間合いを掴もうとした。大型のマチェットナイフに対し、こちらは左手にダガー、右手に黒曜石で研がれたシースナイフ。近づけば有利、二刀の強さを活かすしかない。
近づいてくる。もうマチェットの間合いだった。だが、相手は振ってこない。
ぐっと堪える。振ってきたら、ダガーで弾くか受け流し、シースナイフで脇か足、腕を撫で斬りする腹積もりだった。
マチェットの切先が天に向けられる。雪に濡れる白い刃が、振り下ろされる。レオンは膝を若干折り、ダガーを逆手に持ち、持ち上げて攻撃を待つ。
だが、マチェットはダガーに触れる直前で、止まった。
――フェイント。
気づいた時には、アーノルドが右の前蹴りを放っていた。
股関節を押されたレオンはなす術なく、体勢を崩し腰を落としてしまう。
喧嘩慣れしている。レオンはそう思った。無骨な前蹴りといった小技は、喧嘩で異常な効果を発揮する。
殺しの技術と合わせれば、まさにそれは、相手を追い詰める一手に繋がる。
レオンの顔が上に向けられ、頭上で両方のナイフを十字に構える。
直後、甲高い音が鳴り響く。同時に風が吹き、両者の顔に雪がつき、溶けていく。
力の限り振り下ろされたマチェットをなんとか防いだが、膂力の違いか、徐々にレオンの腕が下がっていく。
「死ね……!」
有利になったアーノルドの頬が吊り上がり、勝利を確信したような呟きが吹雪の中に混ざる。
「あの金髪女の元に送ってやるよ!」
先程の反応から、怒りのポイントを抑えたアーノルドは、レオンを激昂させようと挑発を行う。冷静な判断ができなくなった相手など、恐るるに足らず。アーノルドは相手が怒り狂うのを待つ。
だが、レオンは冷静だった。
小さく息を吐き出し、両手を動かす。
十字を解きながらシースナイフでマチェットをずらすと同時に、自身の体を右に飛ばす。左腕を折り畳みながら飛んだため、刃は触れていない。
捌きを確認すると、即座に間合いを詰める。風の音と共に、舌を鳴らす音が聞こえた。
「うぉぉお!!」
前のめりになりながらも気合の入った声を出し、アーノルドがマチェットを振る。雪と雨水が切り裂かれる。
だがレオンは防がない。迫ってくる鈍い光を放つ刃から逃れるように、アーノルドとの距離を詰め、背中を両眼で捉える。
「殺った」
ダガーを振る。肉を裂く感触が伝わる。銃や魔法では味わえない猟奇的な感覚が、レオンの体に電流の如く伝わる。
「うぐぅあ」
苦悶の声を上げ、アーノルドがよたよたとした足取りで距離を取る。
全身が、寒さのせいで上手く動かない。容赦なく体は冷えていく。荒い呼吸を繰り返しながら、なんとかレオンに向き直る。
眼前に、膝が迫っていた。
「オルァッ!!!」
声を吐き出し放った飛び膝蹴りは、正確にアーノルドの顔面を捉える。
ぐちゃ、という潰れた音。首を仰け反らせたアーノルドの顔から血飛沫が上がる。白い雪が赤く染まる。鼻骨が折れたらしい。
後退りながら顔面を抑え項垂れる。血が手の隙間から零れ落ちていく。
黒と白の世界に赤が混ざる。
レオンがシースナイフを振り追い打ちを仕掛ける。辛うじて振ったマチェットがそれを弾く。
ダガーで相手の右足を切りつける。くぐもった声が聞こえた。
相手の懐に入り込み、シースナイフを顔面に向けて突き立てる。アーノルドが息を飲み、顔を仰け反らせる。勢いのあまり、バランスを崩し尻もちをついた。
同時に、額から熱を感じる。
レオンの刃はアーノルドの顎からこめかみにかけてを裂いていた。
「うぉぁああ!!」
首から上の傷は、浅くても派手に出血する。
大量の血液と、痛み。殺されるという恐怖から、アーノルドは冷静さと闘争心を失っていく。
強敵と戦い、実力と度胸を身に着けたレオンにとって、人間の殺人鬼など相手にならない。冷たい目で、慌てふためく相手を見下ろす。
「ふざけ、ふざけるなよ! ガキが!!」
アーノルドが荒い呼吸を繰り返しながら、ふらふらしながらも立ち上がる。
「お前さえ来なければ、俺は趣味を続けられたんだ! お前が来なければ、あの金髪は死ななかったんだよ! 全部お前のせいだ! 全部、お前の、せいだろうがぁ!!」
