第16話「パーティ」
※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
酒場の扉が音を立てて開く。薄暗い店内に一筋の日差しが差し込み、それはどんどんと面積を大きくしていく。
扉に背を向け、店の床を雑巾で磨いていたブランドンは溜息をつく。
「看板が見えなかったか? まだ準備中だ。トイレなら貸してやる。奥にあるぜ」
雑巾を動かしながらぶっきらぼうな口調で喋る。自身の大きな背中に影がかかるのを感じ、鼻をすんと鳴らす。
「随分と……“懐かしい臭い”がするじゃねぇか」
ブランドンは立ち上がりつつそう言うと、床に雑巾を叩きつけ振り返る。
真っ黒な怒りで染められた瞳を入口に向けると、映ったのは銀髪の青年だった。
ブランドンは眉根を上げる。
「人間の格好なんかしやがって。だが残念だったな。俺ぁ鼻がいいんだ。妙ちくりんな格好で騙せるかよ」
「……分かるのか。俺の正体」
「魔力の制御だけじゃなくて、臭いのケアもしておけ。で、お前は何処の誰だ」
「……ゾディアック。ゾディアック・ヴォルクス。訳あって冒険者をしている」
ブランドンが馬鹿にするように大口を開けて笑う。
「訳ありねぇ? まぁいい。それで、冒険者様は何用で?」
「人を探している」
ゾディアックの言葉が震える。初対面の相手と話す時は毎回緊張してしまう。
唾を呑み込み、唇を戦慄かせながら声を出す。
「この酒場に、エリーという子はいないか」
喉につかえた小骨を吐き出すように、なんとか絞り出したその声はブランドンの耳に届く。
目つきが鋭くなり、ハイオク特有の鋭く長い刃のような牙が閃く。
「あの子に何の用だ」
「エリーは、その、パーティメンバーだ。最近、白魔道士の誘拐事件が連続で発生している。次のターゲットは、エリーの、可能性が高い」
ブランドンの体が前に出る。ギラつく歯を見せつけながらゾディアックに近づくと、胸倉を掴み見下ろす。190前後あるゾディアックより、頭一つ分高い。
「ふざけたことぬかしてんじゃねぇぞ」
「ほ……本当だ」
「仮に本当だとしようか。なら、“お前みたいな奴”が一緒だから、あの子は巻き込まれたんじゃねぇのか」
「……どう思ってもらっても構わない。だけど、あの子を守りたいのは確かだ!」
先程までのたどたどしい喋り方とは違った力強い言葉に、ブランドンは怪訝な表情を浮かべながらも手を離す。
互いに視線を交わし、口を開こうとしない。
「どうしたの?」
騒動に気づいたのか、寝間着姿で髪もボサボサのままであるエリーが、猫耳を下げながら顔を見せた。
「エリー」
ゾディアックの視線がエリーに向き、声色が明るくなる。対し、声をかけられたエリーは寝ぼけ眼を擦ってゾディアックを凝視する。
「……ゾディアックさん?」
「はい。ゾディアックです」
「なんで敬語だよ」
「……え、え、えぇぇぇぇえええええ!!?」
エリーの絶叫が、店内に木霊した。
♢ ♢ ♢
ゾディアックとエリーはカウンター近くのストゥールに腰を下ろし、隣同士で座る。
「集会所に行ったんじゃ」
「に、二度寝かましました」
「……そうか」
「あぁぁぁ……何やってんだ私……」
必死に寝癖を手で押さえ、顔を伏せプルプルとエリーは震える。目をギュッと閉じているため、ゾディアックは心配してしまう。
「だ、大丈夫か?」
「は、はい! ダイジョウブですよ!」
上擦った声を出すと、垂れ下がっていた猫耳と、押さえていた寝癖がピンと跳ね上がる。
「ゾ、ゾディアックさんは、その、ラフな格好ですね」
「ああ。今日は買い物をしていたんだ。それで、エリーが変な奴に狙われているのを知って、ここまで来た」
「……ありがとうございます」
頬を赤らめて、エリーは少しだけ首を垂れる。
「ゾディアックさんも、服、似合ってます」
「……ありがとうございます」
ゾディアックは少しだけ首を垂れる。
「おい。さっさと本題入れ。見ててムズムズするわ」
「う、うるさい。床でも拭いててください!」
「へいへい」
「もう。……それで、ご用件は」
小首を傾げるエリーに対し、真剣な声色でゾディアックは喋り始める。
「巷で噂の誘拐事件は知っているか」
「え、えぇ。まぁ」
エリーの顔に陰りが差す。
「次のターゲットは、君かもしれない」
エリーは驚いたように、少しだけ口を開く。
「だから俺が守る」
その言葉に対して大きく目を見開く。
「え、あ、あの……え……?」
エリーは言葉にならない声を漏らす。
無理もない。襲われるかもしれないと聞かされたらこんな反応にもなるだろう。
ゾディアックは勝手にそう思い、ブランドンに目を向ける。
