第74話「Wet」
※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
西地区の自宅で掃除と洗濯を終えたロゼはソファに座り、自身の手に持った黒い箱を凝視していた。
琥珀箱。長方形の黒い箱であり少し厚みがあるそれは、遠くの者とも通話ができ、文章によるやり取りも可能という、通信機のようなものだ。他にも電像機の役割を担ったり、世界各国の者達が”動画”を投稿する場所を見れる、らしい。
らしい、というのは、ロゼが琥珀箱の使い方を全く理解できていないからである。先日、ゾディアックと買いに行ったまではいいが、操作方法を見てもまったく上手くいかなかった。指が画面に反応しづらく、文字の入力が一行打つだけで10分を要した。結果的に、辛うじてモノにしたのは通話機能だけだった。
今日もゾディアックと一緒に学ぶ予定であり、予習をしておこうとテーブルに広げた説明書に目を向ける。
それと同時に家の玄関が開く音がした。ロゼの顔に花が咲き、琥珀箱を握りしめながら小走りで向かう。
「おかえりなさいませ、ゾディアック様!」
嬉しそうな笑顔でゾディアックを出迎える。そして、その顔が驚きに変化する。
「た、ただいま。ロゼ」
「あ、ロゼさん! お邪魔します」
「どうも」
「あら……いらっしゃいませ。アイリさん。エリーさん」
屈託のない笑みを向けると、アイリは安心したように息を吐いた。
♢ ♢ ♢
「はぁ。それで私に相談ですか」
茶菓子を出し、事情を聞いたロゼは頷いて納得する。
妥当な判断だが、意外でもあった。この少女たちは既に、自分にはかなり気を許しているらしい。
ソファに座ったエリーとアイリから真剣な眼差しが向けられる。頼りにされているのであれば、しっかりと答えねばなるまい。
だが、疑問がある。
「私に相談するのは構いませんが……あまり参考にはならないと思いますよ?」
「え、そんな! だってゾディアックさんと凄い仲がいいじゃないですか」
「そ、そう見えますかね?」
エリーの言葉を聞いてロゼの頬が緩む。
「はい! 初めて見たときは「ゾディアックさんってロリコンなんだ」って思っちゃいましたけど」
「ちょっと待ってください。誰がロリですか」
「俺はロリコンじゃないぞ」
「ロゼさんは雰囲気が大人びてるから、あまりロリには見えないと思う」
「俺は、ロリコンじゃないぞ」
「そんなことより、相談でしたよね。可能な限りはお力になりますが……期待はしないでください」
完全に無視された、ラフな格好に身を包んだゾディアックは、一人寂しく項垂れる。アイリはそれを気にも留めず本題を切り出す。
「それで、喧嘩した後どうすれば」
「ひとつ確認なのですが。お二人は付き合っては?」
アイリは沈黙し、頭を振る。ロゼは笑顔になると。
「簡単ですね。「この駄目男が!!」って言って一発ひっぱたきましょう!! そんで土下座させましょう!」
「何いい笑顔で言っているんですか!!」
エリーが声を荒げる。だがロゼは言葉を紡ぐ。
「いいですか? まずアイリさんが行動を起こす必要は皆無です。話を聞いている限り非はレオンさんにあります。彼も彼なりに努力をしていることは認めますが、やり方がダメダメです。ここは仲直りよりもビシッと言うべきです」
「で、でも。前のやり取りでちょっと亀裂といいますか……軋轢といいますか……」
「それくらいで崩れてしまう関係なのですか?」
アイリが泣きそうな目を向ける。
「大丈夫です。絆が本当なら、どんな障害があっても繋がり続けます。人との繋がりを強固にするには、相手のことを気遣うより、自分に自信を持ってぶつかり合うことですよ。そしたらきっと、前よりも仲良くなってます」
ロゼは優しく微笑んでそう言った。エリーが感心するような溜息を吐く。その言葉が響いたのか、アイリは目元を擦って頷きを返した。ゾディアックと付き合っているという点で、ロゼに相談を持ちかけたのは正解だったらしい。
「流石です、ロゼさん! だてに難しい性格してるゾディアックさんと付き合ってませんね!」
「……最近エリーが容赦ないんだが」
「ゾディアック様がしっかりしてないのが悪いですね」
