第10話「亜人街」
※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
サフィリアは「宝の国」である、と伝承には綴られている。かつてこの国の主は宝石だけで出来た城に住んでいた、という伝説が存在し、この国に住む人々は全員裕福であった、とも言い伝えられている。
それはあながち嘘ではない。今も商人団体が多く来る都市とはいえ、街の中心街や、飛竜の滑走路がある北の街は裕福層が多く住んでいる。特に北は派手好きな者達が多く住んでおり、伝説に倣って家を宝石で作ってしまう者達がいるほどだ。
故にこの国は、「サフィリア宝城都市」と呼ばれている。
だがその輝かしい宝石の街の陰には、薄汚い世界も広がっているのだ。
何度裕福な者達が住む場所に行ってみたい、と少女は思ったことか。
ドブネズミのような姿で汚い路地に寝転がり、泥にまみれたパンくずを食べる。周りには素行不良な者達が大勢いる。飲食店の裏では死体が転がっていることなどしょっちゅうある世界で暮らしていれば、誰だって抜け出したいと思う。
こんな生活から抜け出したい。でもそれは叶わないだろう。
自分は亜人だから。何処かで野垂死ぬしかないのだ。
満月を見上げる幼いエリーは、血肉を貪りながらそう思っていた。
♢ ♢ ♢
「……はい。これでいいですよ」
消毒液の匂いが充満する病室内で、エリーは魔力放出を止める。淡い緑色の光が消え、周囲に漂っていた暖かな空気が霧散する。
「どうでしょうか? 怪我の具合は」
「おお……すげぇ! 嬢ちゃんいれば薬いらずだな」
「いえ、私の術なんて全然です」
椅子に座っているエリーは、照れて白いフードを深く被る。
「いや、マジで助かったぜ! これで明日からも仕事が出来らぁ」
そう言って竜人のオスは、先程まで折れていた足の調子を確かめている。
建築の仕事をしている彼は鉄骨が落ちてくる事故に巻き込まれ、足を折ってしまった。それを病院の手伝いに来たエリーが治した。
負傷者はこれで最後だ。エリーは額に浮かんだ汗を腕で拭う。
今日はずっと治療に当たっていた。クエストは断っておいて正解だった……エリーは心の中で思う。
ベッドに腰かけ足首を回している竜人にエリーは釘を刺す。
「駄目ですよ。明日は安静にしてください」
起き上がろうとしている竜人の肩を掴む。牙が剥き出しである竜人の口がこちらを噛みつくように開く。
「いや、だってもう平気だぜ?」
「回復術は確かに傷を癒します。ですが、"脆くなっているのです"。結局は自分自身の回復能力に頼らないと、強度を取り戻し、より頑丈にはなりません」
「え、えっと……?」
「治ったのは見かけだけ、と思った方がいいかもしれませんね」
本当は完全に治癒し、さらに強化する回復術もあるのだが、それは上級魔法であるためエリーは覚えていない。
それを聞いた竜人の瞳孔が細くなる。
「ま、マジかよ……! またあんな痛い思いすんのはごめんだ! やめとくぜ」
「そうしてください。お大事に」
恐ろしい竜の顔をしているくせに小心者の竜人に対し、エリーは輝かしい笑みを向ける。
可愛らしく整った顔立ちから放たれる笑顔は、世のオスを魅了する天使の微笑みだった。
「エリーさん! 俺と結婚」
「はしませんので。にがーいお薬出しましょうか?」
「いえ、いいです。帰ります」
竜人は頭を下げる。
エリーはつれない天使であった。
♢ ♢ ♢
病院の入口まで来たエリーは、見送りに来た蜂人間に頭を下げる。
「院長先生。それではまた」
「いつもありがとうございます。エリーさん」
甲高い声が耳に届く。
院長は頭部が蜂であり、首から下は人間の姿をしている。豊満な肉体の上に白衣を着ており、ポケットに手を入れている。