「エリーを集会所に連れて行きます」
疑いの目だけを向け、ゾディアックに問う。
「集会所に行けば亜人街にいるより安全だ。相手も迂闊に誘拐なんて出来ない。それに、他にも大量の冒険者が……」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
大声を出してゾディアックの言葉を遮る。そして、目線を下に向けたまま、拳を膝の上で固める。
「本当に私なのでしょうか」
「可能性は高い。さっきも怪しい暗殺者と戦った。そいつは君の写真を持っていた」
カウンターの上に写真を出し、エリーに見えるよう滑らせる。
「だ、だとしてもですよ」
膝の上に置いた手が、履いているズボンを掴む。
「私は亜人です。助ける価値なんてないですよ。むしろ、私を助けたら、ゾディアックさんも白い目で見られ」
「エリーは俺の仲間だ。助ける価値も理由も充分にある。パーティメンバーが危険な目に合うかもしれないのに、亜人がどうだなんて気にするわけないだろ」
それに、と付け加える。
「白い目で見られることは慣れている。任せてくれ。メンタルは強いんだ」
ゾディアックは口元を綻ばせ、ぎこちない笑みを浮かべる。その笑顔に、エリーは救われた気分だった。
「おい。色男」
壁に背を預け、腕を組むブランドンが声を出す。ゾディアックはブランドンの方を向いて人差し指で自分をさす。
「お前以外誰がいんだ。いいか。俺は亜人街から出られない。だから集会所に行くなら死ぬ気で守れや」
ブランドンの声色が変わる。
「エリーゼ傷つけたら、俺は街を飛び出してお前を殺しにいく……分かったな」
ゾディアックは力強く頷く。その目は嘘をついているようには見えない。
ブランドンは呆れたように笑うと肩を竦める。
「変わった奴だな。お前」
「……よく言われるよ」
両者の顔が綻び、先程までの緊迫した空気が緩む。
顔を伏せていたエリーは、目尻に涙を浮かべながら、笑顔を咲かせた。
♢ ♢ ♢
白魔道士の服装に着替えたエリーと共に、集会所へ戻って来た。
扉を開け中に入ると複数の冒険者がいたが、いつも向けられる怪訝な目を、ゾディアックは感じなかった。
かわりに好奇の目を向けられていることに気づく。
格好が格好だから仕方ないと、視線を無視しながら受付へ向かうと、レオンとアイリが背を向けて立っていた。
レオンは足音に気づいたのか、振り向いてゾディアックとエリーを確認する。すると、安心したように表情を緩める。
「エリー! よかったぁ」
アイリも振り向き、安堵の溜息を吐く。
「心配したわ。連絡もつかないし。攫われたらどうしようと思って」
「……心配してくれたんですか?」
「? 当たり前だろ。俺達仲間だし、友達じゃん」
あっけからんと答えるレオンに、でも、と言いかけて、エリーは口を噤む。
「……ありがとうございます。2人共」
「別にいいわ。それより」
アイリがニヤついた表情でゾディアックとエリーを交互に見つめる。
「なに、彼氏さんと一緒?」
「か、くぁれし?」
エリーが変な声を上げ、受付のレミィが柳眉を逆立てて立ち上がる。
「違いますよ! 彼氏さんじゃないです! この人ゾディアックさんです!」
「はい、ゾディアックです」
エリーは顔を真っ赤にしながら手の平を自分の前で振り、ゾディアックは少し頭を下げる。
2人は面食らったような顔をすると、大きな声を上げて驚く。
「嘘じゃん! なに洒落た格好してんすか!」
「い、いつもの鎧は?」
「キャストオフした」
「キャストって……」
アイリは額に右手の指先を当てて何度か頭を振る。
「中身は渋めのおじさんだと思ってたのに」
「まさかのイケメン筋肉だとは」
「……なんか悪かった。夢を壊したようで」
「とりあえず彼氏じゃなさそうね」
エリーがこくりと頷く。受付にいるレミィがホッとしたように胸を撫で下ろし椅子に座る。
和やかな空気が漂うが、ゾディアックは頭を切り替えてレミィに話しかける。
「すまない。新たな頼みごとだ。ある冒険者の情報が知りたい」
「あのな。うちは情報屋じゃねぇの。エリーゼは特別に教えたけど」
「誘拐事件の犯人が分かるかもしれない。それでも協力出来ないか」
ゾディアックのひたむきな眼差しと声色に胸を踊らせてしまうが、レミィは平静を装いその目を見返す。
「……分かったよ。ただ、ここまで協力して何も成果が得られなかったら、お前も私も破滅だ。それでも」
「やる。レミィ。……俺を信じてくれ」
食い気味なその一言に口元を歪め、レミィはファイルに手を伸ばす。
「誰の情報を知りたいんだ?」
ゾディアックは一度息を吸って、その問いに答える。
「ラズィ・キルベル」