第68話「家が欲しい」
※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
ギルバニア王国を初めて見た時、宝石箱のような国だとロゼは思った。
そして今、サフィリア宝城都市を目の前にした時、頭に浮かんだ言葉は「宝石が路上にぶちまけられている国」だった。
良く言えば自由、悪く言えば統一感がない。道行く人々は、様々な人種が入り乱れ、全員が違う国の装いをしている。キャラバンの数が以上に多く、キャラバンでの移動販売が条約で禁止されているはずの、特危険級麻薬や、機巧の国の銃器類が当然の如く市場に並べられている。
奴隷や”亜人飼い”の取引も、公然と行われている。その傍らでは、自分達が開く店の場所取りで揉め事を起こしたキャラバン団体が、素手による喧嘩を始めようとしていた。
「警備隊とかいないのか? この国には」
ロゼは馬車の荷台から降り、後ろを見ずに行った。荷台にいた老人が、金細工の杖をつきながら大笑いする。
「警備隊はキャラバンのガードナー達やベテランの冒険者達が営んでおる。あとはもう争い事が起きても知らんわい。自己責任じゃ。あまりにも火遊びが過ぎると戦争みたいになるかもの」
「馬鹿じゃないのか」
「なぁに、心配ご無用。殺しまでは起こらんわい。連中も分別はしっかりしとる! この国は意外と治安がいいんじゃぞ」
先程の喧嘩は激しさを増していた。同時に周りにいた者達がギャラリーとなって、やれ「首を絞めろ」だの「ガード上げろ」だの「ボディ狙ってけ」だのはやし立てている。キャラバンガードナー達は干し肉を食いながらトトカルチョまで始めている始末だ。
恐ろしくルールがなく、全員の目がギラギラと輝いている。
ああ、そうかとロゼは納得した。街並みが宝石の様ではなく、ここにいる人々の目が宝石の様に輝いているのだ。だから第一印象でああいう風に思ったのだ。
「さて。馬車はここまでじゃな。ありがとうよ馭者さん」
「いえいえ。こちらこそっす」
後頭部を掻いて愛想笑いを浮かべる。老人は荷台から降り、背を向けて歩こうとした。しかし、何かに気づいたように目を開くと、再び馭者に向き直る。
「忘れ取ったわ。ほれ」
老人は金細工の杖を放り投げた。放物線を描いたそれを馭者は慌てて受け取る。
「え!?」
「代金じゃ。売ればひと月は「賭博の国」で豪遊出来るじゃろ」
馭者は感嘆の声を上げて、大声で礼を言った。老人は片手を上げて、今度こそ背を向けた。
荷台にいたゾディアックも降りる。荷台には、まだ母娘が残っていた。
怪我をした母親の方は傷も塞がっており、顔色もよくなっているが、不安な顔つきだった。娘も泣きそうな顔で母親の腕にしがみついている。
「あ、あの……大丈夫ですか?」
ゾディアックが安心させようと声を出すと、母親は慌てたように立ち上がって頭を下げると、娘の手を引いて走り出した。
荷台から降り、ゾディアックに布袋を握らせると、擦れ違う形で何処かに走り去っていく。布袋からは硬貨が擦れる音が聞こえる。どうやら代金らしい。
親子は雑踏に紛れ、既に見えなくなっていた。ゾディアックは布袋を握りしめ、馭者に話しかけようと口を開いた。
♢◆♢◆♢◆
「で? お主ら何の用でサフィリアに来たんじゃ?」
馭者と別れた後、老人は2人にそう聞いてきた。
ゾディアックは答えるのに一瞬迷う。が、咄嗟に口から言葉が出る。
「この街に、住もうと思って……この子と、一緒に」
ロゼがゾディアックを見つめる。老人がほぉ、と息を吐くと下顎を撫でる。
「旅人なのにサフィリアに腰を下ろそうというのか?」
「もう、旅は……終わりだ。ここが最後の地、みたいな……」
「なるほどのぉ。”流れ者の終着点”と呼ばれているだけはあるわい」
カラカラと笑う。心底楽しんでいるようであった。ゾディアックは不思議な心地よさを感じていた。
この老人の言葉は裏表がない。まるで本心をそのまま喋っているようだ。だから小気味良く言葉が入ってくる。
「よぅし! ちょいとついてこい」
「え?」
「なんじゃ? 他に用事があるんか?」
「いや……別に」
「なら儂の話に付き合え。年寄りの暇潰しじゃ」
そう言って返事も待たずに老人は歩き出す。その背中を見ながら、ロゼがゾディアックの腕を掴む。
「おい、ついていくつもりか。あの爺怪しいぞ」
