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第70話『俺の名はゾディアック・ヴォルクス』

※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

「で、結果として……」

「はい! もうおしまいです! ケーキ作りますよ!!」

「あの時凄かったなぁ。ロゼが泣きながら敗北宣言して……」

「ぶっ飛ばしますよ」

「すいません」


 ”丁寧な”口調、ということは、そういうことだ。顔を背けてロゼは席を立ち上がる。一瞬だけ見えた頬は朱に染まっていた。

 ゾディアックは笑いをこらえながら雑誌を手に取るとロゼについていき、キッチンに立つ。


「よし、やりますか」

「サポートはお任せください!」


 楽し気な声が響く。それが料理開始の合図だった。


♢ ♢ ♢


 板チョコを取り出し銀紙の包装を破く。雑な破き方だったためロゼが呆れるが、ゾディアックは全く気にしない。

 透明なボウルの上でチョコレートを手で割り、ボウルに落としていく。パキ、パキという小気味いい音が鳴り続ける。立ち上る香りはそれほど甘さを感じない。


「これ、ミルクチョコレート?」

「いえいえ。ほろ苦なので、ちょっとカカオ分強めです」

「何パーセント?」

「70パーセントですね。90パーセント以上はただ苦いだけなので……」

「なるほど」


 会話しながらロゼは片手鍋に生クリームを投入する。そして、手の平を底に付けると魔法を発動しようとする。全身を駆け巡る魔力が右手に集まり手の平に集中していく。そして発動したのは炎系の魔法だった。一定の温度まで上げてそのまま待つと、生クリームがボコボコと音を立てて沸騰し始める。


 充分に温めると、ゾディアックもちょうどチョコレートを砕き終わっていた。

 火傷しないようロゼが注意を促すと一歩後ろに下がる。片手鍋を持ち上げ、チョコレートが入ったボウルに生クリームを注ぐと一気に湯気が立ち昇る。片手鍋を動かし、砕けたチョコレート全体にかかるよう満遍なくかけていく。


 次いで、ゾディアックがゴムベラを持って中の物をかき混ぜていく。冷凍保存して固くなっていたチョコレートが溶けていく。最初は白かった液体が茶色に染まっていく。


 水気が多かった液体がだんだんと重みを増し、滑らかになろうとしていた。

 その傍らで、ロゼはケーキ型の準備をしていた。18cmの型だ。2人で食べるには充分な大きさだろう。湯煎焼きをするため、水が中に入らないようにアルミホイルを巻く。


「これくらいかな」


 ゴムベラを持ち上げながら聞いてくるゾディアックに親指を立てる。滑らかさは充分だ。

 ゾディアックはいったんそれを放置し、空のボウルに卵を入れていく。最初の頃は殻を思いっきり砕いて台無しにすることが多かったが、今では手慣れたものだ。

 その後グラニュー糖なる物を入れていく。キャラバンから仕入れたらしい。砂糖でいいのではないか、とゾディアックは思うが、せっかくロゼが買ってきてくれたものを無駄にするわけにはいかない。


 70グラムの量を滝のように注いだ後は、再び泡立て器でかき混ぜる。電動式の泡立て器を購入したため労力を削減できる。ゾディアックは余裕の表情で材料を混ぜ続けた。

 泡が立ち上り、黄色から薄い白色になったところでかき混ぜるのを止める。泡立て器を持ち上げると、とろみがついているのがわかる。


「ばっちり。これ本当便利」

「ふふん。私が買って来たんです。褒めていいんですよ」

「偉いぞ、ロゼ。やっぱり有能だ」

「もっと言ってください!」


 頭を撫でると満足そうに嘆息する。

 ゾディアックは泡立てた卵をチョコレートが入るボウルに入れる。だが全部ではない。本には「2から3回に分けて入れるように」と書いてあったからだ。

 ゴムベラで混ぜ再び茶色に近い色になったところで、残った物を再度投入する。再び混ぜ合わせると、意外と重みを感じる。


「この時点で美味しそうだな」

「……飲みますか!?」

「そんな一発芸期待しているような目で見るな」

 

 ボウルのチョコレートが茶色になったのを確認し、型に流し入れる。トロトロとした液体が落ちていく。ボウルにのこった液体も残さず入れ、表面を平らにならす。


「一回、軽くテーブルに叩きつけてください。気泡を抜かなきゃいけないみたいなので」


 言われた通りに行い、次はロゼの番だ。キッチンプレートに水を少しだけ入れ、お湯にする。その上に型を置くとロゼが更に温度を上げる。


「オーブンとかいりませんから。見ていてください」


 にっこりと微笑み、温めていく。本来は150℃近い熱さで1時間ほど待たなければならないのだが、ロゼの巧みな魔術によって、まるで早送り映像のように記事が膨れ上がっていく。


