第72話「Dry」
※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
集会所の中が賑やかになる。討伐任務を終えたベテランのパーティが戻ってきたからだ。端の席にいたエリーは、雑誌から視線をそちらに移す。
「話、聞いてくれる?」
か細い声だった。アイリを見ると神妙な顔で俯いていた。
エリーが頷くと、ぽつりぽつりと喋り始めた。
♢ ♢ ♢
空気がひどく乾いていた。アイリが咳き込むと、隣を歩くレオンが目を向ける。
「大丈夫か?」
「平気よ、別に」
咳を混ぜながらそう答える。
「まぁ空気乾燥してっからな。風邪気をつけろよ。まぁお前頑丈だから平気か」
「なに言ってんのよ。か弱い乙女よ、私」
「なに言ってんだよ」
軽く尻を蹴る。擦れ違った亜人のカップルが珍しい物を見るように2人を見た。
サフィリアの大通りを2人は歩く。オフショルダーのホワイトトップスと、ネイビースカートという服装に身を包んだアイリはレオンをちらと見る。
薄い青色のシャツに黒いパンツとなんの工夫もない。腰に差したククリナイフの刀身が、黒い革製のナイフホルダーに収められている。いつもの軽鎧なら違和感はない。だが、今の服装では非常にミスマッチだ。
「ナイフなんて必要?」
「バカ。いつ亜人が襲ってくるかわからねぇぞ」
「無駄な警戒心」
「うるへー」
雑談を交わしながら市場で買い物をしていく。幼馴染である2人は、冒険者になってからもよく行動を共にしている。
アイリが食材を手に取り吟味する隣で、レオンは適当に選んだものを購入する。
「あんたお金の使い方雑じゃない?」
「いいじゃん別に。報酬も増えてんだから」
冒険者の報酬はランクごとに変動し、当然だが上に行けば行くほど報酬は増える。昇級すればボーナスも出る。金が貯まらないという点は、駆け出し以外の冒険者には起こりえない。
アイリもそれを知っていたが、鼻を鳴らしてレオンを見る。
「いい? 私達、もう駆け出しじゃないのよ。だから派手な行動とか、適当な考えはやめてよね。みんなに迷惑かかるから」
「わぁーってるって」
それ以上は言葉を交わさず買い物を続けた。
それが終わり、帰路についているとレオンが声を出す。
「やべぇ!」
「どうしたの?」
「今日俺が気に入っているキャラバンが来る日なんだよ!」
「ああ。あのナイフ専門の」
「ちょっと行ってくるわ! アイリ、荷物預ける!」
「はぁ!!?」
「頼んだぜ。じゃあな!」
呼び止める暇もなく、レオンは脱兎の如く駆け出していった。
「……もう!!」
アイリは頬を膨らませ、歩き始めようとした。その時、近くの露店から、ローブを羽織った魔術師達の声が聞こえた。
「なんですか? その面白い殺人鬼って」
「遺体から頭髪を奪うんだよ。その犯人は」
「なんですかそれ。気味が悪い。どこが面白いんですか?」
「この国に住む連中が全員ハゲになったら、殺人鬼は自殺するかもしれないぜ」
「……馬鹿ですかあなたは」
白魔道士を狙った誘拐事件の次は、髪の毛を奪う殺人鬼か。アイリは溜息を吐く。その時、自分の持つ金髪が頭の中に浮かぶ。決してナルシストなわけではないが、美しい髪だと自負している。ゆえに狙われる可能性もゼロではない。
急に不安に駆られ再び咳き込む。隣にレオンがいないことが今のアイリには心細かった。
♢ ♢ ♢
「なぁ頼むって!」
「無理だっつうの」
黒い髭を口周りにどっさりと蓄えた、筋肉質なキャラバンの男店主にレオンは詰め寄る。
「そのナイフ、ラップシュラティーの新作だろ! 黒曜石で研いだナイフだ」
