第15話「アサシン」
※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
――なんとも汚い街だ。
上空から亜人街を見下ろし、明らかな侮蔑の感情を露わにする”鴉”は、しばらく上空を旋回する。
そろそろ魔力が枯渇してしまうと思うと、7階建ての建物の屋上に足をつける。地面や低い建物の上で変身を解除するわけにはいかない。鴉は亜人街に”潜入”しに来たからだ。
目を閉じ、集中して変身を解除する。羽が収縮し、代わりに腕が伸びる。短く細い脚は、徐々に人間の足に戻り、長さと太さ取り戻していく。
背筋が伸びていくのを感じながら、鴉は五体の感覚を確かめる。爪先から頭まで。全ての動作に問題がないと判断すると、瞼を上げる。
若干視界が狭く、黒ずんでいる。顔に装備しているペストマスクのせいだ。だがこれは、変身に必要な魔具であるため、むやみに取り外すわけにはいかない。同じく魔具である漆黒のロングコートを翻し、鴉は屋上から地上を見下ろす。
亜人達の姿は見当たらないが、気配は感じられる。
――害獣共め。
声は出さず唇だけをそう動かすと、標的の顔を確認するため、懐から写真を取り出す。若いケット・シーが写っている。艶のある栗色の髪と猫耳、更に白魔道士のローブを羽織っているため、すぐに見つかるだろう。
魔力が回復するまでの間、鴉は建物の屋上を移動しながら捜索することを決め、足に力を込める。
「何をしているんだ」
駆け出そうとした足が止まる。不意を突かれた鴉は目を見開く。
あり得ないことだった。暗殺者として活躍している鴉は、常に周囲を警戒し続けており、鼠一匹動くだけでも気配を感じ取ることが出来る。
息をすることに等しい、容易い行為。にも関わらず、全く気配を読み取れず、あまつさえ声をかけられるという「先手」を打たれた。
鴉は相手を見据えるため、眉根を寄せてゆっくりと振り向く。
そこにいたのは人間の格好に身を包んだ、浅黒い肌をした銀髪の大男だった。顔は若干幼さが残っているため、青年といった感じだが、鍛え抜かれたその体は歴戦の戦士のようである。
鴉は猜疑心に満ちた目を向け続ける。相手からは見えていないだろう。
「……何を、しているんだ」
男は再び同じ疑問をぶつける。
鴉は、ここから逃げるか、男を始末するかの二択を頭に浮かべた。
そして、睨め回すように見つめ、男が獲物を持っていないことを確認する。
鴉は迷わず後者を選択した。
♢ ♢ ♢
ゾディアックは変身状態の鴉を追いかけていた。身体強化の魔法を使い、風の如く駆けながら、鴉が屋上の影に隠れると、いつもは使わない天昇という魔法を使って屋上まで一気に跳躍した。
当然、隠密と透過幻影も付属させている。
隠密系の魔法を強化してくれたロゼに感謝しなければとゾディアックは思う。
屋上につくと、鴉から人間に戻った相手を目の当たりにし、咄嗟に声をかけた。
人型の見た目も鴉そのもののような、全身真っ黒であったため、少し驚いてしまう。身長は160前後、服のせいで体つきはよく分からない。
こんな場所で魔具を使用してまで変身している、明らかに怪しい人物に話しかけてしまったゾディアックは後悔した。胃がキリキリしている。
もし相手が誘拐事件の犯人だとしたら、見逃すわけにはいかない。怯えている場合ではない。気合を入れろと、ゾディアックは自分をなんとか奮い立たせ、声を絞り出す。
「……何を、しているんだ」
二度目の問いを投げると、相手は明らかな警戒心と、微かな殺意を見せた。
ゾディアックの顔が引き締まる。
瞬間、鴉の姿が消えた。先程まで本当にいたのかと錯覚してしまうほどの素早い動きに、ゾディアックは反応が遅れる。
だが姿は見えずとも、その気配は隠しきれていない。ゾディアックは左側頭部に何かが迫りくるのを感じ、膝を折り腰を落とす。