 それが終わると型を置いて常温で冷ます。

 充分に冷めたところで、今度は氷系の魔法を使う。全開の時より魔力が強い。充分に冷やさなければ型から取り出す時に崩れてしまうからだ。

 一晩冷蔵しなければいけないのだが、ロゼにかかれば5分で充分だ。


「よし! これでいいでしょう。型から取り出しますよ!」

「ま、任せろ……」


 不安気な声を出すとタオルを敷いて、その上にケーキをひっくり返す。上手くいった。ぼろっと崩れてなければいいが。

 型を慎重に取り外すと、型崩れせずにケーキは綺麗な円形を描いていた。2人が喜びの声を上げる。底も取り外し、その上に皿を乗せて再びひっくり返す。


「お見事です! 見た目最高じゃないですか!」


 ロゼの言う通り、店に陳列されていても不思議ではない見た目のガトーショコラが完成した。


「早速食べよう!」

「はい!」


 食器を用意し、リビングのテーブルに持っていく。そして包丁を使って切り分けていく。

 スッと刃が入り崩れもしない。変に柔らかい部分もない。


 それを皿に盛り付け、上から粉砂糖をふって完成した。


「おー! できた!!」

「やりましたね! あ、ホイップクリームがあるんです。甘くしたければこれも使いましょう!」


 2人は向かい合って座り、目の前にあるケーキにフォークを通す。

 非常に崩れやすく、ぼろっと生地が零れるが、これはそういうものらしい。生チョコのような滑らかな口溶けの代わりに、熱に弱く崩れやすいガトーショコラ。

 

 それを口に運ぶ。

 ロゼが喜びの声を上げる。


「んー! 美味しい! 昔食べたのよりもこっちの方が美味しいです!」

「お店で売っても違和感ないね」

「これ副業にします? 金稼ぎましょう。Jランクの冒険者はお菓子作りの天才なんて、注目間違いなしです!」

「ゴスロリ美少女が丹精込めて作ったお菓子、の方が需要が……」

「え、いやです。私が手料理振舞うのはゾディアック様だけですから!」


 嬉しくなったゾディアックはケーキが刺さったフォークをロゼに向ける。

 互いに食べさせ合い、場所を移動してロゼを膝の上に乗せて食べさせ合ったりと、2人は幸せな時間を過ごした。


「でもさ、ロゼ」

「はい?」

「問題があるんだ」

「問題……はぁ。なんでしょう」

「……夕飯。どうしよっか」

「……あ」


 ロゼは絶句した。

 時刻は夕飯時。長話をしていたせいで、完全に時間のことを考慮していなかった。2人は見つめ合い、笑う。


「どうしましょうか」

「お腹減ったら何か作ろう」

「はい。ゾディアック様」


 ロゼが目を細めて微笑む。


「ゾディアック様」

「ん?」

「愛してます」


 目を開いたゾディアックはキスをされる。数秒ほど唇が重なり、再び見つめ合う。


「……俺もだよ」

「……むぅ。言ってください」

「愛してる」


 そう言って、今度はゾディアックからキスをした。

 ほろ苦く、それでいて甘ったるい味が、2人の間に広がった。


♢ ♢ ♢


 夜、ロゼは風呂を浴びた後自分の部屋に行き、月を眺めながら、紙パックに入ったある物を飲んでいた。

 魔物の血液である。ゾディアックと一緒にいるようになってから、人間と亜人の血は一切飲んでいない。血を飲まなくても特に禁断症状が現れたりはしないため、飲む必要もないのだが、やはり吸血鬼として生まれたからには血が恋しくなるのだ。そのため武具やアイテムを調合する際に使用する血液を、ゾディアックに頼んで持って帰ってきてもらい、自分用の飲料にしている。


