第66話「では、ご機嫌よう」
※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
太陽の明かりが、ギルバニアの街並みを彩り、幻想的な雰囲気を醸し出す。リリウムはその景色を楽しみながら歩いていく。肩で風を切っているとまでは言わないが、威風堂々とした足取りは、道行く人が自然と道を譲ってしまうほどである。
すれ違う人々は、リリウムに頭を下げるか、畏怖の眼差しを向けていた。
騎士団の副団長を務め、おまけにD.E.C.Kという特殊かつ危険な力を持っているリリウムは、頼りになる存在と認識されている反面、魔物以上に危険な存在であるとも、人々から認識されている。
様々な思いが込められている視線を感じつつ、関係者以外は立ち入れない敷地内に入っていき、ある場所にたどり着く。
見てくれはただの宿屋。だが、中身は全く別物である。ここは、犯罪者を閉じ込める収容所なのだ。
中には特殊な魔法陣が描かれており、空間が別の場所に繋がっている。その場所とは、ギルバニア王国の地下300メートルに存在する監獄だ。幾重にも張り巡らされた罠の数々と、特殊な訓練を積んだ看守達が、常に監視をしている。
魔法陣を通り抜けることができ、宿屋の扉を開けることができるのは、騎士団に所属する一部の人間と、出所する者だけだ。
リリウムは鍵を魔法で作り出し、鍵穴に差し込もうとする。
その時だった。扉が音を立てて内側に開いた。そして、中から酷くやつれた様子の女性が出てくる。頬がこけており、顔色は青い。髪は伸びきり白髪混じりだ。突然の眩しい光を浴びたせいか、眩しそうに目を細め、目元を腕で隠している。
そして、リリウムの姿を見た瞬間、小さい悲鳴を上げる。
「こんにちは。それとも、”2年ぶりですね”、の方がいいですかね?」
「あ……あう……」
上手く喋れないのだろう。口をあわあわとさせ、まるで子供のように落ち着かない様子を見せている。
「あなたが恨んでいた暗黒騎士の力によって、あなたは解放されました。おめでとうございます」
「……」
「これからは自由です。ですが、ギルバニアに住むためには市民権が必要です。冒険者の権限を剥奪されたあなたは、もう一度権利を取得するためにテストを受ける必要があります。全て自腹です。こちらからはサポートいたしません。今すぐ国を出て、田舎の村に引っ越して生きていくのがベストだと、私からアドバイスをしておきましょう」
「な、なんで……」
「はい?」
掠れた呼吸音を繰り返しながら、女性はゆっくり喋り始める。
「何で、私を、解放したの?」
「解放したのは私ではなく暗黒騎士、ゾディアックです。理由はわかりません」
そうそう、と付け足す。
「あなたが何かしら問題を起こした場合、ゾディアックの冒険者としての権利は剥奪されます」
「え……?」
「それは”この国で問題を起こした場合のみ”適用されます。まだ、相手を恨んでいるなら、暴れるといいでしょう。ですが、それをした場合はお覚悟を」
心の中を覗き見るように、瞳を合わせる。
「騎士団が全力でお相手いたします。では、ご機嫌よう」
そう言って踵を返す。
自分の仕事は終わりだ。これ以上あの女性と関わることはない。それよりもゾディアックだ。まさかこの国に来ているとは。フォールンには既に連絡を入れているため、街中の警戒を強めておくよう、リリウムは指示を出していた。
「まったく。何を考えているか、わからない騎士ですね」
呆れるような笑みを浮かべて、リリウムはその場から去っていった。
静寂の中、女性はしばらく呆然としていたが、陽の光を浴びた途端、まるで糸が切れたように泣き出した。
目尻に浮かんだ大粒の涙が頬を伝い、地面を濡らす。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
本当は逆恨みであったことも気づいていた。なのに、止まらなかった。酷いことをたくさん言った。
なのにあの騎士は、自分を助けてくれた。
槍使いの女性は、これからどう生きるかを考えるよりも先に、どこにいるかもわからない暗黒騎士に届くよう、空に向かって謝罪と礼の言葉を述べ続けた。
♢◆♢◆♢◆
茶色の壁と赤い屋根、その店は小洒落た雰囲気を纏っていた。屋根の上に掲げられている看板には「ブルーローズ」と書かれてある。
その店は、国内外で人気を博している有名なケーキ屋だった。この店で作られているケーキを食べたいがために、毎日様々な者達が訪れる。下級層の有名な観光地として宣伝されていることも多い。
何ヶ月も前に予約をしておかなければ、入ることすら叶わない人気店であるこの店に、ゾディアックとロゼはいた。落ち着いた雰囲気の店内、その奥のテーブル席に腰を下ろしていた。
ロゼはいつもの黒ゴシックドレス、ゾディアックは人間の服を着ていた。本人は変装をしているつもりである。
ガトーショコラにフォークを突き刺すと、生地が緩み、弾力を見せる。一切れ持ち上げると、ロゼはそれを口に運ぶ。口の中にほろ苦さと、優しい甘さが広がる。一口噛み締めるたびに、彼女の頬は緩んでいた。
