第79話「DIE_Windy」
※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
前掛けをしたロゼが腰に手を当て眉根を寄せている。その目の前にはエリーが、申し訳なさそうに視線を落としている。
「集合してから早速始めたマカロン作りですが」
「すいません」
「まだ私は何も言っていません」
先回りして謝ったエリーに圧力をかける。
「失敗というものは誰でもします。しかし、あなたが「刃物使わないし魔法使えるなら、お菓子作りくらい余裕っしょ」といった感じで早2時間経過。20個のマカロンさんは」
ロゼがテーブルに置かれた残骸という名のマカロンを指差す。
「見事に真っ黒焦げです。ひび割れが多数、”ピエ”すら出ていないもの多数」
並べられたマカロンは、いくつかが魔法の音量調整を間違い、黒焦げに。
焦げていない物も座布団のように平べったい物や、無残にひび割れた物ばかり。
「すいません」
「謝らないでください? 私が悪いみたいじゃないですか。私は怒ってません。調理器具で使っていたフードプロセッサー破壊されても、私は怒ってません」
「面倒くさいクレーマーみたいになってる……」
エリーが、視線を斜め下にしぼやく。
「とにかく!! 次からは私も参戦します! 料理もお菓子作りもしたことないのに見え張るのは禁止です!! いいですか!」
「ごめんなさい……」
「声が小さいんだよ!」
「ごめんなさいぃ!!」
なぜ、可愛らしい子達が菓子を作っているだけなのに、怒号が飛び交うのか。
アイリは2人の間でオロオロとするしかなかった。
♢ ♢ ♢
キッチンに立ったロゼは、テキパキとした動きで材料を再び用意していく。
時折エリーに指示を飛ばし、準備を終える。
「リベンジです。エリーさん。私は隣でサポートするので作りましょう」
「は、はい! ロゼ先生!」
「……あ、いいかも。その響き」
いつの間にか先生と生徒の関係になっている2人を、アイリはソファに座って眺める。
最初は一緒にお菓子作りをしていたのだが、「自分の誕生日の準備を、自分でするのはおかしいのでは」という、もっともらしい指摘をエリーから受け、見学という形をとっている。今は2人の様子を、固唾をのんで見守っている。
「まずはアーモンドパウダーと粉糖をジューサーに入れましょう」
エリーは言われた通り材料を、透明な筒状の入れ物に投入する。既に分量は計っているため危険はない。先程は、アーモンドパウダー150グラムを一気に注ぎ込んだため、ロゼが目を白黒させていた。
「それで、次は抹茶と。意外ですね。アイリさんは渋いお菓子がお好きで?」
「幼い頃、師匠がよく振る舞ってくれて」
会話を聞きながら、抹茶を掬って落とす。缶丸ごとぶち込んだ時には、ロゼも流石に怒った。心なしか、怯えた様子で材料を入れジューサーを起動する。中に入れられた物が、けたたましい音とともに、細かく砕かれていく。
出来上がった粉類を振るい落とし、ボウルに入れていく。ロゼはその間に絞り袋と口金、クッキングシートを準備する。
「次は卵白ですね。全部入れちゃ駄目ですよ」
「は、はい! 片方の殻に黄身を入れておいて……」
呟きながら動作を行い、綺麗な卵白を別のボウルに入れる。その後泡立て器で混ぜる。泡立ってきたところでグラニュー糖を入れ再び泡立て器を使用する。
先程はここの混ぜが足りなく、駄目なメレンゲが出来上がったせいで、ピエが出なかった。
だが今回は、見事なメレンゲが完成した。白い塊はふわふわとしており、弾力がある。形が安定しているため、ボウルを逆さにしても落ちない。
そこに粉類を入れ、メレンゲを切るように馴染ませていく。ゴムベラで混ぜるたびにサクサクとした音が響く。
「もっと大きく動かして大丈夫です。粉をまき散らさないよう注意してください」
「わかりました!」
ある程度混ざり、ボウルの底や側面を使って泡を潰していく。生地の固さ調整をする”マカロナージュ”、と呼ばれる作業が必要なのだ。気泡を均一にするのが大事らしく、その状態で乾燥させると、焼いたときにマカロン特有の質感になる。
「表面に膜ができて、つるっとした質感になるらしいです」
「らしい?」
「私も作ったことがないので。あくまで本知識です。嘘はついていないでしょう」
そうしてしばらく混ぜ合わせていく。
時折エリーがゴムベラを持ち上げ、固さを確かめる。生地が繋がり、リボン状に落ちることを確認すると、安堵の溜息を吐いた。これができてないと、空洞ができたり、ヒビが入りやすくなる。
「ばっちり」
「ですね」
