第82話「Ice_Rainy」
※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
氷のような冷たい雨が降り注いでいる。
その雨音が、ゆっくりと流れているようであった。
大口を開けて、リリウムは戸惑いの表情を見せている。その人形のように端正な顔立ちが、みるみるうちに青く染まっていく。
ゾディアックもまた、兜の下で開いた口が塞がらなかった。
ギルバニア王国を守りし騎士団、その中でも副団長という重要な役職に就いているはずの彼女が、なぜここにいるのか。
ツヤのある淡い色味のブラウスにダークカラーのパンツ姿は、清楚ながらも華やかさを醸し出している。ただの私服だ。あの白銀の鎧など、見る影もない。
頭の理解が追い付かない。一瞬時が止まったかのような錯覚に陥る。
「……なんだあの美人……」
「なんか恐ろしさすら感じますね」
「ゾディアックさん固まってんじゃん」
雨音に混じったレオンとエリーの言葉は、止まった時間を動かした。リリウムは肩を上げ、愛想笑いを浮かべる。
「”は、初めまして!!” ど、どうぞ中に入ってください!」
「はぁ?」
ロゼが疑問符を浮かべて首をかしげる。
向けられるその笑顔は、客に媚びへつらう商人のそれであった。昔の凛々しい態度はどこにいったのか。
「お前何の冗談……」
その瞬間、鋭い視線が向けられる。「何も言うな」と言っていた。
それを見て言葉を途中でやめると、肩を竦めて口元を歪めた。
依頼を頼むために訪れたら、思いもよらない人物が出てきた。
色々と聞きたいことがあるが、混乱する頭をなんとか整理しながら、ゾディアックは部屋の中へ足を踏み入れた。
♢ ♢ ♢
中は小綺麗なワンルームだった。だが自宅に比べると、息苦しくなる狭さだ。
短い廊下を進むとリビングが広がり、長机を挟むように、黒塗りのソファが置かれている。ソファの後ろには、上品な木目と色合いが洒落ているツインデスクが置かれてある。ちょうど真ん中に”しきり”が置かれており、片方は資料や本の類が整理整頓されているのに対し、もう片方はぐちゃぐちゃに荒れている。
その整理整頓されているデスクに、男が座っていた。白いシャツにネイビーのテーパードパンツという、人間の装いだった。
椅子から立ち上がり、ゾディアック達を見る。その顔を見て、はたと気づく。
情報誌に載っていた、写真の男だった。写真よりも、若い見た目をしており、肌もそれほど黒くない。
年齢は、ゾディアックよりも少し上くらい、20代後半くらいだろうか。黒いツーブロックのスポーティなヘア。体は細い印象がある。だが、決して貧弱な体つきをしているわけではない。しなやかに鍛え上げられており、無駄な贅肉が存在していない。
顔つきも鼻筋が通っており、パーツも整っていて男前だ。
そして力強い瞳は一番印象的で、一瞬気圧される。
ゾディアックは警戒心を強める。
その男は明らかに、”こちら”とは違う雰囲気を身に纏っていたからだ。
出方をうかがっていると、相手が一礼してきたため、つられて頭を下げる。
「彼は私の助手といいますか……相棒です」
小さい声で紹介すると、喉を鳴らしてゾディアック達に座るよう手を動かす。
「どうぞ。おかけになってください」
「……はい」
ソファには、体が大きいゾディアック以外が座った。
対面にリリウムが座り、男は傍らに立つ。
「”トラ”。座らないの?」
男は眉根を寄せて答える。
「※sKOgi@2……hoar:/<++wq[91\-4^」
瞬間、パーティメンバー全員が目を丸くする。
まったく理解できない、こちらの世界では絶対に通用しない言語を喋っている。
服装と雰囲気から少し疑っていたが、これで確信した。
「異世界人!!?」
レオンが驚きの声を出す。
今度は異世界人だ。この世界では異質な存在が、こんな場所にいるとは思いもよらなかった。
理解できない言語と知識を持っている、異世界人。こちらの世界では、完全に畏怖の存在である。魔族や亜人達よりも、忌み嫌われているといっても過言ではない。
普通であれば、奴隷にされるか餌になるか、はたまた冒険者の餌食になるはず。
なのにこの男は、小綺麗な恰好で、探偵稼業をしている。
騎士団に所属していたはずのリリウムと、異世界人のトラと呼ばれる男性。
