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第49話「私の……負けだから……来ないでくれ……」

※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

 自分の中に、もうひとり、自分がいる。

 気が狂っているわけではない。本当にいるのだ。


 ”そいつ”は時折、他人のように話しかけてくる。決まって夜だ。

 いくら部屋を明るくしても、そしつが現れると蛍光雷虫の活動が著しく低下し、発光しなくなってしまう。外で出てくるときも、月がよく見える日に出現する。


 別に話すのは苦じゃない。どちらかというと友人のような存在だ。

 そいつは自分だから、別に怖くはない。

 最初の頃はそう思っていた。


 しかし、怖いと思う時が増え続けている。何かこちらに不都合があると、すぐに暴力的で、暴走しているような考えを訴えてくる。その発言に罪悪感というものは微塵も感じられない。


 そいつは自分なんだ。

 自分同士で会話している。鏡の映る自分と会話している。それは理解している。

 だからこそ分かったんだ。


 そいつは俺の悪の部分を具現化したものなんだってことが。

 じゃあ、自分はどんな存在なんだ。

 鏡に”映っている”のは、いったいどっちなんだろうか。


 恐ろしいのは自分同士で会話をしている事じゃあない。

 恐ろしいのは、そいつは自分じゃないと、思い始めていることだ。


♢◆♢◆♢◆


 これで5回目の戦闘だ。だが、まるで気分は高揚しない。


 魔力を充填した大剣が爪とかち合う。

 以前までは拮抗していたが、今では圧倒的な力量差が爪から全身に伝わる。

 歯を食いしばって堪えようとするも、無駄な努力に終わり、甲高い音と共に弾き飛ばされた。重力を失い体が浮くと、急激に後ろに引っ張られる感覚に襲われる。


 引っ張る力は異常な程の力を発揮し、背中が木に叩きつけられた。受け流せなかった攻撃のエネルギーが全て伝わってくる。


「かっ……!!」


 突然の衝撃に息が詰まり、何とか両足で踏ん張るもバランスが崩れてしまう。

 顔を上げると、黒い大剣の切先が迫っていた。


 必死の形相でロゼが膝を折ると、すぐ上に大剣が通る。

 同時に木々が爆発し、霧散する。爆発の衝撃波で体が軽いロゼはゴロゴロと地面を転がる。道端の石ころのように。


 強化魔法(ヴォルテックス)すら使っていない今の状態でゾディアックと戦うのは無理だと判断し、離脱を試みるために顔を上げる。


 その瞬間、腹部に衝撃が走った。何をされたか分からなかったが、再びロゼの体は吹き飛び木々に叩きつけられる。

 前後から急激な痛みが走り、蹲って声を押し殺す。本当は叫びたいほど痛かったが、吸血鬼のプライドがそれを許さなかった。そして何をされたか理解した。蹴られたのだ。


 道端の、石ころのように。


 荒い呼吸を繰り返しながら立ち上がろうとすると、風を感じる。

 横に目を向けると、大剣の腹が迫っていた。

 もう飛んでも伏せても交わせない距離と速さだったため、ロゼは両手でそれを防ごうと横に構え、衝撃に備える。


 その一撃は、フェイントだった。

 視線と全身が大剣に向いていたため、ゾディアックを捕らえていなかった。

 バチン、と体が痺れる。破雷(ブリークス)だ。相手を拘束するための雷魔法をまともに受け、ロゼは体が痺れて動けなくなった。防御のために上げていた両腕が、だらんと下がる。


 そして大剣が当たる。剣から魔力が放射され、炙る様にロゼの体に密着し熱を伝え続ける。次いで衝撃が重なり、右半身が潰れる感覚に襲われると、ロゼの目の前が真っ暗になった。


 戦えない。

 今目の前にいる暗黒騎士は、ゾディアックだが、ゾディアックじゃないから。


♢◆♢◆♢◆


 雨が降ってきた。雷の音が聞こえ、豪雨の気配がする。


『いいぞ、ゾディアック。やれ』


 すぐ後ろから声が聞こえてくる。


「……もういいだろ」

『駄目だ。やれ』


 剣を振り終えると、吹き飛んで地面に突っ伏す”吸血鬼”が目に入る。


「もう、動けないだろ」

『駄目だ。まだ立ち上がるぞ。賭けるか? 立ち上がらなかったら剣を収めればいい。だが逆は痛めつけろ』


 呻き声を上げながら、吸血鬼が立ち上がろうとする。

 立つな、と言いたかったが、何故か言えない。何故だろうか考えている間に、立ち上がり切ってしまった。

 伸ばされた手は、制止を呼びかけている。


「は、話を……」


 顔が泥と血で塗れてよく見えない。


『動けないようにしろ。それで話は出来るようになる』

「……いやだ」

『はぁ……』


 意志とは関係なく、体が動く。逃げろと口から声を出したいのに出せない。

 大剣が容赦なく振られる。吸血鬼は紙吹雪のように吹き飛び、木に叩きつけられると、ズルズルと下がり尻餅をつく。

 正面に一瞬で移動すると、更に追撃する。両腕を上げて何とか防ごうとする吸血鬼に、容赦なく大剣が振り下ろされていく。金属と金属がぶつかり合う音と、肉が切れる感覚が伝わってくる。