棚に大量のナイフが並べられている中、中央に鎮座する、銀色に美しく光るマチェットを指差しながらレオンは唾を飛ばす。値札には「予約中」と赤文字で書かれてある。
「知っているのか、ボウズ。こいつはいいぞ。ドラゴンの鱗も果物みてぇに切り裂ける」
「だから欲しい!」
「だから予約済みだ! さっさと帰れ!」
レオンは歯噛みする。自分の持つククリナイフではもう力不足だ。このままではみんなの足を引っ張る。
それを以前の任務中サラっと言ったら、ゾディアックが余っている武器を譲ろうかと聞いてきた。レオンはそれを断った。
「自分の装備くらい自分で買いますよ!」
欲しいものは自分の実力で手に入れる。そのプライドをレオンは持っていた。
店主を睨み、なんとか手に入れられないかと思考していると、ある案が浮かぶ。
「おっさん」
「なんだ」
「予約している奴って、冒険者のランクいくつよ」
「まだ駆け出しだ。親が金持ちの“ツルキンピカ”だ」
ツルキンピカとは、たいした実力も無いのにいい装備を集める冒険者のことを示す。それを聞いてレオンは歯を見せる。
「俺に譲ってくれよ。Dランクで金もある。金は倍払うぜ」
店主は考え込むように顎髭を触り、一度大きく鼻で息を吸う。
「ギラついた目ぇしてんな。危ないぜ、お前」
「冒険者なんて危なくてなんぼだろ」
「その通りだ。気に入ったぜ」
店主は眉を吊り上げて、書き換えた値札をレオンに突きつけた。
♢ ♢ ♢
レオンの腰に差さる、新品のマチェットが揺れ動く。やはりランクが上がるとキャラバンの者達は態度を一変させる。当たり前だ。誰だって金を持っている相手を選ぶ。信用性云々の問題が出てくるが、一度や二度ならまだ許してもらえるという考えが、キャラバン達の頭の中では出来上がっている。
ゆえにレオンは自分のランクを見せびらかし、普通の客には見せない商品を購入したり、先程のように、すでに予約済みの商品を掠め取る行為もした。
レオンの顔がサフィリアには知れ渡っているのもそれを後押しした。
あの誘拐事件解決に携わった冒険者なら、今後も活躍するし、贔屓にしてくれるだろう。
レオンにはキャラバンの考えが透けて見えるようであった。
完全に調子に乗っていると自覚しながらも、我が物顏で市場を練り歩き、気がつけば夜になっていた。酒を飲みながら歩いていたレオンは、いつのまにか西地区に来ていたことに気づく。
サフィリアは4地区に分けて特色がある。
北地区は裕福層が住む地区であり、並大抵の冒険者や一般人、キャラバンは入れない。面白いのは、亜人は出入り自由という点だ。ただ亜人が北地区を歩こうものなら、剥製にされるのがオチだろう。
東地区はレオンとアイリが住む一般人向けの区画だ。距離的な問題で、亜人もキャラバンも訪れない。祭りが開催される時に現れる程度だ。
南地区は正門と大通りがあり、サフィリアの特徴でもある、大勢のキャラバンによって市場が開かれる。初めてここを訪れた者は、その熱気に当てられ目眩を起こすと言われている。
そして最後は西地区だ。亜人街と呼ばれる、亜人達が多く住む場所を持つ区画である。厄介者を閉じ込めておく区画でもあるため、裏では「広い監獄」と揶揄されている。
西地区は一番治安が悪く、反面遊ぶ場所が一番多い。夜の西地区はキャラバンと荒くれ者の冒険者、亜人達が秘密の商売を営み、酒を飲んで騒ぎあっている。
そして道には大勢の女性が立っている。人間、亜人、時には紛れ込んだ魔族まで。全員が妖艶な姿に身を包み、果てには下着一枚の者までいる。そして皆が、誘うような視線を飛ばしている。
全員娼婦だ。風紀もへったくれもない、完全な自由とは西地区の夜に存在する。