魔物や人間の血肉を主食としていたため、ロゼは甘い物を食べたことが片手で数えられる程しかない。そんな中出会ったガトーショコラは、彼女にとって未知の食べ物だった。それを愛しい人と共に食せるなど、なんと贅沢なことか。
目線を前に向け、ちらとゾディアックを見つめる。甘い物がそれほど得意ではないと言っていたが、舌鼓を打っているようだ。大柄な風体と可愛らしいデザートはまったく似合ってないが、妙な可愛さはあった。
「美味しいな、これ」
「本当に。こういうのは久しぶりに食べたから、余計にそう思うよ」
「私なんて何百年ぶりだろう……」
ロゼは楽しそうに最後の一切れを頬張る。対し、ゾディアックはまだ半分ほどしか食べていない。
ふぅと一息つくと、ゾディアックは店内を見渡す。
「すんなりと入れてよかった。俺達を見ても、誰も気にしていないようだ」
「モナに感謝しないとな」
朝、出立する時、モナに今までの礼をすると、記念にとある物を手渡された。それはこの店の招待券だった。なぜこんなものを持っているのか聞くと、
「いい女は秘密が多いの」
と言われた。
モナが何者なのか気になったが、渡りに船だったため、遠慮なく招待券を受け取り現在に至る。障害もなく入国でき、冒険者どころか市民権すらないロゼでさえ、姿を隠す必要もなく入れてしまった。
「節穴じゃないか? この国の騎士」
「……もしくは、下級層くらいだったら事件が起きてもまぁいいか、とでも思っているのかもな」
適当に言ったが、ゾディアックはいやに納得してしまった。下級層は寄せ集めたような住民達で溢れかえっている。移民がいないとはいえ、数は多い。警備を厳重にしていたら、人件費がかかりすぎるのかもしれない。
そこまで思うと頭を振ってフォークを動かし、ケーキを食べる。
「正直、ここに来るって言った時は驚いたぞ。狂ったのかと思った」
「……なら待っていればよかったのに」
「馬鹿。お前のそばにいた……もう一度この街を見たかっただけさ」
くつくつとゾディアックは笑う。ロゼはそれを睨みつけた。
「で? なんであの槍使いを解放したんだ?」
「償いかな?」
「あいつの仲間が死んだことを気にしているのか? 言っておくが、あれはお前のせいじゃないぞ」
「でも、相手が言っていたことも間違いじゃあない。俺がもう少し早く来ていれば、未来は変わっていた。だから、その償い」
呆れたようにロゼは嘆息を漏らすと、頬杖をつく。
「難儀な性格しているなぁ、こいつ」
バツが悪そうにゾディアックはケーキを切って口に運ぶ。
「……悪いな」
「本当だよ。一緒にいると苦労が多そうだ。あーあ。私以外じゃ誰も好きにならないだろうなぁ」
ロゼは呆けたような顔を向けるゾディアックに微笑む。
「感謝しろよ」
ゾディアックの頬が緩む。
「ああ。ありがとう。大好きだよ、ロゼ」
「ばっ!! ……ああ、もう。なんでそうサラッといえるのかなぁ」
誤魔化すようにもみあげを触って視線を逸らす。
「それで? 次はどこに行くんだ?」
「とりあえずギルバニアからは離れた場所がいいな。いくつか候補がある」
「教えろよ」
ゾディアックはオーディファル大陸内に存在する、候補となる国々の名を述べていく。特徴も踏まえ説明していくと、ある都市の名を聞いた時、ロゼが眉を動かした。
「サフィリア宝城都市か。父様と母様が旅行かなんかで行ったと聞いたな」
「ここにするか? ギルバニアからは離れているし、キャラバンが多く訪れるから、余所者も受け入れてくれるだろ」
「決めた。そこに行こう。居心地良さそうなら住んでしまおう」
「早いな、決断」
「こういうのは即決即行動だ。さっさと行くぞ!」
見たことのない景色が待っている、あの古びた城とは違う場所に住み、全く新しい世界が待っている。
ロゼはそれに心を躍らせ、興奮している様子を隠せないようだった。
「ああ。一緒に行こう」
騎士団が来る前に出発しようと思い、最後の一切れを口に入れ込むと、ゾディアックは席を立ち上がった。
♢◆♢◆♢◆
ゾディアック達が店から出てから30分は経ったらしい。店員から話を聞いたリリウムは、店の外に出る。
すると、懐かしい顔と出会った。
「よう」
シルクハットの鍔を掴んで軽い挨拶をする、奇術師のような恰好をした男を見て、リリウムは鼻を鳴らした。
「ご無沙汰ですね、師匠。麒麟……奥さんは?」
「よせよ。あいつはまた家庭ほっぽり出して山ごもりさ」
「そうですか」
「面白い奴だったぜ。暗黒騎士のゾディアック・ヴォルクスは」
「……師匠から見て、どうでしたか? あの騎士は」
「危険じゃない。けど簡単に覆る。印象派そんな感じだ」
リリウムは踵を返して歩き出す。
「いいのかよ。追わなくて」
背中に声をかけられたため、足を止めて相手を見ずに答える。
「いいですよ。どうしてかわかりませんが、また会える気がするので」
振り返り、頭を下げる。
「それでは、師匠。失礼します。お酒飲み過ぎて、落ちぶれないようにしてくださいね。では、ご機嫌よう」
そう言うと、再び背を向け歩き出す。
師であるアスクレピオスは、ハットをかぶり直し、リリウムの背中を見送りながら口元を歪める。
「落ちぶれる……ねぇ。そっくりそのまま返すぜ、馬鹿弟子」
そう言って背を向け歩き出す。
蛇のような眼光をしたアスクレピオスの目線に、リリウムは気づく様子を見せなかった。




