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第67話「腹ぁ括るかぁ」

※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

 先日の雨が影響して、地面の状況は最悪だった。泥濘(ぬかるみ)が酷く、馬車は牛歩の速度で悪路を進んでいる。曇天からは雨が降り注ぎ、地面と馬車全体を濡らしていく。まさに泣きっ面に蜂といった感じだ。


 馭者(ぎょしゃ)を務める男性は、車輪が泥に取られないよう、道を選択し移動し続ける。手綱を握る手に、いつも以上に力が込められていた。

 今日の乗客は、レインコートと呼ばれる灰色の雨具を身に着けた1名と、薄着の親子2人だった。母娘ともに金髪であり、虚ろな目をしている。可愛らしい顔には不釣り合いだ。

 奴隷か何かなのだろう。金を奪って死に物狂いで脱走してきたか、それとも主を殺したのか。


 深くは詮索しない。どうせ今日限りの客だ。ただ、雨具を身に着けた方は少しだけ気になっている。

 相手は初老の男性であり、足が悪いのか杖をついている。雨具から覗いたその杖は、金細工だった。つまりそれなりの金を持っている見込みがある。

 であれば、地下を通る土竜駆輪(もぐらくりん)か、雲の上を移動する飛竜(ひりゅう)を使えばいいのに。こんな時代遅れで貧乏人向けの馬車に乗る必要があるのだろうか。馭者は手綱を動かしながらそう思った。


 無事に目的地まで送り届けたら報酬が増えるだろうか。チップをくれるのにかけてみようか。まぁどうせくれないだろうが。


「やんなっちゃうなぁ」


 そう呟いて空を見る。灰色の空から、太陽の明かりは霞ほども差し込まない。他に見えるものといえば、雨と黒い点だけだ。

 馭者が眉を寄せる。一瞬、自分の目がおかしくなってしまったのかと思い、手綱から片手を離し目を擦る。だが、黒い点は消えず、むしろ大きくなっていた。


 ”それ”が何なのかわかると、馭者は慌てて手綱を引っ張る。

 だが、既に遅かった。空から発せられる奇声が耳を(つんざ)き、馬が驚き暴れだした。操作を受け付けず、その場で立ち往生してしまう。


「くそっ! 落ち着け!!」


 言葉など通じるはずもなく、馬は首と体を激しく降る。そこに、黒い影が落ちる。馭者はゆっくりと前を向いた。


 そこにいたのは、岩のような肌を雨で濡らし、柔らかさなど微塵も感じられない羽を動かし、鷲の頭をつけた鳥人がいた。それは亜人ではなく、魔物に分類されている”ガーゴイル”であった。


 大きさは成人男性と同じくらいだろうか。だとしたらまだ”子供”だ。大人になると4メートル近くの背丈を誇るようになる。だが、それがわかったところで、何も安心できない。人間など軽く引き千切れる力を持っているのだから。


 地図を確認しながら、なるべく悪路がない道を選んでいたのが裏目に出たか。舌打ちすると、立ち上がって腰に差したショートソードを引き抜き、切先を相手に向ける。恐らく時間稼ぎにしかならないだろう。魔法も使えなければ、大した剣術すら持ち合わせていないのだから。

 それでも客を逃がすために立ち向かわなければならない。馭者は声だけを後ろに向ける。


「お客人! この馬車から逃げて」


 直後、馬車の荷台が大きく揺れる。空から来たガーゴイルが、猛禽類のように鋭い足の爪を光らせて強襲してきた。それは荷台の屋根を破壊し、親子の、母親の両肩を鷲掴みにした。

 爪が両肩に食い込み、鮮血が噴き出る。恐怖に引きつった悲鳴が響き渡り、ガーゴイルがそれを持ち上げようと羽を忙しなく動かしている。


「おかあさん!!」


 娘が叫ぶと、別のガーゴイルが降りてくる。その衝撃のせいで馬車が大きく揺れ、外にいた馭者はバランスを崩し、地面に背中から落ちてしまう。泥水が跳ね視界が揺らぐ。

 上体をなんとか起こすと、既にガーゴイルが傍らに立って、片足を上げていた。


 ダメだ。死ぬ。目を見開いたまま、死の覚悟を決める。


 その時だった。何かが爆ぜる音が荷台から発せられた。

 足を上げていたガーゴイルの目線が荷台に向けられ、大きな音だったせいか慌てて上空に避難する。馭者もつられるように目を向けると、初老の男性が金細工の杖を両手で持ち、石突の部分を、母親を連れ去ろうとしていたガーゴイルに向けていた。石突からは煙が噴き出ている。


 仕込み魔法だ。あの杖に術式が描いてあり、魔力を注げば魔法が放たれる仕組みになっているのであろう。母親を連れ去ろうとしたガーゴイルは突然の衝撃と魔法に驚き、奇声を発している。


