第55話「殺すぞ」
※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
音が聞こえなくなっていた。
度重なる攻撃によって生じられた轟音のせいで、聴力が麻痺していることを自覚する。
自分の心音が、いやに大きく聞こえていた。
体の節々が痛む。しこたま殴られたせいで、上等な装備を身に纏っていてもダメージは大きいらしい。
それでもゾディアックは兜の下で笑っていた。
ロゼのことを守るためなら、これくらいなんのことはない。
10分は経過しただろう。充分に時間は稼げた。
ゾディアックは落ち着くように息を吐き出すと、次の行動に移り始める。
♢◆♢◆♢◆
「な、何なんだよ、こいつ……!!」
ハイエナ達は狼狽していた。
無抵抗の相手に対し休む間も与えず、武器を力任せに振り下ろし続け、魔法まで使用しているにも関わらず、相手は死ぬどころか倒れもしなかった。
防具を纏っているとはいえ、普通であれば気絶していてもおかしくはない。
ただ攻撃を受け続け、呻き声ひとつ漏らさない黒い騎士の姿は、不気味という他ない。
まるで怒りを堪えているようにも見える。
ハイエナのリーダーである金髪の男は、武器を握る手が震え始めていた。
「どうした……」
低い声が、まるで冷たい刃の如く周囲に響き渡る。
ゾディアックがゆっくりと動き始める。鎧が擦れる音がハイエナ達の恐怖心を煽る。
周りを囲み武器を持っている、絶対的優位に立っているにも関わらず、ハイエナ達は後退りする。
追い詰められているのはハイエナ達だった。
この騎士は殺せない。これ以上痛めつけると、どうなるか分からない。本能がそう告げていた。
「もう終わりか? 俺はまだ、立っているぞ」
兜の死で繰り返される荒い呼吸音は、獣の唸り声だ。
「う、うるせえ!!」
リーダーが声を荒げる。だが虚勢であることは目に見えていた。
ハイエナのひとりがそれを尻目に、城の入口まで接近していた。
わざわざ相手をする必要もない。宝だけを求めているハイエナは扉に手を伸ばす。
だが、瞬きをした時だった。
目の前に黒い影が立ちはだかり、行く手を阻んだ。
「何処に行く。相手は俺だろう」
ハイエナは短い悲鳴を上げ踵を返し、わたわたと四肢を動かして逃げるように距離を置く。
「お、おい、どうするよ」
「お前行けよ。高ランク嫌いなんだろ?」
「いや、ふざけんな! 俺に押し付けんじゃねぇよ!」
いつもは我先にと手柄を奪い取るために動き出す連中が、今は手柄を押し付け合い動かんとしていた。そこにあるのは仲間同士の絆ではなく、恐怖から逃れたいという無様な懇願であった。
慌てふためく仲間の様子を見て、リーダーが視線を配りながら檄を飛ばす。
「お前ら落ち着け! 相手は何もしてこねぇ!!」
「何もしてこねぇけど、俺らだって何も出来てねぇじゃねぇか!」
「文句言ってんじゃねぇ!!」
ハイエナ達は騒ぎ出す。仲間割れの空気になるとゾディアックが動き出す。
「おい!! お前達!」
ゾディアックの声が響き、沈黙が流れる。
痛む右腕を動かし鞄をまさぐると、中から宝玉と数枚の金貨を出す。
ハイエナ達の目の色が変わる。
「正直に言おう。このまま攻撃を続けてもいい。だが、お前達と俺とでは実力に天地の差がある。年を超えるまで殴っていても死なない」
手に握ったそれらを落とす。
金貨が音を立てて跳ねる。
「そこでだ、これと、魔物の死体で手打ちにしないか」
ハイエナ達は顔を見合わせる。それと共に不愉快な耳鳴りが大きくなり、ゾディアックは舌打ちした。
「察しが悪いぞ。さっさと失せろ」
「あ、ああ!? 何粋がってんだ! 俺らに手は」
「出せない。だがもうランクが剥奪されてもいいと思ってきた。お前達が騒ぎすぎて、頭に来ているんだよ。これじゃあ償いにならない。だから……さっさと失せろ」
ゾディアックは殺意を瞳に籠め、リーダーを睨みつける。
「殺すぞ」
誰かが短い悲鳴を上げた。
リーダーは歯嚙みすると、近くにいた仲間に怒号を飛ばす。
「拾え!! さっさと行け!!」
「わ、わかった!」
子分の男はそそくさとゾディアックの足元に散らばる素材を集める。
その間に他の連中は馬に跨っていた。
「おい」
ゾディアックが子分にある物を手渡す。
「忘れ物だ」
そう言ってインプの死体を渡す。
子分は無言で、涙目で頷いてそそくさと逃げ去っていった。
辺りが静寂に包まれる。
ゾディアックは安堵の溜息をこぼし、その場に座りこんだ。
周りには誰もいない。待っているよう頼んだ白馬もいなくなっていた。
ロゼも、もういない。
そう思った瞬間、冷たい風が、ゾディアックの鎧を撫でた。
♢◆♢◆♢◆
またこの城に冒険者が来るかも分からない。そのため村に帰る訳にはいかない。
ゾディアックは門の前で防具も外さず座り込んでいた。
既に夕陽は落ち、辺りは暗くなっている。空には星が浮かんでおり、曇り空がなくなっていたことを示していた。
いや、正確には月だけに陰りが差していた。
雲に隠れ微かに見える朧月を眺めながら、ゾディアックは静寂に身を委ねていた。
「ロゼ……」
体中が痛み始めた。命に別状はないだろうし、明日には治っている。というより、治癒魔法を使えば一瞬で消え去ることのできる痛みだ。
だがこれは償いの証でもある。
「ロゼ……」
今更ここを守って何の意味があるのだろう。
財宝やらはないだろうし、誰もいない古城を守る意味がどこにあるのだろう。
一瞬そう思ったが、ゾディアックは考えを改める。
意味はある。ロゼの帰る場所を、守るのだ。
「……ロゼ」
愛しい人の名を呟く。
もう会えないのかもしれない。
生きていれば会えるだろうと楽観的な考えは一瞬で消える。
今すぐ会いたいのだ。
恋という感情をゾディアックは知らなかった。
今思うことは、その感情を一生知らなければよかったと思っている。
こんなに、苦しいのだから。
「ロゼ」
壊れかけた耳に、夜の風と静寂は優しかった。
まるで世界でたったひとりになった気分だった。
その瞬間、急激な眠気に襲われたゾディアックは、瞼を閉じようとする。
足音が近づいてくる。これは蹄の音。
冒険者が来たのかと思うと、ゾディアックは眠気を吹き飛ばし剣を持って立ち上がる。
遠くからランタンの明かりが見える。数は2。遅くもなく速くもないその動きを凝視する。
やがて馬の姿が見えると、ゾディアックは目を疑った。
それはゾディアックを古城まで乗せていった白馬だった。その馬はゾディアックの前まで来て、鼻を鳴らして足を止める。
馬に跨っていた男が野太い声を発する。
「よう、寝坊騎士」
宿屋でゾディアックをからかっていた黒魔道士が、そう言って片手を上げた。




