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シンゴジラ雑感

深夜テンションで書きなぐったものです。目に留まったら見てやってください。

世の中には旬というものがある。どんな優れたものでも、いや優れていればこそその旬をうまくつかむものであるだろう。特に日本人はやれ初ガツオやらやれボジョレ―ヌーボーやら旬のものにこだわる傾向にある。それは映画についても同じことが言えるだろう。ひとたび旬を外せば空気を読めてない、時節を見極められないセンスなし野郎のそしりは免れないだろう。例えば今更シンゴジラについて語っちゃったりするようなやつのことである。

さて皆さんも『なぜにこいつはいまさらになってシンゴジ語ろうとしちゃってんのちゃんちゃらお笑いね!へそで茶お沸かすわ!へそ茶よへそ茶!』さぞあざ笑っているだろう。許していただきたい、今回書くことは筆者が前々からそうじゃないかと思い思いしながら周りの人には決して言えなかったことなのである。ひそかに思いながらもみんなそんなことは言っていないしもしかしたら的外れかもと思いながらもやもやしていたのである。そこでついさっき思いついたのである。

「なろうに投稿すればいいじゃん!」と。

幸いにも筆者がなろうにユーザー登録していることはだれにもそれこそ家族にも言っていない。ここでなら間違いを指摘されて言葉の暴力でもってコテンパンにたたきのめされても被害はあくまでこのなろう小説の中でのみである。被害は最小限で済むだろう。というわけでこの場を借りて皆さんにお耳汚ししようと思いついたわけである。それでは言い訳はこれくらいにしてシンゴジラについて筆者のたわごとをぷつぷつと書き散らしていこう。


まずもったいぶっても仕方ないので結論をズバリと言ってしまおう!筆者の言いたいことは究極的には……。


【シンゴジラとは初代ゴジラの影響を色濃く受けた作品である!!】ということだ!!


待っていただきたい。『そんなことは知っているよ!皆言ってるじゃん!』と思われるだろうがもう少しお付き合い願いたい。正確に言えば【シンゴジラは初代ゴジラを意識しながもその逆を行っている】ということである。どういうことか?それにはまず初代ゴジラについて語らねばなるまい。

初代ゴジラは1954年に公開、終戦からもっと言えば核爆弾投下から10年とたっていないそんな時期に作られた作品である。当時社会問題となっていたビキニ環礁の核実験に着想を得て製作された作品である。wikiに乗っていたので間違いない。

核によって目覚めたゴジラが世界で唯一の核の被爆国である日本を襲う、しかもゴジラが東京で暴れ通ったルートは東京大空襲の爆撃ルートと一致するという皮肉な物語である。どうしても先の大戦を思い起こさせるではないか。まさに当時の時代をとらえた作品と言っていい。まあ正確にはゴジラの通ったルートは東京大空襲のルートとは違うようだが(あくまでおおむねあっているだけらしい)しかし当時、映画を見た人たちがどう思ったかは想像に難くない。【ゴジラ=日本の英霊】説なるものが生まれたことからも明らかである。詳しい説明は省く(気になる人はググってください。)が、筆者はここである疑問を抱く、核兵器の象徴でなおかつ東京大空襲のルートを通るゴジラはむしろアメリカ軍の象徴ではないのかなぜにお国の為に死んでいった軍人さんが日本を襲うんだ?と。それを知るにはもう少し当時の状況を説明せねばなるまいがここでシンゴジラに話を戻したい。

 シンゴジも初ゴジ同様、時代をとらえた作品である。東日本大震災である。シンゴジ登場時の津波が町を襲うシーンやクライマックスのゴジラ凍結作戦など福島原発事故とそれに対する原発凍結作戦など当時の状況を思いださせる描写が散見される。日本国政府のグダグダな対応も重なるところも多い。それだけでなく日本に核兵器を用いるというアメリカの無茶な要求などは日米同盟に対する日本の弱腰さや歯がゆさを思い起こさせる。日米同盟に対する不安感は何も現代の話だけではない。何を隠そうシンゴジラの時代にもあったはずである。

