第34話「「今すっごい恥ずかしいことしたな」」
※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
ゾディアックが泊まる建物は、下級層の中でも高級で有名な場所であった。
地上20階の高い建物を間近に見たロゼは、溜息を漏らす。
「首が痛くなる」
そう言って首の後ろをさする。
「何階まで行くんだ?」
「19階」
「高いなぁ」
楽しそうに上擦る声を出すロゼの手を引いて、施設に入る。広く煌びやかな、清潔感が漂うフロントに入ると、スーツに似た施設用の黒い服を身に纏う、スラリとした体型の男性が2人に気づく。
身長はゾディアックよりも頭一つ小さい。男はしっかりとした足取りで目の前にやってくると、首を垂れる。
「お帰りなさいませ」
綺麗なお辞儀を終え、大きな目がゾディアックとロゼを捉える。
「そちらの女性は?」
「彼女は、えっと」
「なんだ。私は入ったら駄目なのか?」
答えに窮するゾディアックに助け舟を出す。男は頭を振って愛想のいい笑みを浮かべる。
「失敬。ひとりで宿泊すると聞いていたものですから」
「彼女も、泊めたい。2人まで大丈夫なはずだ」
「それは構いませんが、事前のご連絡がないため、出来れば身分証をご提示していただくか、ご関係を説明いただければと。こちらもそれなりのチェックを行わなければならないので」
ロゼは鼻で笑う。
「祭りでこいつにナンパされた田舎娘だ」
「えぇ!?」
「「俺の部屋来いよ」って誘われちゃってさ。まぁ、いい男だし、乗ってやろうと思ってね」
楽しそうに話すロゼと大口を開けて驚愕するゾディアックを見て、男は苦笑いを浮かべて入室を許可した。
♢◆♢◆♢◆
「どうだ。身分証など必要なくなったぞ」
「だからってあんなこと言う?」
「嘘は言ってないぞ」
白い歯をのぞかせなから、ゾディアックの腕を抱きしめる。
鼻腔をくすぐる甘い香りと、肌触りのいい生地と、ロゼの柔らかな体の感触が伝わってきたため、ゾディアックはそれ以上何も言えずに、白い箱型の昇降機に足を踏み入れる。
昇降機を降りたら部屋はすぐだった。扉にゾディアックは片手をかざし、魔言を呟く。フロントで受け取った紙に書いてある、8桁の数字と意味のない16の単語を呟いていく。
ほどなくして鍵が開き、部屋へと入る。
「おぉ!」
ロゼが感動したような声を出し、窓へ向かう。
上質感の漂う空間に、大きなシングルベッドが2つと、無駄のないインテリアが部屋を彩っている。高級の名にふさわしい内装だった。
だがロゼが感動したのは内装ではなく、大きな窓が映し出している景色だった。ギルバニア王国における、下級層の風景が一望できる。
時刻は夕方、夕焼けの光が部屋に差し込み、街を艶やかに彩っている。
「夕日が沈むの、楽しみだな」
日光がロゼを照らし、影を作る。そこでふと疑問が沸き起こった。
「あのさ。ロゼは日光大丈夫なの?」
「唐突だな。そして今更か」
呆れたように息を吐き、窓に背を向ける。
「私くらい強い吸血鬼は弱点なんてほとんどないのさ」
「にんにくとか、十字架は?」
「どちらも嫌いではないし、好きでもない。言っておくが、吸血鬼の弱点なぞ、人間共のホラが大半だぞ」
「そんなに弱点はないってことか」
「ああ。戦争に負けたのが信じられ……」
そこまで言ってロゼは言葉を切った。
誤魔化すように笑ってゾディアックに近づく。
「腹減った。何か食べよう」
「さっきあれだけ食べたのに?」
「消化がいいんだ」
ゾディアックは屋台で買ってきた食べ物を鞄から取り出し、テーブルの上に並べる。2人共座って何を食すか吟味するように見つめていると、ロゼの目があるものに止まった。
「この茶色のはなんだ? パスタか?」
「焼きそば」
「ヤキソバ……」
「箸を使って食べるんだ。ほら」
使い捨ての箸を渡され、ロゼは困惑する。
「ハシだと? 使ったことがないぞ」
「じゃあ練習だな。こうやって持って……」
困惑顔でゾディアックの見様見真似で箸を使い始めるが、数十秒で挫折する。
「駄目だ。イライラする。これ食って練習しよう」
「フォークとかあったけ」
「ゾディアックが食わせてくれればいいじゃないか」
「あ、そっか」
さして疑問も持たずに、焼きそばが入った容器を持って、箸で麺を掴む。
「ロゼ。口開けて」
「ん」
ロゼは顔にかかっていた金髪を耳にかけ、ゾディアックの持ち上げている麺にかぶりつく。
同時に、自分達が何をしているのか、2人は悟った。
口を動かしながら、前のめりになっていた上体を正し、口の中の物を飲み込む。そして、両者の声が重なる。
「「今すっごい恥ずかしいことしたな」」
直後、笑い合う。
両者の顔が紅潮していたのは、夕陽のせいではなかった。
♢◆♢◆♢◆
街中の楽しそうな声と足音を聞いているとイライラしてくる。
少年は怒りを鎮めるように舌打ちをすると、壁に寄りかかる。
子供達の悲鳴に似た笑い声がやかましかった。逃げるように首にかけたヘッドフォンを耳につけると、軽快な音楽が流れ始めた。
小気味いい音が脳を揺らし、気分が高揚する。目の前をアホ面で歩く連中に、この音楽の素晴らしさと、ヘッドフォンの魅力を2000文字以内で語りたい。
そんなことを思っていると、サビに入ろうとしていた音楽が遠ざかって行く。
ヘッドフォンを外され、再び雑多なざわめきの音が耳に飛び込んでくる。
少年は怒気を露わにし、ヘッドフォンを奪い取った、隣にいるスレンダーな美女に掴みかかる。
「いいところだったのに! 取るんじゃねぇよ!」
「話しかけているのに無視してる方が悪いー」
ほわほわした喋り方をしながら、ブルーのコートを羽織る女性はヘッドフォンを上に掲げる。女性よりも身長が低い少年は、ぴょんぴょんと飛び跳ねて奪い返そうとする。
「依頼人さんが来たっぽいから行こーよー」
女性はヘッドフォンを差し出す。
「あぁ? やっとかよ」
悪態をついて息を整えながら、少年はヘッドフォンを奪い取って舌打ちする。
「殺しの依頼頼むのに、遅刻なんかすんじゃねぇっつうの」
「ラルドお兄ちゃんが時間にうるさいだけー」
「うっせぇ! さっさと行くぞ、エメ」
ラルドと呼ばれた少年は、人通りを避け裏道に足を踏み入れる。妹のエメがその背中に続く。
殺し屋として名を馳せる技巧者の兄弟は、花緑青に輝く瞳を瞬かせながら、薄暗い道へ姿を消していった。