しっかりとした物ができ、エリーはそれを絞り袋に入れて、クッキングシート上に絞り出していく。
「普通に出せば綺麗な円形になります。私は気泡を潰していくので」
爪楊枝を持ったロゼがそう言いながら作業行う。エリーは返事も出来ないほど集中していた。
それから全てを出し切り、表面を乾燥させる。しっかりと乾燥させないと、ひびが入り爆発したような見た目になる。
あとは1時間ほど待てばいいだけだ。
「それにしても、いいなぁ、ロゼさん」
乾燥の間は暇なため、お茶を入れるロゼの耳に、アイリの言葉が飛び込む。
「何がですか?」
「ゾディアックさんみたいな、強くてかっこいい人と付き合ってるなんて」
「あら。アイリさんにだって、レオンさんがいるじゃないですか」
「あいつはなぁ。普通にしていればカッコいい顔してるのに、馬鹿だから……」
「顔はいいですよね! 顔は!」
屈託のない笑みでエリーが猫耳を動かす。
「……あんまり顔顔言わないで。可哀想になってくるわ」
「でも顔は重要ですよ」
あっけからんというロゼをアイリは見る。
「ゾディアックさんには見た目で惚れたんですか?」
「かんっぜんに、見た目100パーセントです。一目惚れですね。本当好みの顔そのまんまだったんですよ」
「……性格は」
「おどおどしてなければなぁ、って感じです」
「ゾディアックさんって、その気になればすっごいモテモテになるでしょうね。今でもモテてますし」
ロゼが柳眉を逆立てる。
「なんですか。あの人モテモテなんですか」
「隠れファンクラブがあるみたいなんですよ」
「噂だと、何人か狙っている人がいるらしく……」
「……人の男に手ぇ出したらぶっ殺してやる……」
「ロゼさん。顔。顔がやばい。鬼の形相になってる」
そんな談笑をしていると、乾燥が終わる。指で撫でられるくらいになっているのを確認すると、今度は魔法の出番である。
「よし。私が魔法を使います。温度調整の仕方を勉強するように」
「はい! ロゼ先生」
「もう一回言って」
「ロゼ先生!」
「うん、満足です」
マカロナージュも充分だったため、何の問題もなく焼いていく。火力が弱いとピエが出ないため注意を払う。
そして10分ほど経過したあと、常温で冷ますために炎の魔法を消す。その瞬間、エリーが感嘆の声を上げた。
ひび割れているものが、ひとつもない。どれも綺麗な円形を描いていた。その声に釣られてアイリが覗き込む。
「あら、綺麗! 完璧じゃない!」
「流石ですよロゼ先生!」
「まぁ私の手にかかれば余裕ですとも」
胸を張って、どうだと言わんばかりに顎をしゃくる。これで生地は完成だ。次はクリームを作るため、喜んでいる2人を放置し、ロゼはせっせと作業を行う。
グラニュー糖と水を入れ加熱する。手慣れた動作で卵黄を2つ使い混ぜていき、そこに先程のシロップを投入していく。白くなって温度も下がったら、常温に戻したバターを少しずつ加えていく。およそ4回に分けて投入し、固さを感じたら、泡立て器からゴムベラに切り替える。
充分に混ぜ合わせたら、抹茶を入れたボウルにクリームを入れ、よく混ぜ合わせる。白っぽい黄色の見た目をしたそれは、瞬く間に深緑色になる。こちらも数回に分けてクリームを入れ、すべて緑色になったところで絞り袋をに入れていく。
「え、もう出来上がったんですか!?」
「これくらいなら余裕です」
にっこりと笑い、生地の上に抹茶バタークリームをサンドしていく。エリーとアイリも一緒に行い、3人で談笑しながらマカロンを作り上げていく。
そうして20個のマカロンが出来上がり、容器に入れ、冷蔵庫で冷やしておく。
「明日になったら完成です。お疲れ様でした」
3人の拍手が重なる。
「いやぁ、一時はどうなることかと」
「完成できたのでよしとしましょう。アイリさん、楽しみにしていてくださいね」
「あ、私プレゼント用意してます!」
心優しい2人の笑顔を見て、アイリは頷いた。
それからしばらくして、用事が済んだゾディアックが帰ってきたため、今日の女子会という名の菓子作りはお開きになった。
「ゾディアックさん! お邪魔しました」
「ああ。アイリ」
「はい?」
「……明日は、きっといい日になる」
口元に薄い笑みを蓄えたゾディアックに微笑んで頷くと、その場を後にする。
ゾディアックは去っていくアイリとエリーの背中を見送った。
明日が待ち遠しいのは、みんな一緒なのかもしれない。そう思いながらロゼを見ると、ニコニコとした様子で両手を広げていた。
「おかえりなさい」
「ただいま」
「はい、ギューってして」
言われるがまま、ドアを閉めて、ロゼを抱きしめた。