なんとも異質で、不可解な組み合わせだった。
「ちょ、ここ、大丈夫なんすか!!?」
「レオンさん、失礼ですよ!」
「だってエリー! 冷静に考えてみろよ。めっちゃ美人なお姉さんが、異世界人の兄ちゃん連れて探偵だぜ? 怪しいって!」
レオンが声を荒げる。もっともな反応だった。
異世界人はこちらの世界の者達に比べて、圧倒的に力が弱く、魔法すら使えない脆弱な存在だ。力を借りるどころか、足手纏いになるだけの可能性が高い。
咎めたエリーも薄々そう思っていたのか、押し黙る。
リリウムは何も言わずに耳を傾ける。トラと呼ばれた男性は、何を言われているか理解できていないのだろう。小首を傾げている。
「#ki*?」
「あなたに対する悪口、かな?」
口元を隠し、小馬鹿にするようにリリウムがいう。
「+Pti;o%%l_」
「そうだね。また「異世界人」だよ」
「eb/……!`@~^|」
異世界人と、意思疎通は不可能である。相手も、こちらが何を言っているのか、理解できないからだ。
過去に、魔法や機械の力を用いて翻訳を試みた者がいたが、精度が低く、使い物にならなかった。辛うじて作れたのは、簡単な翻訳本だけだった。
だからこそ、目を疑う。トラが何を言っているのか、リリウムにだけは通じているらしい。魔法でも使っているのだろうか。それとも、D.E.C.Kの力だろうか。
「mvK{[da};fa>ryq」
「わかってますって。任せてください」
「lw}gjl。&g.a$aw\|」
「そ、そうかもしれないけど」
「aPP+++qe。ca~(2+?;@6>」
「……今回の相手は大丈夫だ、と、思う!」
「フッ」
「あ、鼻で笑った。またポンコツだと思ってるでしょ!!」
白い歯を覗かせ、肩を竦めて逃げるように距離を取るトラに対し、唇を尖らせている。
ふたりのやり取りを見ていたゾディアックとロゼは、自然と顔を見合わせた。
雰囲気も、喋り方も、まるで違うリリウム。全体的に優しく、柔らかくなっている。そっくりなだけの別人なのではないかと疑ってしまうくらいだ。
だが、最初のリアクションからすると、相手はあの副団長で間違いない。
「あ、あの……ゾディアックさん。ここでいいんですかね?」
レオンの言葉を聞いて、リリウム達に視線を戻す。
「……話だけでも聞いてくれるか?」
「もちろん」
そう尋ねると、相手の顔色が変わる。
「大変失礼いたしました。ようこそ、探偵事務所「ビヨンド・タイガー」へ。この事務所のオーナー兼探偵の、リリウム・ウィンバー・ハーツと申します」
リリウムが身振りする。それを見て、トラが散らかっている方の机に近づき、メモ帳とペンを手に取って渡す。
「まず、要件を話してもらいたいのですが、注意事項があります。絶対に嘘は言わないでください。それと、気になったことがあった場合は質問をいくつかします。失礼なことを聞いてしまうかもしれませんが、ご了承下さい。よろしいですね?」
事務的、というより、機械的で冷たいその言葉に、寒気がした。先程までの明るい感じは消え失せ、氷のような視線が向けられる。
「よろしいですね?」
もう一度問いかけてくる。全員無言で頷いた。
「では。どうぞ」
「え、えっと……依頼したいのは、殺人事件、です」
「……ほぅ?」
レオンが説明をし始める。リリウムはメモを取りながら、真剣に耳を傾けている。
トラはゾディアック達から視線を外さない。警戒しているらしい。向こうにとっては、こちらが畏怖の存在であるからだろう。
大雑把な説明を、時折エリーが補間する。10分ほどで説明が終わると、納得したように頷きながらメモ帳を数枚切り取り、隣にいるトラに手渡す。
「把握しました。冒険者を狙う殺人鬼。ジャミング・ゴーストの時とは状況が異なりますね」
「……やっぱり、そっちが、捕らわれていた人達を解放したのか」
リリウムは静かにうなずく。
「あなた達の活躍も、聞いておりました。だから、この街にいることも知ってました。ただ、まさか……出会うことになるとは」
喉を鳴らして視線をレオンに向ける。
「いくつか質問が。被害者のアイリさんと一番仲がいい人は?」
「多分、俺です」
「彼氏さん、でしょうか?」
「……ではないかな」
「ふむ。ではアイリさんと性行為をした経験はないと」
「……は? なに、なんでそんなことを」