側面に移動した鴉の放つ回し蹴りが、ゾディアックの頭上を通り過ぎる。鋭利な刃物のような蹴りを、辛うじてやり過ごす。
間髪入れずに体勢を整えた鴉は、踵を天に向かって上げ、勢いよく振り下ろす。まるで断頭台の刃の如く、ゾディアックの項に踵が迫る。
それに対し、恐れることなく前に飛び攻撃を避ける。鴉の踵は屋上の床を抉り、激しい音と共に深く突き刺さる。
地面に足がめり込んだため、素早く次の動作に移行できない鴉は、明らかに無防備な状態になる。
その隙を見逃すほど、ゾディアックは甘くない。
相手は間合いに入っているのを確認し、立ち上がると同時に一度息を吸うと、その場で軽く飛び、
「ッラァ!!!」
気合いの声を発しながら、飛び後ろ回し蹴りを放つ。蹴り技の中で最高の威力を誇る、腰の捻りを加えたその一撃は、鴉の胸部に突き刺さる。
くぐもった声がペストマスクから漏れる。衝撃で体を丸め、首を垂れながら鴉は後退る。普通の相手であれば気絶していてもおかしくないが、鴉は膝すら折らない。顔を上げると、マスクの奥から光る瞳が、ゾディアックを射抜く。
その時、何かが割れる音が響いた。
鴉の胴体を守るアーマーが砕けた音だ。鎧の破片が床に落ちていくのを確認しながら、鴉は困惑した。
上級魔法を用いた攻撃でも、この防具は中々壊れない。だが、それが蹴り技、それも一発だけで壊されたため、鴉は面食らったように棒立ちになってしまう。
好機と見たゾディアックは、距離を一気に詰め仕掛ける。
はっと息を呑んだ鴉は腰からダガーを抜き、右手に構える。刃には、掠っただけで大型の魔物すら昏倒する威力を持つ、秘伝の麻痺毒が塗ってある。
向かってくる相手に対し、鴉は鋭い前蹴りを放つ。だが、いとも簡単に避けられる。
間髪入れずにダガーを振り下ろす。
ゾディアックは冷静に左腕を伸ばし、鴉の二の腕を手で制し、ナイフが振れないようにした。
舌を鳴らし、鴉は後方に飛ぼうとする。
「逃がすか」
そう呟くと同時に、左足で鴉の右足の甲を、ゾディアックは勢いよく踏みつける。足の甲は防具で守られていないため、痛みと衝撃で、鴉は悲鳴を上げて片目を閉じてしまう。
鴉の体は傾ぎ、正面が隙だらけになる。ゾディアックは右手を引く。
そして腰を入れつつ放ったゾディアックの掌底が、ペストマスクの右側に叩き込まれる。
鉄製のマスクは拉げ、目元についた遠くを見渡せる用のアイピースレンズが砕け、鴉の顔半分が外気に晒される。
ゾディアックはそのまま打った方の手を下部に滑らせ、胸倉を掴む。
レンズが割れた部分から相手の顔を見る。
そして、目を見開いた。
「女……?」
力が少し緩んでしまう。
右足にかかる圧力が減ったことに気づいた鴉は、素早く足を引き抜き、手を振り払って後退する。そして顔の半分を隠しながら、踵を返し走り出す。
「待て!!」
静止を呼びかけるが、遅かった。
鴉は屋上から飛び降り、再び鳥の姿に変身すると、遠くへ飛び去って行った。
ゾディアックは黙って見逃す。
追いかけることは出来たが、あえてしなかった。追いかけるよりも重要なことがあるからだ。
右手に持った“写真”を確認する。先程の鴉が持っていたものだ。
ゾディアックは胸倉を掴んだ手が振り払われる一瞬の隙をついて、鴉の懐から写真を掠め取った。昔培った技術は、全く衰えてなかった。
少し得意気になりながら写真を確認すると、目を見開く。直後、怒りに染めた表情を浮かべ、点になっていく鴉を睨みつける。
ゾディアックは一旦集会所に戻るか迷う。
だが、何よりも大事なのは、パーティーメンバーの安否確認だ。
写真に写っていたのは、エリーだった。まずは無事かどうかを確認して、それから集会所に行っても遅くはない。
視線を外し身体強化の魔法をかけたゾディアックは、酒場に向かうため、屋上から地面に向かって飛び降りた。