クスクスと笑って小馬鹿にしたようにそう言う。ゾディアックはもう黙っていた方がいいと思って、口を開かなくなった。
「あのロゼさん。ちょっと関係ないんですけど、聞きたいことが」
「はい。何でしょうか、アイリさん」
「お二人はどうやって知り合ったんですか?」
ロゼの肩がビクッと動く。同時に必死に頭を回転させ答えを探す。
「殺し合いから生まれた恋です♪」
言えるかこんなこと。
場をもたせるよう、「あ~」と言いながら照れくさそうに頬を掻く。そしてゾディアックを見ると、申し訳ないという気持ちを込めながら。
「……ギルバニアのお祭りで出会って……」
「おい。ロゼ。ちょっと待って」
「「俺の部屋来いよ」って……ナンパされちゃって。花火とか一緒に見てコロッと……」
アイリとエリーがゾディアックを見る。汚らわしいものを見るような目つきだ。
「中身は狼だったんですね」
「これが噂のロールキャベツ系男子って奴か……」
「ちが、違う!! いや、間違ったことは言ってないけども!!」
慌てふためくゾディアックを見て3人は笑う。
そして数分後、なんとか適当に誤魔化せたところで、思い出したようにエリーが声を出す。
「そうだ! アイリさん明後日誕生日じゃないですか!!」
「……あ。そっか。忘れてた」
エリーが呆れ声を出す。まさか自分の誕生日を忘れているとは。
それを聞いたロゼ楽しそうな顔で両手を顔の前で合わせる。
「それはめでたいですね!! いつもはどのような誕生日パーティーを?」
「いつもは……レオンと一緒に……」
明るい雰囲気が少しだけ陰る。だがロゼは笑顔を崩さず、じゃあ、と言った。
「明後日の誕生日はみんなでお祝いしましょう!」
「みんなでですか?」
「そうです! ゾディアック様」
「あ、はい」
ずっと黙っていたゾディアックが顔を上げる。ロゼがずいと顔を近づける。
「家、使ってもいいですよね!」
「……はい」
ゾディアックは小さく頷くと、ロゼは満足そうに目を細めた。
♢ ♢ ♢
夕方、太陽が赤色に染まりかけた頃、レオンは集会所の中に入った。流石にアイリ達の姿はなかったためほっと胸を撫で下ろす。
中は盛況とは言えないものの、冒険者が複数人いた。何人かがレオンの方を見たが、存在を無視するように視線を逸らした。嫌な空気を肌で感じながら受付に行く。
「あの。依頼を」
「はいはい。えっと……?」
書類に目を通していた赤毛のレミィが顔を上げると目を丸くする。いつもはかけていない眼鏡を外し眉間に皺を寄せる。
「依頼だと?」
「そう。受注したいんです。Dランクで、単独でも行ける討伐任務か調査系の奴はありますか」
ひとりでも戦える所を見せる。こうなったら自分の実力をしっかりと見せつけるべきだとレオンは考えた。ゾディアックがいなくてもちゃんと自分が保持するランクに依頼をこなしてみせる。それができれば、付属品と言われることはもうないだろう。
「駄目だ」
だが、レオンの企みはその一言で瓦解した。
「な、なんでですか! ソロの任務くらいあるでしょ!」
食い下がろうとするレオンに呆れた顔をレミィは向け、舌打ちする。
「お前なんにも反省してないんだな。昨日の騒ぎはもう私の耳にも入ってる。ランクを見せびらかして、他人に迷惑をかけたお前みたいな冒険者に、渡す任務はこの集会所にねぇ。今は、だけどな」
レオンは押し黙る。レミィは書類に目を移し言葉を続けた。
「それにな、謹慎処分もされてないのは、ひとえにゾディアックのおかげなんだぞ。彼が金も迷惑も全部被ったんだ。そのせいで任務はしばらくの間、受注できないようになっている。おじいちゃんの命令でね。おかげであいつに渡そうとした任務は全部パー。今その書類を整理して、誰に割り振ろうか考えていたところだ」
ゾディアック、という単語を聞いて、レオンの胸中にある怒りの感情がふつふつと沸き立つ。
「わかっただろ? お前に構ってる暇はないんだ。さっさと帰って……つうかゾディアックやアイリちゃんにちゃんと礼を」
ドン、という音が木霊する。レオンが受付の机を拳で叩いた音だ。レミィはたいして驚きもせず、侮蔑の視線を向ける。口で荒い呼吸を繰り返し睨み返すと、レオンは踵を返して出口へと向かった。