「いるんですよ。そういう”純潔”な子を狙う魔族とかが、ね」
一瞬だけ、ロゼに目が向けられる。先の尖った氷柱が投げられたようだ。いの一番に疑っているらしい。
疑われてもおかしくはない。
ロゼが吸血鬼だと知っているのは、ゾディアックとリリウムだけだ。吸血鬼の主食がなんなのかを考えれば、一番怪しいのは自然と決まる。
「アイリさんとは仲が良かったんですか? えっと……?」
わざとらしく小首を傾げる。自分が不利になることはないと踏んでいるらしい。
ロゼは鼻を鳴らす。
「ロゼ」
「ロゼさん。仲がよろしかったのですか?」
「まぁ」
ペンを走らせ、トラがそれを後ろから覗き見ると、ロゼを睨みつけた。
彼が吸血鬼の存在を知っている可能性は限りなく低いが、リリウムのメモに「危険人物」とでも書かれてあったのだろう。明らかに警戒心を強めている。
無実を説明したいが、ここでは無意味だ。
「……死亡していた状況を、詳しく説明できますか?」
再び意識をレオンに向ける。
レオンは一瞬口を噤んだが、喉奥から言葉を吐き出す。喋り続け、それが終わると再び喉を鳴らしたリリウムがメモ帳を凝視する。
「……魔術師を狙う殺人鬼……巷で有名のあれか。充分ありえる」
そう呟くと、紙とペンを机に置く。
「把握しました。トラ。メモ帳の通りです。”使っても大丈夫かと”」
「=3gKlgo?*;fp?」
「構いません。ボルテージは充分でしょう?」
「……&’<」
「恥ずかしいのはわかるけど、いい加減慣れた方がいいと思うな」
トラは溜息を吐くと視線を逸らした。
【慣れたくないな。そんな歳でもないんだ】
レオンが驚きの声を上げた。
「はぁ!!? 言葉がわか……え? な、なんで?」
【よし。そっちの言葉がわかる。申し訳ございません。今まで通じない言葉を使ってしまい。大変失礼いたしました】
そう言って頭を下げる。見た目に反して、随分と礼儀正しい男だった。
【黒い鎧を身に纏った人が……ゾディアックさんですか?】
「あ、ああ。そう、です……」
そう答えると、相手が近づいてきて右手を差し出す。
【初めまして。探偵の金田虎次郎と申します】
人のいい笑みを浮かべ、トラこと金田が名乗る。
「……ゾディアック・ヴォルクス」
握手に応える。金田はほっとしたように嘆息した。
【よかった】
「なにが……?」
【いえ。世界が違っても、握手だけは共通の挨拶なんだなと思って。少し安心しました】
微笑む金田を見て、この人は”いい人”なんだろうな、とゾディアックは直感で思った。
今まで近づいて来る者達は、全員何かしらの感情があった。経緯、畏怖、殺意。コミュニケーションを取る際に、それらが弊害になることは、しばしばあった。
だが、この男にはそれがない。言葉に”裏”がないのだ。
【異世界人で頼りないかもしれませんが、これでも力になれると自負しております】
「……じ、自信、満々か」
【ええ。私の世界で培った仕事の経験が、活かされているので】
「……仕事?」
握手を終えて首を傾げると、金田は目を細める。
【警察です】
知らない単語だった。
なんの反応も示さないゾディアックを見て、どこか寂しそうに視線を逸らした。
「自己紹介は終わった?」
【ああ。それで、今から行くのか】
「あなたは今すぐ行きたいんでしょ?」
問いには答えず、顎に手を当て視線を動かす。
【ゾディアックさん? でしたか。確か凄腕の冒険者】
「あ、ああ」
【現場はそのままの状態でしょうか?】
「そのまま、放置、だな。……掃除をする人はいませんし、まだ血も残っていると、思う」
金田が目の色を変えてリリウムを見つめる。
【荒らされる前に、俺達で調べるぞ】
「了解」
ゾディアックと接している時とは、まるで違う態度でそう言うと、壁に掛けてあった黒のジャケットを羽織り、パーティを一瞥する。
【色々と聞きたいことがあると思いますが、今は私達を味方だと思ってください】
「……わかった。受けてもらえるのか」
【ええ。もちろん】
金田は口元に笑みを浮かべた。
【この依頼は】
「ビヨンド・タイガーが引き受けます!」
リリウムが間に割り込んで宣言する。自信を含む笑みで、胸を張っている。その背中を見て、金田は苦笑いを浮かべた。
なんとも珍妙な協力者を得たゾディアック達は、互いに顔を見合わせたのだった。