「は……はな、し……」


 一刃が吸血鬼の頭に当たる。

 血が噴き出し、金色の髪を赤く染める。


『中々死なないな』

「や、やめろ」

『お前は俺だろう。俺はお前だ。やめたいならやめればいい。やめてないのはお前の意思だ』


 鎧に雨が当たる音が、いやに大きく聞こえる。


「もういい……」

『そろそろ止めか?』


 悲痛な声が聞こえてくる。女の子の声だ。

 知っている。その声を知っている。

 だから名前を叫ぼうと、声を出した。




「薄汚い吸血鬼が」




 雷鳴が、轟いた。


♢◆♢◆♢◆


 勝ち負けというものにこだわっていたが、今この瞬間死への恐怖というものを思い出してしまった。相手がゾディアックじゃなければ、こんな気持ちを思い出す訳なかったのに。


 木を背にし、何とか攻撃を防ぐことだけに集中していたのだが、先程聞こえた声と言葉に、とうとう何も考えられなくなってしまった。

 明らかに違う声色。目の前にいる人物を知っているのに、知らない誰かが喋っているようであった。


 しばらくしても攻撃が来ない。泥の上に座っているロゼが、ゆっくりと両腕を下げる。

 同時に、ゾディアックが持つ大剣の切先が、地面に向けられる。


 沈黙が包み込み、雨音が大きくなっていく。

 そして、その重苦しい空気が終わりにしようとするように、ゾディアックが大剣を離す。

 漆黒の剣は大きな雨音を立てて、地面に転がった。泥水が跳ねる。


「……ロゼ」


 ああ、よかった。声色が戻っている。

 ようやく聞きたかった声が聞けた。だけど、少し遅かった。


♢◆♢◆♢◆


 視界が少しだけクリアになると、目に飛び込んできたその光景に目を疑った。

 信じたくなかった。

 目の前にいる”ロゼ”は、体中傷だらけで、服が裂けており、白い肌が真っ赤に染まっていた。顔は下を向いているため見えないが、暗がりでもよく見えていた金髪が、一部を除いて赤髪になっている。


「……気持ち、よかったか」


 何と声をかけていいのか分からないところに、そう聞かれた。


「え?」

「薄汚い、吸血鬼を……潰せそうで、よかっただろ」


 ロゼの言葉には、明らかに覇気がなかった。あの自信満々な声色は、見る影もない。明らかに何かを恐れている。

 何か? ゾディアックを恐れている。


「ロ、ロゼ」

「来るな!!」


 何とか話をしようとしたゾディアックだったが、足を止め、伸ばしかけた手が行く先を見失い空を動く。


「……もういい。もう……」


 ロゼが顔を上げる。


「私の……負けだから……来ないでくれ……」


 顔が、あんなに綺麗で、愛しいと思っていた顔が、血に塗れていた。微かに見える瞳からは涙が零れ落ちている。


 ゾディアックは放心状態になり、何も言えず一歩、二歩と後ろに下がる。

 それを見ると、ロゼは素早く立ち上がり、跳躍。空に一気に飛び上がると城の方へと飛び去って行った。


 雨はとどまることを知らず勢いを増していく。

 しばらく、ゾディアックは鎧を雨で濡らし続けた。

 何も考えられなかった。何かに思考を切り替えなければならなかった。


 ゆっくりと視線を動かし、既に息絶えた4人の冒険者を見つけると、それに向かって歩を進めた。

 地面に落ちた大剣の、刀身に染みついた血が流れていく。血は風と水に乗って、城の方へと向かっていった。


♢◆♢◆♢◆


 デスタン村に戻ると、傷ついた冒険者達の呻き声が響き渡っていた。死者は出ていないのだが、全員やられて帰ってきたらしい。


「威勢よく行ったはいいが、グールにやられて帰ってきましたか。冒険者の名折れだな」


 宿屋の待合室で、魔法使いの男は声を押し殺して笑う。


「笑うな。彼らは彼らなりに必死に戦った。勇者達だぞ」

「勇者様御一行も夢魔で一網打尽にされることもあるわな。お笑いだぜ」


 テイマーもまた、鼻で笑うとそれ以上は何も言わなかった。

 そこにゾディアックが現れる。漆黒の鎧は雨で濡れた意外に変化はない。

 死体は既に、村の安置所に置いてきた。


「よう! 寝坊騎士。あんたもこっぴどくやられたのかい?」


 ゾディアックはゆっくりと魔法使いに目を向け。


「……やってしまったんだ」

 