その背中を見て、言い過ぎたかもしれないな、と反省する。ただこれだけ言っておけばもう任務を受けに来ることはないだろう。
眼鏡をかけ直したレミィは、再び書類に目を通し始めた。
♢ ♢ ♢
どいつもこいつも、ゾディアック、ゾディアック、ゾディアックだ。
あんなのいい装備を身に着けた金持ち野郎なだけだろ。俺だって装備があれば、もっと強い魔法があれば、もっと活躍できるんだ。何処かにないだろうか。凄い力が込められた秘剣のような、伝説の装備が。
レオンはそこまで思って舌打ちする。自分の力ではなく、他人の力を求めてしまっている。たとえどんな敵でも屠れる最強の剣を突然使えるようになっても、何も満足感は得られないだろう。
自分のプライドを自分で踏みにじってしまったレオンは、当てもなくフラフラと歩き続けた。
そして、馬車を適当に乗り継いで到着した場所は、喧嘩をした西地区だった。まだ日は沈み切ってはいないため娼婦の姿はない。
今更ここにきてどうしようというのか。金を使って、あのカナンという子相手に憂さ晴らしでもする気か。そこまで下種な男だったのか。
もはやレオンにとって、西地区は遊び場ではない。立ち入ってはいけない禁止区画だ。もしカナンと出会ったら、そう思うとぞっとする。
レオンは来た道を戻ろうとした。
が、すぐに足を止めた。
目の前に何者かが立っている。それだけなら立ち止まらないのだが、相手の風体とそこから発せられる雰囲気が、レオンの足を止めたのだ。
チラと見えた顔から、男性だとわかる。細目で不敵な笑みを浮かべ、髭の剃り残しが目立つ。鼻筋が通っており男前だ。年は30代くらいだろうか。黒髪の短髪で、耳周りを甘く刈り上げている。
風が吹き、男は髪を掻き上げる仕草をする。その際に、右腕に付けている金色の腕時計が夕陽に照らされ、怪しく光った。
レオンの視線は男の胴体に移る。体は鍛えられているように見えない。そして身に纏っている服装は見慣れないものであった。人間、それも異世界人が着る服だというのはわかるが、正式名称はわからない。
男はゆっくりとレオンに近づき頭を下げる。
「初めまして、かな。レオンくん」
名を知っている。レオンの警戒心が強まる。自然と腰を下ろし、右手がナイフの柄に触れる。
それを見た男は立ち止まり、両手を上げて無抵抗であることを示す。
「おっと。誤解しないでほしいな。私は君の味方といっても過言ではない」
「……はぁ?」
「あ、そうそう。この服はね、スーツっていうんだ。かっこいいでしょ? これを着るだけで身が引き締まるんだよ。いつもは黒なんだけど、ちょっと気分転換に白に近い灰色にしてみたけどどうかな?」
襟元を正すと、男は再び髪を掻き上げ言葉を続ける。
「似合ってるかい? ありがとう。でもね、これ問題点がある。汁物が食えない。ちょっと前に日本でカレーウドンなる麺料理を食べた時は酷かった。味も微妙だし汁は跳ねるし、下品な食い物だったよ。ニューヨークのパーティー会場では酔ったブロンドに酒をぶっかけられて一着捨てちゃった。本当あの女は駄目だ。お詫びにベッドを共にしてくれるというから乗ったら、下手糞だし喘ぎ声は牛みたいに煩かったよ」
レオンは困惑した。何を言いたいのかまったくわからない。だが、レオンは男から目が外せなくなっていた。まるで吸い寄せられるように、男の相貌を見つめる。
「さて。これだけお話をしたんだ。私達は友達だ。そうだろ? じゃあついてきて。せっかくだ。君もスーツを着てみたらどうかな?」
レオンの足が、”勝手に前に進む”。自分の意思で動かしている気がまったくしなかった。
しかし抵抗の意思というものは生まれてこない。
「そうだな。赤なんて似合うんじゃないか? 血のように赤い色」
その時頬に雨水が落ちる。
「む、いかんな。雨が降ってきた。さぁ行こう。すぐ行こう。君にある任務を託したい」
任務、という単語につられ、レオンは男の背中についていった。
男が何者であるか気になったが、今のレオンには任務を受けることができるというが何よりも大事だった。
男の怪しげな笑みなど、気づきもしない。
「……」
男が小さく呟いたその言葉も、レオンには微塵も聞こえていなかった。