 さらに重要な共通点を上げておきたい、それは天才科学者の存在である。初代ゴジラにおいては芹沢博士

シンゴジラにおいては牧教授である。このふたりが本論の重要なファクターである。この二人の背景について述べておきたい。まず芹沢博士はゴジラと直接的な関わり合いはない。ただ博士がTVで疑似らの存在を見ている程度でラストまで一切かかわらない。博士はどうやら戦争時の心の傷のせいで完全に世捨て人状態でただ一人究極の兵器オキシジェンデストロイヤの研究をしているというかなり危ない人物である。婚約者が一人いるのだが(山根恵美子)その婚約者にも壁を作っているようだ。それが原因で婚約者をイケメンな船乗り(尾形秀人)に寝取られている(博士はそのことに気付いていない)。オキシジェンデストロイヤについても婚約者のみが知っているだけである。そこにゴジラが表れて街を焼き尽くす。なんせ水爆実験でも死なない化け物である日本政府は手も足も出ない。そこで山根恵美子はオキシジェンデストロイヤについて思いだしつい尾形にしゃべってしまうそこで二人からその兵器を使うように説得をされる。はじめ芹沢博士はオキシジェンデストロイヤを併記として使う気はないと突っぱねる。作っといて何言ってんだとも思うがどうやら本人は平和利用のために研究していただけのようだ。しかし実は婚約者の山根恵美子が尾形秀人と愛し合っていることを知り、さらにテレビから少女の祈りが流れてきたのを見てオキシジェンデストロイヤの使用を決意する。最後はゴジラとともにオキシジェンデストロイヤによって溶けあって、山根博士(山根恵美子の父)がまた第二第三のゴジラが表れることを予見して終わる。後味の悪いラストである。対して牧教授である彼はゴジラ研究を行っていた人物であるようだ芹沢博士と違ってゴジラとがっつりかかわっている。映画内ではあまり説明がないが奥さんを東日本大震災で亡くしそのショックからゴジラを日本に放ったらしい。そしてなんと自分をゴジラに食わせたという説まである。牧教授は自分の奥さんを死なせた日本が許せずゴジラに日本を襲わせたのである。日本が自分たちの力で核の象徴であるゴジラをたおせるようになってほしいと期待していたらしい。諸説あるだろうが筆者はこの説をとる。この二人の天才科学者はとてもよく似通っていないだろうか?二人とも超常的な兵器になりうる研究をしていて(オキシジェンデストロイヤとゴジラ)、さらに愛する人を失ったことで自分の生み出した超兵器を使うことを決意する。最後はゴジラと一つになる(ゴジラと溶けあう、ゴジラに食われる)というところまで同じである。しかし大きな違いがある。まず初ゴジでは超兵器を使うことで物語が終わるが、シンゴジでは牧教授が超兵器を使うことで始まるという逆転がある。さらに兵器を使う動機である。牧教授はゴジラを倒す手がかりを残していることからもジラを倒すための日本に一致団結してほしいと考えていたのはたぶん明らかだろうと思う。芹沢博士については婚約者に裏切られ自暴自棄になったととらえてもいいが筆者はシンゴジラの逆一致団結してほしくなかったからではないかと考える。オキシジェンデストロイヤを開発していた博士ではあるが実際に使うことなど考えてはいなかった。逆に平和利用のための研究をしていたのである。おそらく第二次大戦時に兵器開発として作っていたのだろうオキシジェンデストロイヤを今なお作り続けていたのだと思われる。時代が平和になっても過去にとらわれていた博士が、周囲の過去を忘れて幸福を謳歌する人たちとなじめなくなっている、だから世捨て人になっているのだ。ところがそこにゴジラが表れる。町を破壊しつくすゴジラに日本人は恐怖する。平和を愛する人達の象徴である尾形と山根恵美子が芹沢にオキシジェンデストロイヤを使うように依頼するほどだ。強大な敵に対してさらに強大な兵器を使う。それは日本に核兵器を落としたアメリカと何が違うのか?善男善女の二人が自分でも気づかず軍国主義に傾いている。芹沢は恐怖しただろう。それまで不気味な科学者だった芹沢が逃げ惑うのも無理はないだろう。芹沢はゴジラから日本を守るために兵器を使ったのではない。日本が軍国主義に傾くのを阻止するためにオキシジェンデストロイヤを使ったのではないかと思う。日本に一致団結してほしかった牧教授と対照的にむしろ平和ボケでいてほしかった芹沢博士と対照的ではないか。それは最後の捨て台詞にも見て取れる、

芹沢博士は「幸せにくらせよ。」牧教授は「私は好きにした君たちも好きにしろ。」と言い残す。このように初ゴジとシンゴジのメッセージは真逆ではないだろうかと筆者には思えてならないのである。

ここまで語ってきたが皆さんはどお思われただろうか?いずれにしても二つの作品が時代をとらえた旬な作品であったことは言うまでもない。旬を外してシンゴジについて長々語っている筆者とは偉い違いだというのは言うまでもない。




















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