マカロンを作った際に付いたいい匂いが、ゾディアックの鼻腔をくすぐった。
♢ ♢ ♢
明日が待ち遠しい。早く夜が明けてほしい。
東地区にある一軒家で、ひとり暮らしをしているアイリは早々に寝床についていた。まだ寝るには少し早い時間だったが、毛布を被って必死に寝ようとする。
冒険者になってから、あんなに素敵な人達と出会えるなんて思えなかった。一緒にこの稼業を続けていけば、師匠でさえ到達できなかったSランクになれるかもしれない。
そしたら、両親も認めてくれる。同級生達からも、「落ちこぼれ」なんてもう言われない。
明日の誕生日が終わったら、次はどんな任務が待っているのだろう。
まるで遠足に行く前日のような気分だった。口元に蓄えた笑みを隠さず、アイリは掛け布団を握りしめる。
その時、来客を告げるベルが鳴った。
ハッとして起き上がる。
「そうだった! 魔導書!」
キャラバンから取り寄せていた新しい魔導書が、今日届く予定だったのを、すっかり忘れていた。財布から急いで大金を取り出し、玄関へと向かう。この家を訪れるのは、レオンかキャラバンの人達くらいだ。
「お疲れ様です!」
明るい声を発し、笑顔で玄関を開ける。
瞬間、腹に衝撃を受けた。
アイリの笑顔が固まり、徐々に口角が下がる。次いで腹部が熱が帯びていき、何かが流れ落ちていく。
視線がゆっくりと、下に向かう。
何かが、ある。手だ。いや、違う。重要なのは、手袋を装備した手じゃない。
柄。何かの、柄。
微かに見えるのは銀色の光。
滴り落ちているのは、水じゃない。熱い。赤い。
何。何。赤い。
血。
刺された。
それを理解した時、閃光のような瞬きが視界で煌めき、絶望するような痛みという感覚が、濁流のようにアイリを包み込んだ。
「え……は、え……?」
口元を戦慄かせながら視線を前方に持っていくと、頬に衝撃が走る。
殴られ倒れると、より一層痛みが増した。
「い、痛。痛い、いたっ」
仰向けに倒れ、必死に状況を理解しようとする。
だがその隙に、口元を押さえつけられる。顔すらも見えない黒ずくめの何かに。
次いで衝撃が再び襲い掛かってくる。何度も何度も。
なんで、どうして。
刺された。なんで。こんなところで。明日は誕生日なのに。
ああ、そうか。これは悪い夢だ。きっと馬鹿みたいにワクワクしていた私に、罰が当たったんだ。
お願い、早く覚めて。
目が覚めて、明日になったら、レオンに好きだって、言うんだ。そしたら、一緒に、みんな一緒に。
笑って。
笑って……。
笑って…………。
やがて、痛みが薄れていくと、アイリは意識を手放した。
涙がこめかみを伝う。
アイリの穏やかに開かれた瞳に。
光は、もう、無かった。
♢ ♢ ♢
「遅いなぁ、アイリ」
ゾディアックの家の前で、レオンは腕時計とにらめっこする。待ち合わせの時間から、もう1時間が経過していた。
隣にいたゾディアックもまた、心配そうに通りを見ていた。
「あいつ、真面目だから遅刻とかしないんですよ」
「……だとしたらおかしいな」
「ちょっと心配っすわ。迎えに行きます」
「俺も行くよ」
「まったく。まだ怒ってんのかなぁ……」
サプライズで、ゾディアックの家の前で出迎えようと準備をしていたレオンは、頭の後ろを掻いて嘆息する。
ロゼとエリーに一言告げて、2人は馬車に乗って東地区へと向かう。移動するだけでも長いため、既に2時間近く経過している。
アイリの自宅前に着くと、レオンが呼び鈴を鳴らす。
返事はない。
「おーい、アイリー!」
大声を出すが、それでも反応はなかった。
「寝てんのかなぁ?」
「もしかしたら、疲れて熱を出したり」
「マジかよぉ。ちょっと乱暴だけど……」
心配そうに目を細めたレオンが、扉を叩く。反応はない。
ダメもとでドアを開けようとした。
取っ手が動き、ドアが開いた。
「は?」
目を丸くする。ゾディアックは眉を動かした。いくら東地区とはいえ、戸締りすらしていないのは不用心すぎる。あのアイリがそんなことをするだろうか。
怪しみながら一歩進んだ瞬間、ゾディアックが目を見開いた。
この独特な、鉄臭さと異臭は。
「あいつ何してんだよ。馬鹿じゃねぇのか。おいアイリ!」
「レオンッ!!! 開けるな!!!」
その制止は遅かった。レオンは扉を開けてしまう。暗い部屋に太陽の明かりが差し込む。
そして、すぐに異変に気づいた。
「なんだ、臭いな。あいつ料理失敗して」
軽口を叩きながら視線を下に向ける。
そこには、腹部に刃物が刺さっている状態で、血の海に沈んでいるアイリの姿があった。
一陣の風が、家に流れ外に出ていく。
それはまるで、アイリの魂を持っていくような、冷たい風であった。




