第13話「材料調達」
※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
玄関を開け外に出ると、心地いい空気が体の中に入ってくる。
ゾディアックは大きく伸びをして、固まった筋肉をほぐす。視界がクリアになり、暖かな日差しのおかげで眠気も吹き飛ぶ気分だった。
「うわぁ、晴天ですねぇ」
振り返ると、フリルが多く使われた黒のゴシックドレスに、大きなリボンがつく紅の傘を持ったロゼが、ぎこちない笑みを浮かべながら日の下に姿を見せる。風が吹き、レース柄のチュールスカートがふわりと浮く。
太陽に姿を晒す吸血鬼。位が高い吸血鬼はどんどん弱点が無くなっていくと、以前ゾディアックはロゼから聞かされていた。
太陽が吸血鬼の最大の弱点であるという説は、今なお冒険者達の間に広まっている。その情報はもう古いというのに。
それを知っているゾディアックは、少しだけ自分が特別な存在なんだなと思ってしまう。
「暑くはないか」
日傘を差す吸血鬼に歩み寄る。
「平気です! 太陽クソくらえ!」
咲き乱れる花のような美しい笑顔で、ロゼは汚い言葉を吐き出す。
「全然怒っているじゃないか」
「だって苦手なんです。仕方ないじゃないですか」
柳眉を逆立て頬を膨らませながら日傘をさす。気分を良くしたのかロゼの顔に満足気な笑みが浮かぶ。
「さ、行きましょう。材料を買いに行かないと」
「ああ。大通りに行こう」
ゾディアックの服装は鎧ではなく人間の服を着ている。
丈が長い白シャツの上に、ロゼの好きな色である赤のニットを着て、これだけでは寒かったため、ネイビーのチェスターコートを羽織っている。下は黒スキニーパンツにプレーントゥシューズという出で立ちだ。
とてもじゃないが、冒険者という姿ではない。ましてや高ランクを保持する凄腕の暗黒騎士だとは誰も思わない。
ロゼがゾディアックの隣に立ち、2人は並んで歩き出す。
会話もなく淡々と歩く。それでも全然気まずくはなく、むしろ幸せだった。
ふと、ロゼは隣にいるゾディアックを見上げる。短い銀髪が風のせいで靡いているのが微かに見える。視線は下に向かい、手で止まる。
大きく、そして細かな傷が多い、浅黒い肌をした手の甲をじっと見つめる。
「んー」
少し唸り、傘を閉じる。ゾディアックの視線がロゼに向く。
「どうした? 体調、悪くなったか」
「いえいえ。違います」
心配そうな表情をする愛しい人に笑顔を見せ、ロゼは大きな手に、自分の小さな手を合わせる。
「手を繋ぎたくなったんです」
「……暑くないか? 俺が傘をさすぞ」
「いいえ。大丈夫です」
ゾディアックの疑問に対し、頭を振って指を絡ませる。
「むしろ、ムカつく太陽に見せつけてやりますよ」
「……恥じらって、隠れてくれるかもしれないな」
「いいですね! それに期待しましょう! 太陽絶対独身ですから!」
太い腕に抱きつき、楽しそうな雰囲気を醸し出すロゼを見ながら、ゾディアックは下唇をバレないように噛み締める。
「っ~……可愛いっ」
その小さな呟きはロゼの耳に入ったが、あえて気づかないフリを彼女はした。
暖かな陽気と心地いい風が、サフィリアの中に流れていく。
♢ ♢ ♢
「今回のクッキーは、1つで3度美味しい、ストライプクッキーでしたっけ?」
「ああ。昨日の新刊で特集がやっていたんだ」
「……鎧を着て料理本コーナーに並んだのですか?」
「駄目か?」
「駄目です」
「気合が入るんだが……」
「駄目です!」
「恥ずかしいし……」
「駄目です!! 気合でどうにかしなさい!」
大通りはいつも通り賑わいを見せている。2人は波のように移動する人々の合間を縫って歩き続けながら、菓子の話をする。
「バターとか卵はありますから、パウダー系ですね」
「ああ。特に甘い物がないからな」
2人はキャラバンが露店を展開する市場を探索する。
キャラバンの市場は偏りがある。冒険に関する武具や魔導書は需要が高いため多く存在する。食材関連も多いのだが、装備類と比べると数は少ない。一番数が少ないのは家具と宝物関係だ。サフィリアに住む人々は家具に困らないし、宝物など見飽きている。冒険者も同じだ。そもそもキャラバンが持ってくるものは紛い物である可能性の方が高い。
2人は多くの露店を見ながら、ようやく料理や生活関連の商品を販売している団体を見つける。
「いらっしゃい! ゆっくり見ていってね!」
犬の顔をした赤毛の獣人が頭を下げる。片耳に銀のカフスが付いており、首輪もある。胸元が膨らんでいるためメスだろうとゾディアックは思う。
俗にいう”飼い犬”だ。首輪とキャラバンが用意したアクセサリーを身につけなければ、亜人達は追放されてしまう。