「悪い人じゃない、と思うんだけど」
「だが嘘つきだ。見ろ。あの軽やかな足取り。杖なんていらなかったんだ。それに、代金の代わりに術式入りの杖をひょいと渡すか?」
確かに、とゾディアックは納得してしまう。高級な品をほいほいと渡してしまう老人に不信感を抱くのも当然だ。だが、だからこそ。
「……知るためにも行かないとな」
ロゼの手を握る。籠手の上からだったため、恋人繋ぎは出来ない。ロゼは呆れ顔で鼻を鳴らすと腕を絡めた。
♢◆♢◆♢◆
街のメインストリートを抜け細路地に入り、目的の場所に到着したのか、老人は腰に手を当てて建物を見上げる。全体が白塗りされた5階建ての建物だ。周りの建物と比べると、白過ぎるため嫌に目立つ。そして、建物の側面についてあったマークを見てゾディアックは得心する。
冒険者達の武器が、円形に並べられ描かれている黒いマーク。それは集会所を示す物だった。
老人は木製の扉を開けて中に入る。ゾディアック達もそれに続く。
中は荒れ果てていた。外観からは予想もつかないほど埃にまみれ、椅子やテーブルの残骸が散乱している。
「くぁー……荒れ放題じゃな。ったく。クソ冒険者共め」
ぐちぐちと文句を言いながら、まだ無事だった椅子に腰を降ろす。
「自己紹介が遅れたの。儂の名はエミーリォ・フォルスターク・カトレット」
胸元をまさぐりながらそう名乗った。何かを取り出そうとしているらしいが、目当ての物が見当たらないのか忙しなく右手を動かしている。
「しまった。馬車の中に落っこちたか? あの葉巻気に入っていたのにのぉ……」
「いいからさっさと要件を言え」
落胆するエミーリォにロゼがいう。エミーリォは探す手を止め2人を見る。
「まず言っておこう。儂はこの街の管理者じゃ。冒険者担当のな」
「……あなたが?」
「そうじゃ。冒険者の登録、管理を行い、”街の専属冒険者”や”ギルド作成”の許可、または推薦者を出す仕事よ。まぁ儂がくたばったら、娘に権利は譲ろうとしているんじゃが、あんたらのおかげで生き延びちまったからのぉ」
エミーリォは前のめりになる。
「黒いの。お主ここで冒険者として働かんか?」
「……」
「おおっと。断る前に聞きんしゃい。冒険者になった暁には、報酬も弾むし儂に出来ることならなんでも協力しよう。犯罪以外での。それと、お主らの素性は隠しておく。儂も聞かん。嫌になったらすぐに解雇して、謝礼金も払うぞ? どうじゃ。悪い話じゃなかろう」
思わずロゼが鼻で笑う。ゾディアックも同じ気持ちだった。
話がうますぎる。現状を見ればなんとなく冒険者になってほしいと言われることは察していたが、まさかそこまで手厚く迎えられるとは。
「何が目的だ?」
「む?」
「そこまで、俺らに至れり尽くせりなのは……どうしてだ。何か別の」
「お主が気に入った」
遮ってそう答える。
「不思議じゃの。見るからに高ランクの冒険者が、吸血鬼を恋人としているとは」
瞬間、ゾディアックの隣から気配が消える。止めようとしたが遅かった。
ロゼが一瞬で移動し、エミーリォの喉元に爪を突き立てた。
「ロゼ!!」
「黙ってろ! おい、爺。生い先短いその命、今ここで散らしてやろうか!!」
「威勢がいいのは結構じゃが、お嬢ちゃん。管理者の儂を殺すとこの街にもいられなくなるぞ? 話を聞け。儂はお主らの味方じゃ」
ロゼは歯嚙みしながら睨みつけ続ける。エミーリォは肩を竦め、ゾディアックに救いを求めるような視線を送る。
なぜロゼが吸血鬼だとわかったのか、エミーリォに問い質したかったが、それは今重要なことではない。ゾディアックは嘆息し、近づいていくと、ロゼの肩を掴んで引き離す。
「受けよう」
「ゾディアック!」
「その代わり。さっきまでの殊勝な態度は無しだ。俺はここで働くが、あんたにも働いてもらう。そして必ず約束を守れ」
「……破ったらどうなる?」
「恐ろしいことが待つ、とだけ言っておこう」
エミーリォはカラカラと笑う。
「お主、そっちが本性か? たどたどしい喋り方よりも随分と似合っているじゃないか」
「……返事を、聞かせろ」
「頼んでいたのは儂なのだがな。よし!! いいじゃろう! このエミーリォに、何でも申してみんしゃい!!」
ゾディアックは息を吐いて、言った。
「家が欲しい」
真剣な声は、荒れた室内に響き渡った。




