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あやかし問屋と鬼の嫁  作者: 荒井炉心
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第二話 やさしさ

 従兄の健さんと会ったのは、まだ私が七歳の時だった。

 その時、健さんは私より二つ上の九歳。

 薬問屋『和泉屋』に訪れては、いつも遊び相手になってもらっていた。

 既に、互いに親から将来夫婦になるのだと聞かされてはいたが、まだあまり意味の分かっていない年頃で、ただこれからもずっと一緒だという事だけは理解していた。


 二人でお手玉をしていると、この和泉屋にいる妖でも長い年月居る妖――生き屏風が、屏風から少し体を乗り出し、手招きをした。


「小夜さん、若旦那、こっちに来て下さい」

「はい」

「何だ?」


 その手には小さな小包がある。


「竜胆様からお二人に」


 各々の手の平に乗せられ、小包を開けてみる。すると、色の違う平たい饅頭が一つずつ入っていた。


「こっちが白あん、こっちが粒あんだそうで」


 そう説明を受けて、思わずじっと健さんを見つめる。言葉を発さなくても分かったという風に、健さんは微笑んだ。


「半分こにしようか」


 私は笑顔で大きく縦に頷いた。

 半分に割られた二種類の饅頭は甘くて柔らかくてとても美味しかったのを覚えている。




 ほんの少し水が油に入っただけなのだ。

 だが、熱した油は高く跳ねあがり、私の頬に直撃した。


「大変だ!大変だ!」

「小夜様が怪我を!」

「お顔に火傷をされたそうだ!」


 今、和泉屋では使用人達が騒ぎながら駆けずり回っていた。家鳴り達も何事だとキィキィ叫んでは、互いにぶつかり合い、いつの間にか喧嘩まで始まっている。

 お夜食に天ぷらを作っていただけなのに。飛んだ迷惑をかけてしまった。


「小夜様、大丈夫ですか?」

「何かして欲しい事はないかい?」


 布団に寝かされ、火傷した箇所にありったけの薬を塗りこまれ、終いには何十人という妖達に見舞われる形になった。


「あの、皆さんお仕事は……」

「そんなの気にしなくていいんです!」


 氷女の紫の手が頬に当たる。その手はひんやりと冷たくて気持ちよかった。


「まだ、熱が引いておりませんね……」


 手代である彼女がこの寝床にいるだけでも店は大変だろうに。恐らく番頭の姿と小僧の姿が数人見当たらないので、ほんの僅かな人数で回しているのだろうと思った。


「しかし、油の奴……嫁入り前の小夜様に火傷をさせるなど言語道断。国中の油舐めを呼んで、この家中の油をなくしてやろうか」


 それは困る。料理はおろか、明かりまで灯らなくなってしまう。


「紫、私はもう大丈夫ですよ」


 何も病人ではないのだ。こう横になっていなくても問題はない。

 それでも皆が皆、口を揃えて安静にしているよう言うものだから、大人しく言う通りにする事にした。

 眠くはないのだが――。

目を瞑り、静まった所で、一人、また一人と安心した表情で帰って行く。最後の一人が出て行く頃には、とっぷりと月が上っていた。

 皆が寝静まった頃、静かに廊下を歩いて近づいて来る衣擦れの音がした。私はそっと瞼を開けた。

 ゆっくりと開いた襖に視線をやる。


「健さん」

「まだ起きていたか。調子はどうだ?」


 紺色の浴衣に着替えた健さんは、静かに襖を閉めると、腰を屈めて布団の横に座った。


「軽い火傷ですので、体調は問題ないです」

「火傷も侮れん」


 彼もまた、他の妖達と同じような事を言う。


「お前のその白饅頭のような頬に傷でもついたら」

「し、白饅頭?そんなに太っていますか」


 私はぷくっと頬を膨らませて怒った。


「いや、そういう事じゃない」


 健さんはたじろいだ。


「上手そうな綺麗な頬だと言いたかっただけで……」


 それもそれで、どうかと思う。私の頬はますます膨らんだ。


「そういえば、鬼って人を食べるんでしたっけ」

「俺は違うからな」


 苦笑いをしながら、火傷をしていない方の頬を指で突かれる。

ぷすっと口から空気が漏れて、頬が萎んだ。


「そういう冗談を言えるならよかった。怪我をしたと聞いて、俺は――本当ならすぐにでも駆けつけたかったんだが」


 切なそうな表情に、胸が締め付けられるような思いがした。私は首を横に振った。


「大袈裟ですよ。ほんの米粒くらいの油が跳ねただけですから」


 店の金銭管理をしている主が、店をそう簡単に空けるわけにはいかない。それに、私が怪我をしたのは店仕舞いという、一日で一番忙しい時間帯だった。

 それは、商人の嫁になる者として重々に承知しているつもりだ。


「今夜、ここに居ても良いか?」

「えっ」


 突然の申し出に、思わず驚きの声が漏れた。「嫌か?」と心配そうに綺麗な瞼が伏せる。


「頼む。すぐに来られなかった詫びがしたい」

「詫びなんて、そんな」

「俺がしたいんだ」


 繰り返される頼みに、私は首を横に振るのをやめた。


「わかりました」


 そう答えると、嬉しそうに微笑まれる。

 ずれていた毛布を掛けなおされ、「もう寝な」と言われた。


「あまり、眠くないんです」

「じゃあ、子守歌でも唄ってやろうか」

「健さんが子守歌?」


 何だか意外で、くすりと笑いがこぼれた。普段からつり上がり気味の眉がさらにつり上がった。


「馬鹿にするな。子守唄の一つや二つ、俺だって唄える」

「じゃあ、お願いします」


 健さんは『江戸の子守唄』を唄い始めた。

 唄に合わせて、ポンポンとお腹を優しく叩かれる。それにつられ、ゆらゆらと頭の中が揺らぐ。

温かいテノールの声が、夢へと誘うのにそう時間はかからなかった。


「おやすみ、小夜」


 夢へ落ちる寸前、優しく頭を撫でられた気がした。

 ――こういう所、変わってないな。

 いつだって健さんは私に優しい。

 私は健さんの事をどう思っているのだろう。

 従妹で、半妖で、時々怖い一面を見せるけれど。

 婚姻まであと一ヵ月と少し。

 この胸のモヤモヤが晴れるといいと願った。

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