渋面を作るゾディアックを尻目に、ロゼは商品を物色し始める。店員と仲良く会話をしている様子をゾディアックは黙って見続ける。
「ははぁ。なるほど。それじゃあラズベリーがいいね!」
「ラズベリー?」
「”スプリーラック”です」
「ああ、人間はそう呼んでいるのか。詳しいな」
ロゼの口調が変わっている。主であり心を寄せるゾディアック以外に、ロゼは敬語を使わない。
赤い大きな瞳がゾディアックを射抜く。
「じゃあ、ラズベリーにしましょうか、ゾディアック様」
「ああ」
「茶色はどうします?」
「ココアだったか。それでいいんじゃないか?」
「かしこまりました!」
再び獣人の方に目を向ける。
「すまない。さっきのラズベリーパウダーと、あとココアのパウダーはあるか? ああ、それだ。大きのでよいぞ……何? 樽? それは大きすぎるわ、馬鹿」
楽しそうにロゼは話しながら、目的の物を買っていく。
目当ての物が買えた2人は露店を一通り見て回ることにした。
♢ ♢ ♢
「これは鎧か。……いいな」
「ゾディアック様。お部屋を整理してから新しいのは買いましょう」
やはり冒険者であるゾディアックは装備品が売っている店で立ち止まってしまう。これで5件目だ。先程は魔術関連の所でずっと本を探していた。
楽しそうな主の顔を見て、頬を綻ばせるロゼだったが、装備品類を見ていても然程楽しくはない。必要にならないからだ。
吸血鬼である彼女にとっては、自らの血が武器であり、防具でもある。
「冒険者、か。それになったら興味が出るのかもな」
チラと見えた黒塗りのダガーを見ながら、ぼそりとロゼは呟いた。そのまま店内を物色していると、ロゼは顔を引き攣らせた。
大胆に胸元を露出させ、二の腕、腹、太腿周りはがら空きであり、下半身に至っては”大事な所”以外何も守られていない、とりあえず防具と言い張るためにつけたガントレットと足甲が輝いている、明らかに下着にしか見えない軽鎧が双眸に映ったからだ。
「な、なんだ、あの服は」
「ああ、ビキニアーマーだよ。着てみるかい?」
露店を経営する白髪交じりの中年男性は口元をニヤリとさせた。
「おい、あの金髪美少女、兄ちゃんの彼女か?」
剣の刀身を見ていたゾディアックは顔を赤らめ顔を上げる。
「か、か……彼女というか……よ、よ、嫁……とはちょっと違うけど……」
「愛人か」
「違う!」
「誰が愛人だ!」
「まぁどっちでもいい」
睨みつけるロゼをよそに、男はゾディアックに耳打ちする。
「兄ちゃんだって見たいだろ? あんな可愛い子が、あんな何処守ってんだか分からねぇ鎧着るの」
「うん、見たい」
「食い気味に答えんなよ。買う? 超安くしとくぜ」
「3億ガルくらいなら余裕で払えるが」
「ぽっと出していい値段じゃねぇよそれ」
コソコソと購入手続きが進む。耳がいいロゼは全部会話を聞いていた。
うーうーと唸り声を上げていたが、声を荒げ始める。
「着ませんからね! あんなの着たら変態じゃないですか!」
「待ちな嬢ちゃん。あれは由緒正しい装備だ」
「この人から聞いた。実はとんでもない効果が入っているらしい。ドラゴンの爪とかも防げるらしいぞ」
「お腹回りがら空きじゃないですか!! 守ってくれるわけないでしょ!」
「それに、俺が大喜びしてやる気が出るぞ」
ゾディアックが親指を立てる。
「いや何言って……いや……それは、でも……うぅん……だったら……」
「嬢ちゃん、俺も大喜びしてやる気出る」
男が小指を立てる。
「五月蠅いわ。何で小指だ。お前は引っ込んでろ! もう! 絶対にそれは買わないからな!!」
ロゼの声が青空に木霊する。揺れ動く金髪は、どことなく楽しそうであった。
♢ ♢ ♢
「買っちゃった」
「もう……身につけはしませんから」
「買っちゃった」
「着ませんから!」
1時間程の問答の末、強制的にゾディアックは装備を購入し拡張袋の中に突っ込んだ。男の輝かしい笑顔はゾディアックの脳裏に焼き付いている。
「もう。ゾディアック様の変態。大嫌い」
と言いながらも、腕を絡ませ2人は歩く。
「それで、今日はもう帰りますか?」
「いや、集会所に寄る」
「……何か気になることが?」
「ああ」
ゾディアックは真剣な眼差しを正面に向けている。どうやら既に違うことを考え始めているらしい。
ロゼは笑みを浮かべる。
「素敵です」
「え?」
「真剣な顔のゾディアック様は、とても素敵ですよ」
「ロゼ……」
「だからってあの防具購入は許しませんけど」
「ごめんなさい」
ゾディアックは頭を下げる。それを見たロゼが笑い、2人は集会所へと足を進めていった。
上空を、一羽の鴉が飛んでいる。青空の下にたった一羽だけいるそれは大きな存在感を放っていたが、ゾディアックが空を見上げる事は無かった。