昔から行きたいと思っていたレオンは娼婦達を眺める。せっかくランクも金も持ち合わせているのだから遊ぼうかと考える。
その時、アイリの顔がちらついた。
レオンは邪な気持ちを払うように頭を振る。
やめよう。ここに来るにはまだ早い。さっさと家に帰って寝て、明日アイリに謝ろう。そう思い踵を返した。
「あ、お兄さん!!」
突如右腕を引っ張られる。驚いて重みを感じる方を見ると、白い薄手のワンピース姿の女性が微笑んでいた。身長はレオンより若干低く、肌は白い。肉付きのいい体ををしている。目鼻立もくっきりしており美人だ。そして特徴的なのは、アイリを思い出させる金髪のローツインだった。
「お兄さん、遊ぼうよ!!」
「え!? いや、俺は……」
「ね? ストレス発散しよ。私、上手だよ?」
グイッと腕を引っ張られる。女性の乳房が二の腕に触れる。そしてレオンの頬に唇が触れる。弾力のあるその感触は、レオンの頭の中からアイリを消し去った。
「どう? 値段はそっちが決めていいから」
「……じゃ、じゃあ」
よろしくお願いします、と言いかけた時だった。女性の顔から笑顔が消え、だんだんと怯えるように表情を変え、顔が青くなっていく。
その目はレオンを見ていない。レオンの後ろを見ていた。視線の先を追うように首を動かすと、男が立っていた。茶髪でレオンよりも身長が少しだけ高い。体も鍛えていることが服の上からでもわかる。年齢は同じくらいだ。夜だというのに、爛々と輝く緑色の瞳はよく見える。
「カナン! お前、なにしてんだよ!」
怒りに染まる表情で男は近づいてくる。カナンと呼ばれた女性は短い悲鳴を上げて、レオンの後ろに隠れる。男はレオンの存在を気にも留めず、歯茎から血が出るのではないかと思うほど力強く歯を噛み締めながら、カナンに手を伸ばす。
「ち、ちょっと待ってくれ!」
ただならぬ雰囲気にレオンが割って入る。そこでようやく男がギロリとした目で睨む。
「カナン。こいつが浮気相手か」
「え?」
「カナンは俺の女だこの野郎!!」
「えぇ!!?」
拳が飛ぶ。レオンは驚いた声を上げてカナンごと後ろに下がる。
「落ち着けよ! 喧嘩はしたくねぇんだ!」
「……お前、冒険者か?」
「そうだけど?」
「待て。お前どこかで見たことがある。そうだ。雑誌に載っていたな」
しめた、とレオンは思った。これで相手は逃げ出すだろう。
「なんだ。Jランクの付属品かよ」
レオンの眉がピクリと動く。男は乾いた笑い声を上げてレオンを指差す。
「腕の立つ冒険者と一緒に行動して成り上がった寄生冒険者が。いいランクに上がったからカナンに手を出したってわけだ」
レオンが拳を握り、小さく震える。その変化に気づいたのはカナンだけだった。
「ったく。自分じゃ何もできない勘違い野郎が。調子に乗ってんじゃ」
瞬間、レオンの頭の中で、何かが切れる音がした。カナンの手を振り払い、相手に詰め寄ると拳を振り被る。
「この野郎!!」
裸拳が男の鼻っ柱にめり込む。男は血を吹き出し仰向けに倒れる。レオンは馬乗りになって男の顔をもう一度殴ると胸倉を掴む。
「もう一度言ってみやがれ!! えぇ!? 誰がパラサイトだ!?」
殴られた男は唾を吐いて顎をしゃくる。「お前だよ」というように。
レオンは荒い呼吸を繰り返しながら腰に差したマチェットの柄を握り、刃を見せびらかす。
「や、やめて!!」
カナンが悲痛な声を上げるがレオンの耳には届かない。腕を振り上げると、刀身が月光に照らされる。
「俺はお飾りなんかじゃねぇええ!!」
絶叫するように言葉を発すると同時にマチェットを振り下ろす。
カナンの悲鳴が、夜空に木霊した。