「わざわざこんなボロ小屋に来ていただいて、本当に助かってます」
病院の見てくれはただの廃屋である。ここが病院だとは誰も思わない。
エリーはたまにこの廃屋を訪れ、院長の仕事を手伝っている。もちろん無給ではなく、ちゃんと報酬は受け取っている。
「どうでしょうか? 大きな病院で働いてみては」
「いえいえ! そんなこと出来ませんよ。私の治癒術はまだまだですし、それに」
エリーは目線を一瞬下げ、愛想笑いをする。
「亜人ですし。患者さんが怖がります」
「……そう、ですか」
気まずい沈黙が2人の間に流れる。
「え、えっと! それじゃあ、私はこれで」
「はい。おやすみなさい。今日は真っ直ぐ?」
「いえ、酒場に泊まろうかなと。あっちの方がよく眠れるんです」
「……飲み過ぎや夜更かしは駄目ですよ」
「大丈夫です!!」
笑顔を見せると、院長は満足そうに頷き片手を上げて踵を返す。
エリーはその後姿を見て一息つくと、逃げるようにその場を去った。
亜人ですし。
自分の放った言葉がエリーの心に杭の如く打ち付けられていた。
♢ ♢ ♢
亜人街。その名の通り亜人が多く住む、というより亜人しか住んでいない街中をエリーは進んでいく。サフィリアの煌びやかな風景から一転、こちらは寂しく不衛生な風景が広がる。色の付いた屋根など無く、全体的に土色の家ばかりが並んでいる。道は汚く路地も多い。昼夜問わず何処からか必ず罵声や悲鳴が聞こえてくる貧困街がエリーが腰を落ち着けている場所である。
昔の名残なのか、高い建物はいっぱいある。だが立派とは言えない。壁は舗装されてないし変色した血の痕が残っていたり、穴があきっぱなしだったり、鼻がもげそうな生臭い異臭も至る所から上がっている。
時刻は夜となっており、白魔道士の姿で街を歩くエリーの姿は非常に目立つものだった。
道行くホブゴブリンやドワーフ達からは好奇の目で見られ、人狼には3回ほどナンパされ、やっとの思いで酒場「アイエス」の扉を開けた時は、へとへとに疲れていた。
「はぁ……疲れたぁ……」
気の抜けた声を出しながら店内に入ると、竜人達の大笑い声やオーク達が飲み比べしているのが耳に飛び込んでくる。なぜそんなに楽しそうなのか、エリーには理解出来ない。
8人がけのテーブル席が10あるこの店は、亜人街の中でも有名な酒場である。毎日毎日亜人達が楽しそうに酒を飲んでいるこの店は、トラブルが起きた際の駆け込み寺としても活躍している。
天井の籠に入った蛍光雷虫の光を浴びながら、エリーは一直線に店の奥にあるカウンター席へ向かう。
そして、エリーの姿を見たこの店の店主が嬉しそうに口元を歪める。
「よぉ、エリー! お帰り!!」
「ただいまぁ、ブランドンさん」
「お疲れじゃねぇか」
「またライカン達に声掛けられました」
緑色の肌に大きな牙。その筋肉の塊のような体に、体毛は全くない。似合ってないバーテンダーユニフォームを着て、厳つい顔にサングラスをかけたハイオークのオス、ブランドンが豪快に笑いながらグラスを拭く。
「好きなとこ座れよ」
そう言われて、ちょうど真ん中のカウンタースツールに腰を下ろす。椅子が高いため、エリーは足をプラプラさせながらメニュー表を手に取る。
「んだこのクソドワーフ!! ぶっ飛ばすぞ!」
「やってみぃ! 若造ゴブリンめ! 文句あんなら酒で勝負せぇや!!」
後ろでは飲み比べの勝負が盛り上がっている。
「何飲む?」
「ファイアボムでお願いします」
「相変わらず酒豪だねぇ。竜人潰す用の酒だっつのに」
ブランドンは呆れ顔でそういうとエリーに見えるように酒を造り始める。
エリーはその動作を見るのが好きだった。育ての親であるブランドンはそのことを知っているため、見せつけるように酒を造っていく。