錯乱気味に感情を昂らせると、立ち上がってマチェットを振り上げる。そこに技術はない。ただの振り下ろしだ。捌くも避けるも、簡単にできる。
だが、レオンはその一撃に対し、一歩身を退いただけだった。
マチェットの先端がレオンの右瞼から口にかけてを切り裂く。ぶしゃ、と血が噴き出し、直後痛みを感じる。切られた部分が熱い。垂れ落ちる血は、止まらない。
「ハハハ!! ざまぁみろ!!」
そう言ってアーノルドは笑い声をあげる。そして徐々に、その笑い声が小さくなっていく。
レオンは顔を拭わず、表情も歪めず、残った片目で敵を睨みつけていた。
「……ああ。俺のせいだ」
「……あぁ!?」
ふぅと息を吐き出す。白い息が、闇に溶ける。
「だから、今の一撃は、わざと受けた。この方目は、その代償だ。ありがとよ。俺に罪を与えてくれて」
「……なにを言ってやがる! なにを!」
「あんたさ、俺の目を気に入ったって言ったよな。その理由がわかったわ。あんたの目、俺にそっくりだぜ。だからわかるんだ。あんたは、ただの、臆病者の、卑怯者だ」
アーノルドは震え、ゆっくりと後退りする。
「だからさ、ここに来ることもわかってた。ゾディアックさんに怯えて、ここに誘導されるって。そうやって、マチェットを振るのもわかった。もういい。充分だ」
狂気の目が、自分が今まで魔法使い達に向けてきた、殺意の目が、見つめてくる。
「お前は、俺が殺す」
「やめろ」
狂気の目をそのままに。
「死、ね」
瞬間、ダガーを振り下ろす。アーノルドはガードしようと腕を上げた。
同時にシースナイフでマチェットを持つ手首を切った。次いで、一瞬でダガーを逆手に持ち、マチェットを持つ指を切り飛ばす。
「あぁあああああ!!?」
大量の出血による脱力、支えの失ったマチェットは地面に落ちる。
悲鳴を上げたアーノルドは、前蹴りでレオンの腹をけると、踵を返して逃げ出す。
数歩後ろに下がりアーノルドを見る。意外と足が速く、徐々に距離が開いていく。
レオンはシースナイフの刃先を持ち、振りかぶる。レオンの腕が止まる。
過去に、逃げるコボルトを仕留めようとした時のことを思い出した。
当たらない。今投げてもどうせ無駄だ。そう思ったことも、よく覚えている。
あの時は、ゾディアックがいたからどうにかなった。
だが、今は自分だけだ。
「アイリ、見てろよ」
逃げる背中に狙いを定める。同時に、全身に魔力を巡らす。
体内にある僅かな魔力を指先に集めていき、爆発させる。
シースナイフが紫色に染まり、雷を纏う。まるでエネルギーが充填されるように、甲高い電流の音がレオンの耳を劈く。髪の毛が逆立ち、腕が燃えるように熱くなる。
――心配すんなって! ちゃんとひとつは覚えたから。
――雷撃弾だけじゃない! まったく。私の力がなかったらできなかったでしょ。
――あれはオリジナル魔法だって! アイリだって気に入ってるだろ!
――まぁ、そうだけど。ちゃんと発動してよ。
オリジナルの、魔法。
アイリと一緒に考えた、魔力の少ないレオンが、”日に一度だけ放てる魔法”。
その名も。
「ジャック・ナイフ」
ふたりで名付けた、最高の魔法。
レオンは魔法名を呟くと同時に、思い切り輝くナイフを投げる。
投擲されたナイフは一直線にアーノルドに向かう。
雪を、雨を、風を、嵐を裂いて、紫色の一閃が憎き敵を穿たんと迫る。
そしてナイフは、アーノルドの右足を”切り飛ばした”。バランスを崩し、顔面から無様に倒れこむ。
轟雷が響き、水飛沫と風が舞い上がる。
「返品だ。クソみてぇなナイフだったよ」
中指を立て、吐き捨てるようにそう言うと、レオンの髪が垂れ下がる。口で呼吸をして、膝を折る。魔力が枯渇したため動けない。それでも首だけを動かし、アーノルドを見る。
ピクピクと動いているため、死んではいないらしい。切断された部分は、焦げて止血もされている。
両者動けない。
だが、勝者は決まった。
「……アイリ……」
愛しい人の名を呟くと、視界の隅に、漆黒の鎧を身に纏った騎士が立っていた。
「……勝ったな。レオン」
ゾディアックの言葉を聞いて、レオンは涙を流しながら頷いた。