 寂しそうに、そう言った。


♢◆♢◆♢◆


 明かりもつけず、着替えてベッドに腰かける。もう何もしたくなかった。

 だが何もしていないと、あの顔と声が蘇ってくる。


「薄汚い吸血鬼め」


 俺が言ったんじゃない。ゾディアックは頭を振る。

 血塗れになったロゼを思い出すと、呼吸が荒くなっていく。外の空模様が、そのままゾディアックの荒れた心を映しているようであった。


「何をしているんだ、俺は」


 もう1人の自分、散々暴れた漆黒のあいつは出てこない。まるで役目を終えたと言わんばかりに、消え失せている。


 かと思いきや、壁に背を預けている漆黒の騎士が浮かび上がる。


『そんなにショックか? あれは元から勝ち負けにこだわっていた吸血鬼だろう。……殺し合いを求めていたくせに、あれだけ攻められた後、泣いて許しを乞うなんて。ガッカリだな』

「……黙れ」

『だがいいこともあったな。あいつを打ちのめすことが出来た。その結果。見えただろ。あいつ、ほとんど裸同然だったぞ? 多少血に塗れて肉とか骨が見えていたが、中々いい体』

「黙れ!!!」


 吠えると同時に立ち上がり、近くに置いてあった兜を騎士に向かって投げる。騎士には当たらず、壁に当たっただけだった。兜が音を立てて、虚しく床を転がる。


『……俺はお前だ』

「……知っているよ」

『惚れた相手が血に塗れているのを見て、興奮した。いいか? 自覚してなくてもほんの一瞬だけでも、小石程度の大きさに膨れ上がった感情でも、それはお前の感情なんだ』


 ゾディアックは何も言えない。黙って騎士を睨み続けていると、騎士が笑った。


『最低だな。俺』


 そう言って、消え失せた。耳に飛び込んで来るのは雨の音。

 ゾディアックは深い溜息を吐いて項垂れた。もう何も考えたくない。このまま寝てしまおうかと思ったくらいだ。

 だが、そうはさせてくれなかった。


 窓が突然開いた。突風と雨水と共に、黒い影が部屋の中に入り込み、咄嗟に近くにあった剣の柄を手に取る。

 影は人の形になると、首を垂れ、ゾディアックの方に体を向けていた。


「お初にお目にかかります、ゾディアック様。私、ロゼ様専属執事 兼 吸血鬼、ジャスパー・ミルスミルカ・クレセントと申します」


 ローブを羽織った白髪だらけの老人が顔を上げる。その服装と顔に、ゾディアックは見覚えがあった。先程の森で血を吸おうとしていた吸血鬼だ。


「どうかお気軽に、ジャック、とお呼びくださいませ」

「……何をしに来た」


 自己紹介を無視し警戒心を露わにしそう聞くと、老人はふんと鼻を鳴らす。


「時間がありません故、移動しながら話をしたいのですが、よろしいですかな?」


 顔についた水を手の平で拭って言った。


「話?」

「ええ、先程の誤解を解きたい。そして、あるお願いをあなたにしたい。暗黒騎士」


 ゾディアックは疑問符を浮かべ、次の言葉を待つ。


「謎の魔物。見つけましたぞ」


 目を見開く。ジャックと名乗る吸血鬼は口角を上げ、再び首を垂れる。


「我が主、ロゼお嬢様と結託し、討伐していただきたい」


 そう言われて、ゾディアックは頭を振って、視線を床に向ける。


「……無理だ」

「おや、どうしてでございますか?」

「だって俺は、さっきロゼを傷つけた。あなたは見てないかもしれないが、これ以上ないほど……だから相手が認めてくれない」

「それはもうすでに、私も存じ上げておりますとも」


 ゾディアックが顔を向けると、ジャックは笑顔を向けていた。


「まさかゾディアック様。あなたはお気づきになっていないのですか?」

「……何に?」


 ジャックは一歩前に踏み出し、白く尖った歯を光らせる。


「我が主、ローレンタリア・ゼルヴィナス・ミラーカは、身も心も強く、そして気高い。最強にして最高の吸血鬼であるということに」


 雷鳴が瞬く。

 それは告げていた。

 決着の時が近いことを、告げていた。


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