「にしてもライカンばっかり引き付けるのはどうしてだろうな?」
「……フード脱いで歩きますか。今後は」
エリーはフードを取る。栗色の、ローツインに縛った長い髪の毛が躍り出る。同時に頭頂部についた耳も露出される。
「猫妖獣のお前が狼に好かれるたぁな。ほれ」
目の前に差し出された、マグマのように沸騰している青い酒が入ったグラスを手に取ると一気に煽る。全部飲み干し、テーブルにグラスを置くと、エリーは何度か咳をする。
爆弾と言われているだけあり、体の中が殴られるような感覚に襲われる。人間が飲んだら本当に爆発するかもしれない酒であるため、滅多にブランドンはこの酒を出さない。
「いい飲みっぷりだ! そりゃ狼も惚れるわ」
「五月蠅いです。異種から求愛されるなんて、笑われるだけですよ」
渋面を顔に張り付け耳を世話しなく動かすエリーを見て、ブランドンは笑い声を上げる。
亜人の思考には、自分と違う種族から求愛される、または求愛するのは恥であると刻まれている。もしその相手が人間だったら「一族皆殺しにしても拭いきれない恥ずべき行為だ」と揶揄される。
「だいたい、ブランドンさんだって黒森妖精や暗夜蛇に好かれていることが多いじゃないですか」
「俺はいいんだよ。モテモテ男だからな」
「見る目がないんですね」
「おいおい! 俺の悪口はいいが、俺を好きになってくれたカワイ子ちゃんの悪口を言うんじゃねえ!」
そう言ってまた大声で笑う。エリーは憮然とした態度でおかわりを要求する。
「ぶへぇえぇえ……」
「どうじゃおるぁ! まだまだ若造には負けん……すまん、バケツ取っうぇええええ」
後ろでは飲み比べの決着がついたらしく、歓声と悲鳴が沸き起こっている。
「……なんかあったのか?」
仏頂面で空のグラスを睨むエリーを見て、ブランドンの声色が真剣になる。
それに対し、薄く笑みを浮かべ。
「今日。冒険に行きたかったなぁと思ってさ」
「立派な白魔道士様だもんなぁ」
「からかわないでよ」
「からかってねぇよ。お前は俺の自慢だ」
「……ブランドンさんはタラシなんですよ」
「ちげぇねぇ」
「ファイアボムやめた。次はニブルヘイムでお願いします」
「あいよ」
エリーの表情に笑みが戻る。ブランドンは氷龍の鱗を、魔力で強化されたアイスピックを用いて砕きながらエリーに声を向ける。
「そういやよ、エリー。知ってるか。最近白魔道士が誘拐されているらしいぞ」
「……みたいですね」
砕かれた鱗から発せられる冷気が頬を撫でる。
それが不安を少しだけ煽るように感じた。
今日の朝もその誘拐事件の情報が出回っていた。病院内にある壊れかけの電像機から音声だけは聞こえていた。
「お前も気を付けろよ」
目の前に差し出された白と紫に輝く酒を見ながらエリーは頷く。
――もし誘拐されたら、誰かが助けに来てくれるのだろうか。
馬鹿な考えを振り払うようにグラスを手に取った。
その時、背後から怒号が上がる。
「おい、なんだ!? 突然邪魔しやがって!!」
「なんだてめぇ! ぶち殺すぞ!!」
何事かと思いエリーとブランドンは声のする方に目を向ける。
そこには重装備を身に纏った剣士、”刀”と呼ばれる摩訶不思議な武器を使う侍、軽装に身を包んだ女性の格闘家が店の中に入っている。
飲み比べをしている者達と睨み合いながら、ナイトが口を開く。
「私達の仲間である白魔道士が誘拐された! よって、誘拐犯の疑いが大きい薄汚い貴様ら亜人共を徹底的に調べ上げる!」
酒場からどよめきが上がる。
「情報を提供するか、素直に犯人が名乗り出るなら手荒な真似はしない!」
そう言いながら、ナイトは剣の柄に手をかける。
酒場全体の空気が強張る。一触即発の雰囲気が漂い始めた。