 ゴクゴクと喉を鳴らしながら飲んでいく。淡白な味だったが嫌いではない。やはり人型の方が美味い。特に雄の方だ。

 空を見ると今日も月が綺麗だった。


「はぁ。幸せ」

『本当か?』

「はい。もちろ……」


 そこまで言って言葉を止めると、ゆっくりと後ろを向く。

 そこにはゾディアックの鎧を身に纏った人物が立っていた。その姿と声はゾディアックと瓜二つであった。ただ雰囲気だけは明らかに違う。


「どちら様でしょうか」


 暗黒騎士はその場から動かずロゼを見続けながら答える。


『俺の名はゾディアック・ヴォルクス。魔界を最初に統治した、魔王だ』


 魔王というワードに一度驚くが、ロゼはそれ以上の反応を見せなかった。

 普通であればホラ吹きだとあざ笑い、攻撃を仕掛けているところだが、その言動は噓をついているようには思えなかった。だが鵜呑みにするわけにもいかない。


「それはそれは。初代魔王様でございますか。それで、何の用でしょうか?」

『なに。昔話をしていただろう。懐かしくなって出てきたのさ』

「またご苦労なことで」

『あいつ……いや、俺が世話になっているようだな。礼を言うぞ、ローレンタリア。流石カルマ男爵とニルヴァーナの娘だな。あれは有能な部下だった』


 誰にも言ったことがない、自分の両親の名を知っている。ロゼの小さな疑問が消え失せ、確信へと変わった。


「本当に魔王なのか? お前が、いや、ゾディアックは」

『薄々感じていただろう。あれは人間の強さを逸脱しているからな』

「……なんで人間の、それも冒険者なんてやってるんだ。復活したのか転生したのか知らないが、魔界にでも行けばよかっただろう」

『同じ生き方をするものか。今度は人間の味方をすると誓ったのだ』

「誓い?」

『……なんでもない』


 どこか切なげな声でそう言うと、頭を振って再びロゼに向き直る。


『ローレンタリア。どうか俺を……いや、ゾディアックを支えてほしい。ずっと俺が一緒にいたのだが、お前に思いを告げてから、あいつは無意識的に俺を封じ込めてしまっている。何かあっても俺から助言をすることができない。だから』

「心配するな。私があいつから離れることなんてありえない」


 自信満々といった表情で胸を張る。


「安心しろ。私は身も心もあいつ一色に染まっているんだ。何があっても離れるもんか。お前との絆より、私との絆の方がよっぽど強い。だから……」

『安心した』


 鼻で笑う声が聞こえる。


『幸せなら……それでいいんだ』

「……お前、いったい」

『あの時はすまなかったな』

「あの時?」

『薄汚い、などと言って』

「ああ……もういい。気にしてないさ」


 ロゼの笑みを見て、相手も満足げに頷きを返した。


『む。いかんな。もう持続できなくなっている。さらばだ、ロゼ。できれば今度は、私の分もデザートを作っておいてくれ』


 冗談めかして言うと、ゾディアックは影に沈み込むように消え失せた。

 突然の出来事に上手く頭が回らない。ただ確実なことを拾うとするなら、あいつは敵ではないということだ。

 ずっと一緒にいた。彼は切なそうにそう言っていた。謎が多い人物だったが、魔王というのは嘘ではないのだろう。


「私は、とんでもない人を好きになったなぁ」


 自嘲気味に笑って再び月に目を向ける。

 それでもよかった。魔王に嫁げるなんて、父と母は泣いて喜ぶだろう。もう微かにしか思い出せない両親達に思いを馳せる。どこかで、この月を見ているのだろうか。


 その時、ドアが開く音がした。また出てきたのか、と思ったが、姿を見せたのは腹をさすりながら歩くゾディアックだった。


「ゾディアック様!? どうされましたか!?」

「ロゼー……」


 情けない声でロゼに近付き抱きしめる。


「お腹減った……」

「は」

「お腹、減って、痛い……」


 沈黙が流れ、吹き出してしまう。

 これが魔王だと。ただの大きな子供じゃないか。

 先程のゾディアックとの落差に、ロゼは大笑いしてしまう。


「笑うなよ! 結構真剣だぞ」

「あはは!! ごめんなさい、ゾディアック様! じゃあ何か作りましょう!」


 唇を尖らせるゾディアックを見上げて、ロゼは誓う。

 どんなことがあっても、最後までそばにいて支えるよ。


「ゾディアック様。お願いが」

「ん?」

「ごはん、食べ終わったら」


 一度息を吸う。


「一緒に寝てもいいですか?」


 ゾディアックは柔らかい笑みを浮かべて、ロゼを抱きしめる。


「もちろん」


 幸せな笑みを、両者は浮かべた。

 凄腕の暗黒騎士と、吸血鬼の女伯爵。

 2人の幸せな時間が流れ始める。いや、流れ続ける。


 なんとも優美な満月が2人を照らしていた。

 なんとも綺麗で優しい夜が、2人を祝福していた。




Dessert3 Finished!!

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