「効果なしかい。仕方ないのぉ。腹ぁ(くく)るかぁ」


 どこか楽しげな声はハッキリと聞こえた。顔がくしゃっと歪んでいる。

 状況は好転していない。このままでは全滅してしまう。空にいたガーゴイルが鋭い(くちばし)を向けていた。


 瞬間、雷の到来を告げる閃光が走る。

 世界が白くなったが、馭者はその眩しさを感じず目を見開いた。

 ガーゴイルの背後に、黒い大きな、武器を構えた人影が見えたからだ。


 雷鳴が轟いた瞬間、ガーゴイルの上半身と下半身が分離した。上半身はきりもみ回転しながら飛んでいき、泥水の中に突っ伏した。


 一瞬何が起きたのかわからなかった。馭者は目を見開いたまま、目の前に着地した人物に視線を注ぐ。一瞬新手の魔物かと勘違いしてしまうほどの、禍々しい黒い鎧を纏っていた。さらに右手には、身の丈程の大剣を持っている。おまけに体躯は大きく威圧感も凄まじい。

 それを理解すると、頭の中にある言葉が思い浮かび、口から発せられた。


「……冒険者……?」


 魔物と戦う、勇気ある者達の総称を呟くと、黒の騎士は荷台の方を見る。馭者も慌てて荷台を見る。まだガーゴイルがいたはずだった。

 だが荷台から出てきたのは、黒いドレスを身に着けた金髪の美少女だった。赤い目が輝いており、不気味さすら感じた。


「あーもう! うざったい!」


 悪態をつきながら、少女は空に目を向ける。


「ガーゴイルなんて雑魚、私ひとりで充分だった!」

「……そう言うなよ。全部倒したのか?」

「ああ。全員一纏めにしたあと、圧殺(フォール)でぶっ潰してやった」


 つまらなそうにそう呟く。雨が金色の髪を濡らし、地面に落ちていく。

 黒い騎士は武器を背負うと、馭者に手を差し伸べる。


「……大丈夫、ですか」

「え? あ、ああ……」


 そう言って手を掴むと一気に引き起こされる。


「助かったよ。ありがとう。強いんだな、あんたら」

「……いえ、別に」


 小さな声でそう言う騎士を見て、馭者は疑問に思う。なぜ冒険者が、それも相当腕が立ちそうな者が、こんな辺鄙な地にいるのか。というより、連れの少女は本当に冒険者なのかどうかも怪しい。あんな恰好をしている冒険者など、見たこともない。


「あんたら何でこんなところにいるんだ」

「……えっと」

「私から話す」


 言い淀んでいた男に変わって、少女が割り込んでくる。


「私達は旅人でね。サフィリア宝城都市に向かっている途中なんだ。で、お前らが襲われているのを見かけたから助けた。以上。じゃあな」


 そう言ってまくし立てると踵を返そうとする。


「おい! お主らサフィリアに行くんか!」


 その背中に声をかけたのは、荷台にいた老人だった。黒い騎士と黒い少女が足を止め、老人の方を見る。


「だとしたらなんだ」

(わし)も行く途中なんじゃよ。この馬車はサフィリアが最終目的地じゃ」


 老人にしては生えそろった白い歯を見せる。


「どうじゃろ? この馬車に乗って、共にサフィリアに行かんか? 腕に覚えがありそうじゃし、護衛も兼ねての」

「助けた礼もなしに護衛しろだと? 傲慢な爺だな」

「サフィリアに着いたら礼は弾むぞ。どうじゃ」


 金髪の少女は濡れた前髪をかき揚げ、騎士に目を向ける。最終的な決断は黒騎士に任せているらしい。

 騎士は一度頷く。


「護衛をしよう」

「おお! 話がわかるのぉ!」

「礼も……別にいらない」

「おい」


 少女が声を荒げそうになるが、頭を振って呆れたように肩を竦める。


「礼、いらんのか?」

「……人を助けただけだ。これは、その、正式な依頼じゃないから……」


 騎士はたどたどしい口調でそういう。見た目に反して、なんとも内向的な喋り方だった。

 老人は、感嘆の溜息を吐いて手招きする。


「殊勝な心掛けじゃな、今時珍しい冒険者じゃ。気に入った! 馬車入り!」

「……そ、その前に、怪我をした人を」

「私が見るから」


 金髪の少女はいち早く荷台に乗って、母親に寄る。

 馭者の許可なく護衛という名の乗客が増えた。だが、これで安心になったのは違いない。


 感謝の意味も込めて、無料で送り届けよう。そう思って抜きっぱなしだったショートソードを鞘に収める。

 いつの間にか雨が止み、薄暗い雲から太陽が姿を見せ始めていた。

 


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